10(裏) 「――どう思う、あの男」 マリーがわたしたちについてきた目的は、それを問う事らしかった。アキト、というあの男。そこそこ屈強な肉体を持ちながら、物腰は柔らかく、我々のような従える者たちにも丁寧で、加えて適度に『男前』なのだそうだ、わたしにはよく分からないが。しっかりした職にもついており、経済力もあると聞く。わたしやマリーが見てきたカナミの配偶者予備群の中でも、最も好条件なのではないか。しかも、付き合いが長い。二年続けて同じ男であったことなど初めてだ。相性もかなり良いのだろう――見解を述べると、そうだよなぁ、そうだよなぁとマリーは言った。前方を歩きながらうじうじと耳を動かす。ちなみにわたしはボールの中だ。 遅めの昼食を取ったエトと二人、トウヤはまたハシリイの街を散策している。マリーとテラが外に出て護衛を買っている、いや護衛の役割ではないか。我々はまだ全員ボールに収められていた。 「良い男だよなぁ」 「そう思うが」 「でもなぁ、でもなぁ、良い男すぎると思うんだよなぁ、どう思う」 昨晩と同じ口とは思えない歯切れの悪さ。何を言っているんだとわたしは問うた。 「良い男すぎて何が悪い」 「だってさぁ、なんかさぁ、あんまりにも良い男すぎると……逆に心配というか……」 「分かる、分かるぞそのキモチ!」 テラが叫ぶ。 「おれも分かる!」 ハヤテが叫ぶ。 「なんでハヤテが分かるのさ」 「だって、だっておれも、えーとだって、そういうことでしょ」 「分かるよぉ分かるよマリリン、ボクだって」 「マリリンじゃない」 「ボクだってダーリンの回りに良いメスがいたら、絶対心配になっちゃうもん、いくらダーリンがボクに夢中だからって言ったって、ダーリンも生き物だし、いくらボクにゾッコンラブだと言ったって」 ねっと言いながらトウヤの顔を覗きこむ、彼はエトと話をしていた。おそらく、テラの言っている心配とマリーの言っている心配とは、やや毛色が違う。 「カナミがあの男に夢中になりすぎてぼくのことを構ってくれなくなるのではないか……」 いや、あまり変わらないか。 「お前、カナミが幸せになるためなら自分の幸せは構わないと昨日の晩言っていたぞ」 「構わないにも限度はある、というか」 「カナミを幸せにできる良い男が現れたら、そいつとくっつけてやるために最大限の努力をすると言っていた」 「言ったけども」 「それがお前の『ロマンチシズム』」 「言ったけどもだな! いざ目の前にしてみるとだな!」 ぶるるんと耳を震わす。ケタケタとテラは笑っていた。 「大変だねぇ、自分が一番、って確証が持てないのは」 テラは、一番、という確証を持っているということだ。その自意識過剰でいられる辺りは、少し羨ましくもある。 こつこつと歩いている。ハシリイの大通りには、けれど普段より人が少ない。祭りの準備に追われているのだ。……ふと気が付いて、わたしは顔を上げる。ハリ、とメグミも問うてきた。適当に声を返す。わたしにも見えている。 「ぼくは愛しているんだ……本当に愛しているから、仕方ないんだ。ああ、ぼくのカナ……」 「愛が足りないんじゃないの? 愛が十分ならば相手もその愛に応えてくれて、応えてくれてるっていうのが愛してもらってるって自信に繋がるはずだ、マリリンは自信がないんでしょ?」 「マリリンじゃない……」 マリリンの声はひどくしょぼくれていた。――あの子変だね、と、ハヤテさえ気づいて。トウヤも気付いただろうか。 水鼠の一族以外のポケモンがいる光景は、ハシリイにしたってそれほど珍しい物ではない。だけれども、あの灰色の獣。チラーミィとかいう種族だったろうか。……さっきから、じっと、こちらを見ている。黒々とした瞳が執拗にこちらを捉えている。こちら、というか、多分トウヤか。その特異な容姿のせいでじろじろと見られることは少なくないが――あんな風に、まるで魂まで吸われたような目で見つめられることは、殆んどないと言っていい。 その横を過ぎる。チラーミィはまだ見ていたが、じきに背を向けた。鳴きながら走っていく。声は遠いが、聞こえた。「ご主人様、見つけました」。 ぽん、とトウヤの手がボールに一瞬被さって、視界が暗くなる。隣のボールも、その隣のボールにも。行くぞ、程度の、意思表示だ。やはり気付いていた。 「トウヤはこういうときの勘が良いよね」 ささやかに笑いながらメグミは言う。そのボールが持ち上げられた。 「このくらい気付いてもらわないと、従者として迷惑だ」 だけど、鋭すぎる勘は、きっといつか災いを呼ぶ。――そんな妙な気の揉み方をしていると知れば、どんな顔をするだろう。そんな我々の様子に気づかないのか、テラはテラで話を続行している。 「ボクはダーリンに愛してもらってるって自覚があるよ。だから多少の事ではもう動じない。ダーリンにとっては、ボクが一番なんだから。ボクだってダーリンを宇宙で一番信じてるよ。誰よりもダーリンを愛してる。だからそりゃ、たまには、愛も暴走するんだけれど」 愛している、か。 背後の様子を窺っていたが、じきに見えなくなってしまった。あの子鼠自体は手練れとはとても見えなかったが、敵が複数という可能性は、大いにあり得る。 メグミが前方に開放されて、マリーと並んだ。マリルリの形だ。エトへの配慮か。そのメグミが、マリーに小声で告げ口をする。ぎょっと目を見開くマリー。 「……な、なに、一体何を言ってるんだ?」 「だって、そうだもの」 少し楽しそうに、メグミはぷよんぷよんと耳を泳がせた。 次に取られるのはわたしのボールだ。えーっまたハリばっかり、とハヤテの文句が飛んでくるが、お構いなし。右手の指、音と振動で伝えてくる。背後を警戒。まだ手は出すな。その無言の合図。一方的な指示は有無を言わさないが、呈したい苦言もない。 放たれればすぐさま、けれども異常を見せない普段通りの動きで、二人の背後へ。エトは訝しげに振り返ってきたが、それよりもこちらを見たのはテラだった。 「やあハリ! やっと出してもらえたね、良かったね」 「ああ」 「ボクはずーっと、ダーリンとくっついていられるんだけどねっ」 しまうボールがないだけだ。謎の優越感に浸っているテラを見ていると、滑稽以外の感情が、じわりと温まってくる。 『ボクはカナを守るためにここにいる』 ふと、マリーの言葉が蘇る。 男気があったな、と。張りぼてだったとしても。集中は切らさないように、けれど記憶を巡る。穏やかな月夜の縁側で。小さな拳を振るって強気を言っていた瞳。 『カナが幸せなら幸せだ』 『ねぇ、どうやったらずっと一緒にいられるの?』 重なるように響く、あの植物様の同胞の、無垢な問いかけ。 『じゃあじゃあ、ハリはなんで同じ人間とずっと一緒にいようと思ったの?』 ――そんなの、分かるものか。目を瞑った。 それから、開く。顔を上げる。勿論集中は怠らないが。気配は一旦は遠のいた。去ったとも限らない。早くこの雑念を消化してしまえ。 わたしの呼びかけに、トウヤの首筋にへばりついたまま、テラは顔だけ向けた。 「お前、気付かないのか」 「何が?」 「トウヤは狙われている」 へ、と元から丸い目を、更に丸める。 「……誰に?」 「気付かなかったのか。従者として失格だ」 「え? 今いるの?」 「さっきまでいた。また来るかもしれない」 テラが固まる。血の気の分かりづらい顔色が、怪しくなる。 「エスパータイプならば容易に察せられるのかと思ったが。注意が散漫しすぎだ」 「だ、だってボクは……ダーリンとお話していたし」 「言い訳にならない。従者として失格だ」 「まだ三つで、ハリとは違って」 「ハヤテも似たようなもの」 「おれ気付いたよっ!」ハヤテがボールの中から嬉々として叫ぶ。「マスターを危ない目にあわせようとする奴は、おれが全部倒してやる!」 だから出してよう、と喚いているが、一昨日、マスカの接近に露程も気付かなかったのはどいつだ。あれには悪意がなかったけれど、そういうのを隠すのが上手い奴もいくらでもいる。けれどもその気概は気に入った。頼もしいとも思える。 「テラ。従者として失格だ」 「……従者、って、ボク従者じゃないもん、ダーリンのマイスイートハニーだもん! だから分からなくたって仕方ない!」 「トウヤがポケモン連れてる理由を聞かれたら、まず何と答えるか知ってるか」 「知らないよ!」 「『護身用』だ」 「ご、護身?」 「護身のためだ、ハニーじゃない」 「でもボクは違う」 「違わない」 「違うもん」 「違わない。加えて金のないトウヤに護身にならないポケモンを連れる余裕はない」本当はどうだか知らない。 「で、でもボクは……今だって……」 「お前はテレポートが使えるから、移動用に連れられているが、その必要がなくなればグレンに引き渡されるだろう」 テラは口を閉ざした。――背後を探ると、微かに気配が窺えた。かなり遠い。が、相手もこちらを窺っているか。 「……でも、でもボクは……ダーリンを愛していて……ダーリンの事を誰よりも分かっていて……ダーリンだってボクを……」 「お前」 そろそろ、面倒になって――後で、いや話している最中にでも、ハリこわい、とメグミに言われてしまうだろう。 「トウヤが一番好きなポケモンが何か、知ってるか」 「……へ」 テラの威勢は半分くらいまで下落している。 「……えっと……リグレー……?」 「違う。チルタリスだ」 「へ」 「チルタリスだ。言わずとも見てれば分かる。それじゃあ、お前、トウヤの好きな食べ物が何か知ってるか」 「……リ、リグレー」 「ハンバーグだ。子供の頃は特に好きだった。料理をするようになって自分でも昔はよく作っていたが、母親の味が出せないことに悩んでからは、めっきり作らない」 「知らないよ、そんなの、ボクたちずっと離れ離れだったんだから」 「では次の問題です、トウヤが一番作るのが苦手な料理は、何でしょう」 「知らないってば!」 「正解は、おにぎり」 メグミとハヤテの笑い声が聞こえた。ちらりとマリーが振り返って、何をべらべら言っているんだこいつは、みたいな顔をする。 「トウヤが腹を抱えて笑うところを見たことがあるか」 「……ダーリンはそんな下品な事しないもん」 「する。下品なことなんかいくらでもする。自棄酒をし出した時は本当に手が付けられない。一度、酔っぱらったまま兎跳びで町の外まで出ていって、動けなくなったトウヤを担いで帰らされた時だけは、従者をやめようか本気で考えた」 テラがちらりと主の顔色を窺ったが、それだけ暴露話をしたところで、彼には一言だって届かない。 「じゃあ、トウヤが泣いてるところは見たことあるか」 「……」 「トウヤが声を上げて泣くところを、見たことがあるか?」 「――なんだよ! あるわけないって知ってるくせに!」 テラはトウヤの肩から飛びあがった。 トウヤは素早く振り向いたけれど、全く状況の飲めない顔をしていた。その背後のメグミとマリーの方が、よっぽど呆れた顔をしていた。テラはわたしの眼前まで念力で滑り飛んできて、物凄い勢いで両腕を回転させる。 「ハリはダーリンが好きなんだ! ずっと一緒にいれるボクが、羨ましくって仕方ないんだ!」 叫ぶ。きんきんと甲高い声がうるさい。その後は、緑色の念を纏いながら高速宙返りを連続で披露しながら、叫ぶ。なかなか凄い芸当だ。 「羨ましいから、だからそうやっていじわるなことを言うんでしょ!? そうやってボクをいじめるんでしょ!! 好きだから、そうやって――」 「そうだが」 ぴたっ、と、テラの動きが止まった。 人波は流れている。だども、目は幾つかこちらを見ている。トウヤもエトも、不可解な視線を投げてくる。ふふ、とメグミの笑い声。ハヤテの鼻息。マリーは耳を震わせる。 目の前にいるけれど。 どうせ伝わらないのだから。 「好きですけど、何か?」 敢えて、テラをまっすぐ見上げて言った。 「――――うわあああああああぁぁぁぁぁーっ!!」 テラはわたしに背を向けると、トウヤの横を抜けて、メグミとマリーの頭上を越えて、隕石の様なスピードでどこかへ消えていってしまった。なぜ叫ぶ。なぜ消える。けれど、なんだろう、この勝ち誇った感覚は。我ながら大人げない。 テラの名前を呼びながら、マリーが追っていってくれた。あの男気マリルに任せよう。……ハリ、かわいい、とメグミが素っ頓狂な事を言う。どこが。こわいじゃなくてか。何を聞いていたのかと。茫然とテラを目で追ったトウヤが、大いに呆れて、こちらを向き直した。 「……子供相手に何喧嘩なんかしてるんだ……」 曰く。もっともだ。本当に大人げなかった。――だけど、あなたも、少しは悪い。
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