3(裏)

「ねえねえねえねえ、ヴェルって何? 誰? マイダーリンの大切な人? ボクより大切な? キミ知ってる? ねえねえ」
 言葉だけで詰め寄ってくるテレ……テ……レ、コ? テラ? テラコ? 変わりすぎて分かんなくなったけどまぁテラコでいいや、テラコの顔は迫力満点だった。まぁでも、ハリが詰め寄ってくるときの迫力には全然敵わない。あの黒く開いたブラックホールみたいな口が何か棒読みしながら迫ってくると怖すぎて、本当に吸い込まれるんじゃないかと思っちゃうことさえあるくらいだ。ヴェルはねぇ、とおれは返す。テラコは身を乗り出した。
「ヴェルはマスターのとおーっても大切な人だよ」
「ボクより?」
「うん」
「ボクより?」
「うん」
「それホンキで言ってる?」
「うん」
「はぁそうなんだ……ふふ……許せない……許せない許せない許せない」
「ふとましいご老人だ」
 カタカタと震えはじめたテラにかかるハリ(ボールの中から)の声と、マスターの「ヴェルには孫がいる」発言が重なって、その場は事なきを得た。
「ねえテラコ、おれのこと思い出した?」
「テラコじゃないよテラだよ、マイダーリンが真心こめて考えてくれたハイパープリチーなお名前なんだからきちんと覚えなさい」
「テラ、おれのこと思い出した?」
「ごめん全く。誰だっけキミ」
 ハヤテだよぉ、とぶんぶん尻尾を振っても、テラコ改めテラは悪びれない顔で首を傾げるばっかり。もーっと暴れ出したくなったけど町なかで暴れるとマスターに殴られるのでやめておく。おれも賢くなったなあ。ほめてほめて!
「ぜーんぜん思い出せない、キミみたいなドラゴン」
「マスターがテラのこと見つけたの、おれのおかげだったのになあ」
「なに? その恩着せがましい情報」
「おれがなんかあって逃亡したときに、砂漠で倒れてたテラを見つけたんじゃん」
 テラはこっちを見つめたまましばらく黙った。……マスターとミソラが何か話して、というかマスターがまた何かよく分からないことを一方的にぺらぺら喋り出したのが聞こえてくる。マスターのつまんない話は真面目なハリでさえ聞き流すのが鉄則なのに、ミソラはよく聞いてあげてるからとっても偉い。
「あああ思い出した! じゃあキミ、あのときの、あれだ! 丸くてちんちくりんの!」
「ちんちくりんじゃない!」
「そう、そういえばまだフカマルだったな、丸くてちんちくりんの」
「ハリまでぇ」
「ちんちくりん……」
「もーメグミー!」
「ちんちくりんってなによ、おちえてよ」
 リナの声。ちんちくりんと言うのは、と真面目に説明しようとしたハリを、あーあーっと鳴いておれは防いだ。
「あー思い出したよすっきりした、そうだまずキミが来たんだ、そんでマイダーリンがお腹がすいて今にも死にそうになって生死の淵を彷徨っていたボクを見つけて駆け寄ってきて……」
「お腹がすいて今にも死にそうになってピーピー泣いてたちんちくりんのハヤテを見つけて……」
「ちんちくりんじゃない!」
「おもむろにボクを抱きしめて」
「ちんちくりんの頭を殴って」
「ちんちくりんじゃない!」
「『なんと、なんと愛らしい姿! おお可哀想にマイハニー、今宵目覚めし愛の力で、僕は必ずや! 君を魔の手から救ってみせよう……!』」
「『ちょっと朝食も昼食も夕食も抜かしたくらいで逃げるんじゃない、手を煩わせるなこのちんちくりんめが!』」
「ちんちくりんじゃなあい!」
 騒いでいる間に、ハヤテのおかげでハリが機嫌良くてよかったぁ、というメグミの間延びした声が聞こえた。
 はぁご主人様すきすきぃ、と言いながらむぎゅっとマスターを抱きしめて無視されているテラを見ていると、肩に乗っかれて羨ましいようなそうでないような、複雑な気分になる。なんとなくハリが睨んでいるような気がしないでもないけどそれは置いておいて、おれは耳を澄ませた。ボールの中の誰かからだろう、かわいい鼻歌が聞こえてくるのだ。誰だろう……リナか。リナのボールから聞こえてくる。かわいいなぁ。リナはとってもかわいい。
「しかしハヤテくんよ、このハシリイって町にはとってもこの、ちんちくりんの」
「ちんちくりんじゃない!」
「キミのことじゃないよ自意識過剰だなまったく。この水ネズミがとっても多いね、ちょっと鬱陶しいくらいに」
 確かに、マリルとルリリがハシリイにはめちゃくちゃ多い。去年も一昨年も多かったけれど、毎年見かける数が増えているような気がする。マリルブームなんだねぇ――と言っていると、マスターとミソラもマリルの話をし始めた。マスターがマリルのことを「悪魔」と評した瞬間の、テラの勝ち誇った顔はちょっと忘れがたい。
「ははあん、やっぱりマリル多しと言っても、ダーリンはこんな水ネズミよりボクのことを愛して――」
「お師匠様もマリル好きなんですか?」ミソラが訪ねて、
「けっこう好きだな」マスターが答える。
「え」
「よたよた泳いでるところとかかわいくて」
 すっ、とテラが緑色の光を纏った。おい聞かすな、とハリが言うも遅く、
「余裕ができたら手持ちに入れてみてもいいかと」
 思って、の『て』が半分くらい聞こえた瞬間、おれの視界からマスターが消えた。
 なるほど、手持ちに入れるって話がタブーなんだな。嫉妬深く、わがままな生き物。後でマスターにこっそり教えてあげなくちゃ。





「――反省している、反省しているんだマイダーリン、これは愛の力の暴走というやつだ」
 そう言いながらまったくもって反省の色の見えない顔をしているテラと、びしょぬれでぐったり座り込んでいるマスター。どう慰めていいのか分からない様子のミソラの後ろで、おれはそわそわして体を揺する。なんでだろう。今、とても不思議なことが起こっている。
「ねえハリー」
「なんだ」
「マスターなんでテラのこと怒らないのかな」
 沈黙。ふふふ、とメグミの笑い声も聞こえてくる。だって、けろりとしているテラを肩車したまま、知らない人の笑いものにされたマスターは一人でしょげているだけなのだ。あれがおれだったら絶対殴られている。三回殴られて、五回は蹴られているはずだ。
「おれ、考えたんだけど……」
「ない頭で?」
「うん」
 マスターが立ち上がって歩き出したので、おれも後をついていく。
「マスターって、おれがオスだから怒るのかな」
「……」
「だって、ハリにもメグミにもあんまり怒らないよね、リナもヴェルも……テラにも怒らなかったし……」
「……」
「メスに甘いのかも、おれもメスがよかった」
 ……ん? なんだろうこの、ちょっと気まずいだんまりは。ミソラの声と、マスターの声が交互に聞こえる。それから、どこかからようやく探し当ててきたみたいなハリの早口な台詞。
「かわいい子ほど怒るんだよ、こいつみたいな怒っても意味のなさそうな奴には怒らない」
「えー」
「お前は怒ったら改善されると思われている、期待されているという事の裏返しだ」
「そうかぁ」
 だから期待に応えろ、もうちょっと周りの様子に神経をつかえ、お前はペットじゃなく護身の従者だろう? そうたしなめられておれが注意を張ろうとしたのと、おれの顔の横を淡い緑色の丸いのがびゅんと通過していったのは、まったく同じタイミングだった。そいつがマスターに突撃していく。あーあ。もっと早く言ってよ、ハリー。







 
 
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