9(裏)

 まさかこの連中と、再びまみえることになるとは思わなかった。まみえるって言ったって、顔は見えないけれど。だんだん飽きの出てきた無機質な床と真っ黒なお外をまた交互に眺めて、ため息。買ってもらえても閉じ込め生活であることには、今のところあんまり変わりないようだ。
 誰と再びまみえたかって、昨日お店でご主人様が来る前に私を買おうと考えていた、あの人の連れていた同胞たちだ。緑のほうがテラで、獣のほうがリナっていう。テラとリナの友達? たちが他にもいるみたいだけれど、声の違いでしか判別できないから、あまりイメージは湧いていない。というのも、私はひとりぼっちでモンスターボールという小さなおうちに入れられたまま、壁越しに話をしているのだ。
 多分あの、貧乏がすぎてわたしを買えなかった人間と、一緒にいた薄い色の人間もいるのだろう。だろうというか、さっきから声が聞こえている。同胞たちとお喋りすることに夢中になっていたから、話の内容までは聞かなかったけれど。
 お店で話した時からややぶっとんでいて、本音あまり関わりたくないタイプであるテラの声も聞こえるけど、その子は人間の『ダーリン』に話しかけることに躍起になっている。わたしが話をしているのは、それ以外の同胞たちだ。
「おれ、ボールの中から、君のこと見てたよ!」
 そう言ってるのは、中でも特に賑やかな、ちょっと幼めに聞こえる男の子の声。
「出たがってたよねぇ、出られてよかったね」
「うん、でも、あんまり出られてないかも」
「えーなんで?」
「だって、結局、ボールの中に閉じ込められてるもん」
 そうなのだ。わたしにご主人様ができたのは昨日、わたしを買いますといういろいろな契約をして、その後お金とボールを持って再び現れたのが今朝だ。その時問答無用でこの小さな球に吸い込まれてから、一歩も外に出ていない、というかまず光を見ていない。思ってたのと全然違う。ボールについているらしい通信機能で外の同胞とお話ができなければ、寝る以外には何もできることがないくらいだ。でも壁越しに何匹かの同胞と話して知った感じでは、出されるときは自由だけど出されない時は大方そんなもの、らしい。そうと知らされなければ発狂モノだ。
 まぁ、でも、狭くて特別何もないのに、なぜだか居心地よく感じるのが、この空間の不思議。――かわいちょう、とリナの声が聞こえて、それから男の子の声が心配そうに言う。
「じゃあ、ごはん食べてないの?」
「朝ごはんはお店で食べたんだけど……お昼は時間まだだし」
「もしかしたら、おれたちとおんなじになるかもねぇ。おれたちも、よくごはん抜きにされて、ひもじい思いをすぁったあ! っもう痛いじゃんハリ、何さ!」
「べらべらと余計なことを」
 恥を晒すな、と、その男だか女だかいまいち判別の付かない声が言う。今の、ったあ、って、なんだ。攻撃されたのか。ってことは、触れれる位置にいるってこと? 同じボールに二人で入る、なんていうのは聞いたことがないけれど……
「もしかして、皆今、外に出てるの?」
「そーだよー」
「えーっ、いいなあいいなあ」
「わたしたちの主人はよく無駄にわたしたちを開放する」
 無駄なもんか。特に植物様のわたしみたいな生き物には、お日様はごちそうであり、欠くことの出来ないパワー源でもあるのだ。そんなのは生まれながらに体が知っているし、お日様を浴びれないとなると、死なないまでも、気分も体も滅入ってくる。
「どうして出してくれないんだろう、ご主人様」
「忙しいからじゃない?」
「お喋りしてるのに?」
 例えば、この壁面にうんと力を込めて体当たりして、ボールを揺らすことができれば、ご主人様はわたしの気持ちに気付いてくださるだろうか。――でもでも、と記憶が蘇る。人間は、きれいでかわいくってあまえたがりで、大人しい子が好きなのだ。大人しい子は、ボールを揺らしたりしないはず。
 へたんとお尻が落っこちて、わたしは真っ暗闇を仰いだ。あーあ。いつまでこのつまらない、景色でもない景色を見るのか。ご主人様は、わたしのことを早速嫌いになってしまったのだろうか。嫌われるほど、まだ関わりもないのだけれど。わたしだって、檻から出してくれたという大きな恩義を感じるだけで、ご主人様のことを好きになれるかなんて、正直ちっとも分からない。
「どうやったら出してもらえるの?」
「うーん、リナはどう思う?」
「ご飯食べる時になったら、出ちてもらえるわよ」
「――どうしたらいいと思う? ハリ」
 男の子の声が問う。『ハリ』の声はしばらく黙っていた。
「……必要なときになったら出してもらえるから、心配しなくていい」
「じゃあ、どういうときにわたしが必要になるの?」
「バトルするときとかじゃない?」男の子のなにやら嬉々とした声。
「……」
「あーでも、どうなんだろう。おれの友達だと、バトルほとんどしないけど、ずっと外に出てる人も結構いるし」
 ヴェルとかマリーとか、と知らない名前をいくつか挙げて、うーんと男の子は唸ってしまった。唸り声の合間に、また別の、囁くようなかわいらしい声が、やや焦り気味の様子で言った。助けて、ハリ。何から助けるのだろう。その他には、キャハハと笑っているまた子供の声。
 わたしには助けられない、と『ハリ』が無慈悲に宣告した頃、男の子はようよう唸り終わった。
「そういうのは、やっぱり、ハリに聞いた方がいいんじゃないかなあ。ねえハリ、どう思う?」
「どうしてわたしに」
「だってハリ、もう何十年もマスターと一緒にいるんでしょ?」
「そんなに!?」
 驚きで大きい声が出た。しかも思わずぴーんと葉っぱが持ち上がって、人が見てたらと思うとちょっと恥ずかしい。しかし何十年、それは一体、どんなに途方もない時間なのだろう! わたしがあのお店にいたのだって確か二十日くらいだったけれど、それだって未来永劫続くんじゃと辛くなるようなもの凄く長い時間だったのに。
 阿呆、十四年だ、と『ハリ』は遠慮がちに訂正したけれど、いやいや、それだって十分凄い。そんなに同じ人と一緒にいるだなんて、飽きないのだろうか(しかもそれが、あの時の数分間でさえずうっと似たような調子でわたしに構ってくるような人なのだから、凄い――ああいや、もう一人の、って可能性もあるか)。でも飽きないから一緒にいられるのだろう。だって、人間なんて、わたしたちみたいな生き物がちょっと本気を出せば軽く殺せるくらいの生き物らしいのだ。飽きたら飽きたでさっさとよそに行くくらいチョチョイノチョイだろうし、わたし自身、そうするのだろうと思っていた。でも確かに、もしご主人様がわたしのかけがえのない存在になるなら(ポケモンと人間というのは本来そういう関係であるべきだとも、お店にいた頃お客さんの話で聞いた)、それは長く一緒にいられるのがいいに決まっている。
「ねぇ、どうやったらずっと一緒にいられるの?」
 だから問うてみた。
 それ、おれも知りたい、と男の子が言う。あたちはどうでもいいけど、とリナの声。『ハリ』は黙ってしまった。長いこと長いこと黙っていた。考えているのか。はたまた無視しているのか。無視してどこかへ行ってしまったかも。けれど、あの男の子の声の方が大人しく答えを待ってるみたいだったから、どこかに行ってしまったということはないだろう。
 ハリ本当に助けて、と、またかわいらしい声が言った。『ハリ』の声が、それまでよりもっと細く聞こえる。
「……分からない」
 そう言った。
「どうしてずっと手元に置いてくれるのか、分からない。何が求められているのかも未だに分からない」
 分からないのか、なんとなくだらだらって感じかも。わたしの葉っぱはちょっとへなった。
「ハリでも分からないことあるんだねぇ」
「戦う力なのかもしれないし、そうでないかもしれない」
 考えたことをとりあえずずらずら並ベるみたいに、『ハリ』は淡々と続ける。
「もっと違う部分であるような気もする」
「例えば?」
「愛玩用のそれに求められているような」
 もうちょっと簡単な言葉で説明してはくれまいか。とお願いする隙も、『ハリ』のしゃべりの淀みなさの前には与えられない。
「烏滸がましい表現ではあるが」
「おこがまちいってなによ」リナの声。『ハリ』は無視して続ける。
「何故あれに好いてもらっているのか、全くもって分からない」
「好かれる努力は?」
「したことがない。記憶にない。仕える身として当然の事しかしてこなかった。子供の頃はあったかもしれない」
「でも、ハリ強いじゃん」
「わたしより強い相手にもいままでたくさん出会ってきた」
「じゃあじゃあ、『ハリ』はなんで同じ人間とずっと一緒にいようと思ったの?」
 逆の質問だ。どうして飽きなかったのだろう。分からないから、逆に飽きなかったとか、あるのかも。
「それは、わたしが」
 ――それだけ言って、『ハリ』はやっぱり、黙った。長く長く黙った。多分考えているんだろう。その間に、おれにも聞いておれにも聞いて、と男の子の声が言う。
「おれはねぇ、マスターがといるのが好きだから一緒にいるんだよ!」
「何が好きなの?」
「えーっとねぇ、まずたまにお肉くれるでしょ、あとお風呂するとき、ブラシでじゃこじゃこしれくれるんだよ、あとねぇたまに殴られるけど、よしよししてくれるとこ、よく怒られるけど、ご飯くれないけど、昨日の夜もねぇよしよししてくれたし、よしよしされるの落ち着くし何か分かんないけど嬉しいし」
 ほとんど伝わってこないその説明を分かった分かったと制して、『ハリ』はどう、ともう一度問う。
「わたしは」
 『ハリ』はもう一度言い淀んだ。
「……分からない。ただ、他の人間に従うことは、正直想像がつかない」
「そっかー」
「それが当然のようになってしまった」
「ハリもマスターといるのが好きだから一緒にいるんじゃないの?」
「……」
「リナは?」
「みちょらはあたちの家来だから、あたちがみちょらと一緒にいるんじゃなくて、みちょらがあたちと一緒にいるのよ、勝手に」
 なるほど。そういう関係性もあるのか。……おれはねぇ、マスターにもっとおれのこと好きになってもらうために、がんばって大きくなって、そんで足が速くなりたいんだぁ、と勝手に夢を語り始めた男の子の声に、ふとアイデアが過ぎる。そうか。強くなる、か。かわいく、きれいで、大人しい良い子で、買ってもらって、飼ってもらって。そればっかり考えていたけれど、そういえば、ポケモンと人間の関係って、それだけじゃない。そうらしい。
 強くなれるだろうか。そんな風に思う。この体とか、頭の葉っぱとか、戦うために、使えるのだろうか。大きくなって、身を呈して、ご主人様を守って。そんな生き方って、イイかも。ちょっと膨らむ、そんな夢。それから、それから。もっと、自由になれる。求められるのが『強さ』なら、ぶりっこしなくたって、構わない。
 ありのままの君を可愛がってくれる人が、きっと、迎えに来てくれる。
 思い出す。二人のご主人の言葉だ。でも多分、迎えに来てくれるのを待ってるだけじゃなくて、自ら臨むことも、できるかも。そんな気がした。







 
 
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