6(裏) ――檻に手を掛け、かたっとお上品に音を立てて、上目遣いで、小首を傾げる。笑わない。ちょっと寂しそうな、もの欲しそうな顔で。相手が興味を示しても、近づいてきても、冷静に。ちょいと触れられたら、にっこりして、尻尾をふりふり振って。あんただったらそう、その葉っぱね――先に買われていった先輩のアドバイスが身に染みる。通り過ぎようとした人間はわたしに目を留めて動かなくなった。一歩、二歩、近づいて、見下ろして。そのまましばし見つめあう。不思議そうに、きょとんとして、目を見つめて鳴いてご覧。でも吠える生き物は嫌われるから、なるべく小さく、かわいい声でね。 「ち、ちぃ」 そのときは、ちょっとおバカみたいな顔で。――ちぃってなんだ、ちぃって。自分に嫌気が差してもそれでも、やるしかない、賭けるしかない。もう一度、檻をお上品に揺らしてみる。わたしを捕らえるせいぜい一メートル四方の鉄の箱。てい、てい。出してよう、と言わんばかりに。人間はわたしに釘付けになったまま、腰を下ろして。檻に頭をぐいぐい擦り付けてみれば、柵越しに指を通して、指先でちょこちょこと頭を撫でてくる。 噛まれても自己責任ですからね、っていうここの店長の嫌味な声がどっかから降ってくる。おでこちょこちょこする指くすぐったい。身を捩ると、仏頂面だったその人はふっと笑った。後ろから別の人間がやってくる。人間にしては色が白いし、毛の色も随分明るいけれど。 「お師匠様、何かいましたか」 「……かわいい……」 その人が言った。――しめた。世に言う『メロメロ』状態だ。 ――から二十分経った。 「――キミさ、もういい加減そうやって色目使うのやめたらどうだい。残念だけれどダーリンにはボクっていう大事な大事なパートナーがいるんだよ分かる? いくらキミがそうやってさ、ぷりぷりお尻を振った所で」 「お、お尻は振ってないもん」 「ダーリンは見向きもしないんだよ、ねぇダーリン、そうだよね?」 お尻だったらボクだって振れるからさぁ、ホラもういこうよ、ねぇダーリン。わたしから目を離さない人の肩に乗っかっている緑色に曰く。尋ねられた方の人間は、相変わらず指先だけこちら側に侵入して頭を撫でたりほっぺたをつついたり忙しい。わたしが忙しい。こんだけ長い時間ぶっつづけで相手してるのは初めてだから、正直、人間の心を掴むかわいいリアクションのレパートリーはとっくに底を尽きた。 「人間にはわたしたちの言葉伝わらないんでしょ、なんで話しかけてるの?」 「やぁやぁキミ、キミにはロマンってものはないの? ロマンも理解できないメスはもてないよ、このご時世」 「どのご時世?」 「ボクとダーリンはね、そう、言葉なんてなくたって、テレパシーで繋がっているのさ」 だったら尚更話し掛ける必要などないじゃないか。よく分からない。鼻先をつんつんされたときの愛想笑いももう疲れた。ほっぺた引きつる。人に買ってもらうってこんなに過酷なことなのか。 そうでないなら愛想ももうちょっと気持ちよくふりまけたものを、わたしをつついている人の隣に座っている人も、その横にちょこんと座っている獣も、もう早く帰りたい、みたいな顔をしてるから、尚更質が悪くて。もう三度目の『お腹を向けたごろんの格好』でアピールと言う名の休憩を取って、お腹をぽよぽよされている間に、天を仰ぎため息。早く買ってくれ。早くここから出してくれ。 「あんた、ちょんなに『ぶりっこ』ちて、楽ちいの?」 獣が聞く。聞いてくれるな、そんなこと。 「ていうかキミさ、熱意が今ひとつだよ。ダーリンに買って欲しいのか、やる気がないのか、そこはハッキリした方がいい」 「買って欲しいけどやる気がないときは?」 「もーそんなわがままちゃんはあきらめちゃいなさい、キミはダーリンのお供に向いてない」 「やだぁ出たいもんここぉ」 ねぇねぇ外ってどんな感じ? ――この店に立ち寄る人間の連れになってる同胞たちに、わたしはよくこの質問をする。緑色と、獣とは、二人でぽかんとして、打ち合わせたようにお互いを見つめ合って、それからこちらを向いた。 「最高だよ、好きな人とずううううっと一緒にいれるからね」「ふつう。あたち閉じ込められたことないからわかんない」 この幸せ脳みその連中が。 最高だって、皆言う。新しいことが次々あって、走り回れて、技もいっぱい出せて、戦えて、ふかふかの布団でお寝んねできて、って。ご飯だっていろんな種類食べられる。めいいっぱい光合成できるし、って同じ草タイプの子は言うし。それは凄くうらやましい。ここのお店は、お日様どころか、蛍光灯も半分くらい切れてて薄暗くて狭くて臭い。でもたまに、ネガティブな子もいて、こことあんまり変わんないよ――なんて、暗い目で。 あんまり変わんないなんて。多分そんなことはない。同胞の悲鳴じみた声とか。出してよォ、て叫ぶやつ。外を知ってる子はそういうことをする。わたしみたいに生まれたときから商品だった子は、そういうことはしない。自分の商品価値を高めるために、できうるかぎりのことをする。こういうとこにわたしたちを買いに来る人は、きれいな子が好き。きれいでかわいくってあまえたがりで賢くて、大人しい子が好きなのよ。大人しい子は吠えたりしない。 差し入れられた指にすり寄るように、ほっぺたを押しつけて。――買ってください。どうか買ってください。口元をなぞられたら、ぺろっと舐める。目を潤ませる術だって覚えた。――メロメロ、というよりは、うっすら同情するような眼差しを向け始めたその人の脇に、店長の太鼓腹が立つ。算盤と言ううすっぺらいものをぱちぱちと弾いた。 ん、と言ってそれを差し向けると、その人はそれを見て、ちょっと苦い顔をする。 沈黙。……その人の動きが止まったので、隣の色素薄い方の人間が、おそるおそる、こっそりと指を突っ込んでくる。一応それにも甘えておこう。 「……も」 「も?」 「も……もう一声……」 風が吹けばふっと消えそうなくらい弱々しい声に、今度は店長が苦い顔。ちちっと算盤が鳴いて、また見せる。お客の人は首を振った。指をひっこめて立ち上がった。 「ねえ、その頭の葉っぱ、自分で動かせるの?」 こっそり聞いてくる色素の薄い方に応えて、ふいっふいっと葉っぱを回してファンサービス。おおおっと感嘆の声をあげてその人は目をきらきらさせた。……いつの間にかお客の人の手に移った算盤がまたぱぱちっと鳴って、店長に提示。店長は鼻で笑った。 「あのねぇ、お客さん」 「ま待って、じゃあ……」 ぱちぱちぱちっ。暇そうに身繕いを開始した獣を抱き寄せて、ねぇリナ、これからね、このチコリータと仲良くするんだよ? なんて言う。リナと呼ばれた子はジト目を向けた。 「あたち、他のヒトと馴れ合う気なんかないんだから」 「あ、そう……」 「――それくらいじゃ無理無理、子供の貯金みたいな値段じゃない」 「それなら」 「お客さん幾らまで出せるの」 ぱちぱち。 「あ、あぁ……今日はお帰り、うちので売れるやつはいないよ」 店長が踵を返そうとした瞬間にまたぱちぱっと弾いてさっと差し向けるお客の人の肩の上で、なんでダーリンはこんなメスの色目にこんなに執着してるんだボクというものがありながら、と言って緑色はぶるぶる震えている。獣はそれにもジト目を向ける。 「テレポートちたら怒るわよ」 「愛のパワーが爆発するんだ仕方ないじゃないか、ねぇダーリン、こっち向いてダーリン」 「探すのめんどくちゃかったんだから」 あんまり良い思い出ではないらしく、獣の声は不機嫌。探すのがめんどくさいくらい広い所か。どんなところだろう。お店の軒の先の明るいところが一体どこまで広がってるのか、気になって仕方ない。 「ほほぉ……?」 提示された額を見つめて、店長が顎を撫でる。いつもわたしたちに向ける品定めするような目で、今日はその人を見た。 「本当に用意できんのね」 「……み、三日以内に……」 強気と自信なさ気が見事に混ざり合った口調。店長は口の端を上げる。 算盤を取り上げると、ちぱぱぱぱっと素早く弾いて、見せた。 「いいよ、こんだけ持ってきたら売ったげる」 「……!」 「それ用意できるならこんくらい増えたって平気でしょ?」 低い位置でぎりっと拳を握るお客の人。ちろちろと指先を遊ばせながらわたしの額を撫でる人が、それを見上げながらちょっと呆れた顔をした。その肩をぼんぼん叩きまくる緑色の子。 「ダーリン! だめ! だめでしょ! そのお金はボクのためにつかいなさい!」 「わ……分かりま……」 「だーあぁぁりぃぃんっ!」 ――がたがたがた、と突然、その人の右腰についている、赤白のボールがひとつ震えはじめた。 「っ、……」 「どうすんの?」 言いとどまる人、細い目を細めて見下す店長。固唾を飲んで見つめる薄い子の脇で、獣の子が、びんぼーって大変ね、と言いながら後ろ足で耳を掻いた。 「――いえ……それなら結構です……」 * 結局買わないのかよ。明るい方へ去っていく二つの背中を眺めながらわたしは小さく舌打ちした。 ごろーんと寝っころがる。あぁつっかれた。動きすぎて暑い。ざらざらした錆び鉄の床のほんのり冷たさが心地いい。店長が近寄ってきて、わたしの前に座った。あんたはなかなか客に恵まれない、と呟いて。そうだ。こんなに頑張ってるのに。 ――ありのままの君を可愛がってくれる人が、きっと、迎えに来てくれる。 ふと思い出す声。最後にちょこちょこわたしを撫でながら、ひっそりと落とされた言葉。それは一体どういうことだ。ふわふわと葉っぱを泳がせて火照った体に風を送りながら、少しだけ物思い。ありのままのわたしとは、はて、どんなのだったろう。 いらっしゃい、と店長の威勢ない声。またお客がやってくる。愛想を振りまきはじめる他の同胞たち。起き上がんなきゃ、わたしも。でも、少し疲れたから、今は、いいか。寝ちゃおう。目を閉じる。広い広い夢の世界へ、気分がふわふわ昇っていく。 「――あのお客さんが見てたのがどれかって?」 ちょっと驚いてる店長。足音が近づいてくる。すっ、と陰に晒された気がして、わたしは目を開けた。 「こいつ?」 怪訝とした声。目の前に座り込んでる、知らない人間。あ、お愛想しなきゃ。でも体が動かない。にこっとするの、顔も疲れたし、眠たいし、それだけもできない。それでもその人は、じっとわたしを見つめている。 「――こいつが欲しい。幾ら?」 その人が言った。……あれ? これは、夢?
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