4(裏)

「信じられない……じゃああの男まだ独り身だって言うのか……? おお、神よ……」
「いやさっきも言ったけどダーリンにはボクがいるから、三年前から独り身じゃないから」
「おい、そこのサボテン女! 去年ぼく言ったよな!? あの男がうちのカナに二度と色目を使わぬようそのへんの誰か適当な人間ひっつかまえてよろしくくっつけてやる、それが今後一年の君の使命、ひいては天命だと! 言ったはずだッ!」
 神に祈っていたかと思ったら急に跳ね上がってお菓子の付録みたいな小さい小さい手をこちらにびしっと向けてきたマリーに、わたしは目を向ける。そんなことを言っていたか。重要でないことは忘れてしまった。
「忘れたとは言わせないぞ! ぼくのこの愛らしいお耳が去年のぼくの言動と君の返答を一言一句違わずきっちり覚えている……!」
「じゃあ一言一句違わずきっちり言えるんだな、マリー」
「だからマリオぼくはマリオだと言ってるだろうがっていうかもううるさいうるさいこのサボテン女めその口だかなんだか分からない奇々怪々なミステリーホールに腐ったモコシ突っ込もがーっ」
 もはや聞き取れないレベルの早口で捲し立てていたマリーの顔に、テラが容赦ない顔面タックルを決める。
「キミ、ボクを差し置いてダーリンの話をするのは許さないぞ!」
「いや今だーりんとやらの話は……」
「ああダーリン! 愛してる! ボクも今そっちに!」
「それはやめといたほうがいいと思うけどなぁ」
 たまにはまともなことを言うハヤテの助言によって事は制されたが、なんだこれは、中が宴会ならこちらも宴会か。酒など入っていないはずなのにこの騒がしさ。マリーがいるだけでも例年十分濃いのに、今年は更に騒がしいテラも加わって完全に混沌と化している。
 生まれてこの方ずっと人間と暮らしてきたから昼行性の格好はしているが、わたしも本来は夜の一族だ。日が落ちてくると、少し食欲も増す。昼間トウヤと共に噴水の中に落下してぐずぐずになった携帯飼料を貪りながら、わたしは強みを帯び始めた月の輝きを眺めていた。
 ぴょんぴょん跳ねながらやってきて、わたしに寄り添う恰好で腰を下ろすのは、今は鳥のメグミ。
「うるさいの嫌い……」
「わたしもだ」
「テラも、マリーも、おもしろいけど苦手」
 この正直者め。わたしは大きく頷いた。
 わたしたちのために用意されていた食事はハヤテとリナが食べつくしてしまったので、わたしは大しておいしくもないぐずぐずの携帯飼料を、メグミは人間の食い残した枝豆の皮を(わりかし好んで)食べながら、しばらく黙って背中側の話を聞いていた。ダーリンがどうだ、うちのカナに色目がどうだ、甲高い声で無意味に笑いながら大きい尻尾で跳ね回り続けているのはマスカ。その向こうからは誰彼の人間の取り留めもない会話が無数に聞こえてくる。そこから主人の声を探し出すのは難しい。
 ぼんやりしていると、またちょこちょこと別の獣が寄ってくる。リナだ。ちょこんと隣に腰かけると、釣りがちな目でひょこっとこちらを見上げてくる。大きな片耳を欠いたアンバランスな形は、見ていると、こっちがなんだか傾きそうになった。
「あたち、みちょらのところに行ってもいい?」
「今はやめておきなさい」
「どうちてよ」
「知らない人にぐちゃぐちゃにされる」
「どうちて?」
 小首を傾げるリナの上から、ぬっと顔を覗かせるのはハヤテ。
「あのねぇ、酔っぱらってる人ばっかりだからだよ」
「どうちて?」
「そういう会だからだ。わたしたちの付け入る隙はない」
「ねぇリナ、そんなことよりおれと一緒に遊ぼ!」
 そわそわと足を踏み鳴らしながら声を掛けるハヤテに、どうちて? としつこく問うリナ。どうちてもだよぉ、と言って体をゆさゆさしながら広い方へとのしのし歩いていくハヤテに、リナは一旦こちらを見上げてから、まぁ別にあいつでもいいか程度の関心で、よちよちとついていく。戦闘中は鬼のような機敏さを見せるのに普段はあれだから、あの子は分からない。……ハヤテって、とひそめてわたしにささやくのはメグミ。なんだか若干嬉しげだ。
「リナちゃんのこと好きなのかな?」
 わたしはちょっと驚いて顔を上げた。
「そうなのか」
「そんな感じするなぁ」
「わたしには全然わからなかった」
「ふふふ」
 後ろの喧騒が大きくなる。メグミはまたわたしにくっついた。
「ハリ、好きな人いる?」
「……」
「めぐみは、ハリが好き」
「それはどうも」
「ハリは?」
「……」
 わたしもメグミが好き、と、この場合は返すべきなのだろうか。まぁ、メグミは好きだが。けれど、メグミの含み笑いを聞いていると、求められている答えはなんだかそれではない気もした。メグミはまた笑う。ふふふ。ささやかな、でも今はなんとなく怪しい笑い声。
「ねぇハリ」
「……なんだ」
「ハリの好きな人、当ててもいい?」
「――なんだ!? 誰が誰の事を好きだって!?」
 危険を察して咄嗟に避けると、わたしの背中に『転が』り込んできたマリーがその勢いのまま広すぎる庭へとすっとんでいった。わあぁぁ、という叫びが夜の花壇へ消えていく。いい気味だ。思わず鼻を鳴らしてしまった。……その直後に首元にがばっと貼り付いてきたテラのことまでは、さすがに避けきれなかったが。苦手意識はないエスパータイプだとは言え、突然体に触れられると怖い。
「ハリっじゃあボクの好きな人教えてあげよっか!」
「知ってる」
「ボクの好きな人はねー照れ屋さんでー優しくってーボクのことを宇宙で一番愛しててー首の太さはこんくらいでー」
 こいつは、いやこいつらは、いつの間に酒を飲んでいたのか? 中の酔っ払いども同然ではないか。調子よく話していたメグミはテラの割り込みが入ると目を閉じてしまった。この人見知りはいい加減にした方がいい。
 離れろ、と体を動かしてもテラは一向に落ちる気配もなかった。これは、なるほど、見た目より重い。
「はぁ……こう、ハリも思うよね……もっとさぁ……デレッとして欲しい……ご主人様に……」
「……」今行けば多分してくれる。
「良い子だとか……自慢のマイハニーだとか……言って欲しいよね……」
「……」今行けば多分言ってくれる。
「ボクはね、ハリのことは結構好きだよ、だからハリだけは認めてあげなくもないよ」
「認めるって何」
「恋敵」
「は」
 なんとおぉ! と言いながら草まみれのマリーが縁側の下から顔を出した。
「そうか、そうだったのか、そういうことか! そうかつまり!」
「うるさいマリリン」
「うるさいカカシ女!」
 ミサイル針を撃つ。手加減したら小生意気にも躱してくれた。
「そうかつまり!」
「つまりなんだ」
「貴様があの男と他の女をくっつける努力を怠っているのはつまり! 貴様あの男のことがす」
 考えるより先に手が出た。

 ……ハリこわい、というメグミの囁きで、いつの間にかわたしが注目を浴びていたことを知る。ぽかんとしてこちらを見ているハヤテとリナ、首の後ろできょとんとするテラ、バカみたいに跳ね回ることをやめたマスカ。縁側の遥か向こうで伏せて(あんな球体の生き物に伏せるという感覚があるのかどうかは微妙な所だ)いるマリーはおそらく、もう暫く動けまい。ペットとして飼われているポケモンの戦闘力なんて知れている。しかし気持ちいい位クリーンヒットしたな。
 気が付けば、ミソラの隣にトウヤが戻ってきていて、名前は忘れたがなんとかという中年の男にお酌されている。ココウの人間も強いがハシリイの人間はもっと酒に強いから、ほぼ強制的に呑まされ続けるここの宴会ではトウヤは毎年死に目を見る。
「マスターがんばってるねぇ」
「ああ……」
「え、そこのとげとげの緑の人っていけ好かないくんが好きなの?」
 リナ曰く。イケスカナイクンって誰だ。
「え? イケスカナイクン? じゃあボクの恋敵じゃなかったの?」
「……」
「なぁんだ、そっか、じゃあダーリンを巡る恋のレースはもうボクの独走状態に入ったということだ」
 そんなことを言っていると、隙を見たマスカがぽーんと飛び跳ねて宴会場の方へと乱入していってしまった。あーボクも、と言って目の前からテラが消える。知らないぞ。わたしは絶対あそこへは入らない。まだサボネアだった頃、誰とも知らぬ人に頭の花をゴミ箱と見間違えられて吐瀉物を撒き散らされた思い出だけは絶対に絶対に消すことはできない。
 トウヤに纏わりつき始めた二匹をじっと睨んでいると、何を思ったのか、ハリも行ってくれば、とメグミが言った。少し笑いながら。ハリがいくならおれも、とハヤテ。わたしは首を振る。行くものか、あんな所。……わたしが行ったところで、あれのために、何が出来る訳でもない。
 立ち上がり、何か(多分水陣祭の催しの関係だろうが)喚いて、品も理性もなく酒と料理の上を跳び越えていく主人。そこでどっと倒れ、倒れていればいいものをテラに念力で引き起こされて、また茶番を始める主人。酒の力で無理をして。
「心配?」メグミが問う。
「当然だ」それは主人だから。
 すっ、と念が消えて、力尽きたと言わんばかりに崩れ落ちそうになるトウヤを、あの女が、笑いながら抱きとめる。……そのあたりで顔を戻すと、当たってた、とメグミが囁いた。
「……何が」
「ハリの好きな人」
「当たってないよ」
 左手を見れば伸びているマリー、右手では、何やら語りかけてあえなく無視されているハヤテ、無視するリナ。わたしはもう一度、メグミの隣に座った。耳に付く笑い声が背中に刺さる。
「人間を好きになるなんて、不毛な事、わたしはしない」
 それは、自分に確かめるように。
 不毛かなぁ、とメグミは言う。何を。そうだよ。決まっている。
 溜め息も出る。わたしは天を仰いだ。月は無情に輝くばかり。
 なぜだろう。
 この町に来ると、なぜだか、とても、いらいらするのだ。







 
 
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