「きいて」

「あのね」

「からだに、ちからがたまっているんだ」

「たぶん、おおきくなるんだとおもう」

「あこがれのまりおおにいちゃんみたいになれるかな」

「けど」

「こわいよ」

「さみしいよ」

「だって、ぼくが、おおきくなったら」

「はあちゃんは」

「ぼくを、だっこできなくなるんでしょう?」





『抱っこしてごらん』

『重いか?』
『重くないよ!』


 でも、でも……。





 でも、もし、ぼくが、あこがれのようになりたいのなら。
 だっこされたままで、ずーっといることなんて、
 きっと、できないんだね。






12(裏)

「キミは偉いね」
 テラが言った。言われた当のマリルのマスカは、何だか分からずきょとんとしているが。
 背後の喧騒にうんざりしている鳥のメグミを傍にひっつけて、わたしは夜空を仰いでいた。月と星。この世のすべてを他人事に、遥か彼方に瞬いている。
「ご主人様のために、ちゃんと変わろうと思えてさ。勇気あるよ、こんなにちびっちゃいのに。ボクも変わりたいのになぁ、イサギヨク諦めるって決めたのに、結局まだ……愛おしいんだ……こんなにも」そう言いながら、テラはゆるゆると念力で動くと――そこで真っ赤な顔をして倒れているわたしの主人に、そっと寄り添うようにした。「ねぇ、ダーリン」
 水陣祭当日、その夜。カナミの家の広間では、今宵も宴会が開かれている。ここの人間は本当に酒盛りが好きだ。連日の飲み疲れの上に盛られに盛られたわたしの主人は、縁側でのほほんとしていたわたし達のところまで這ってくると、広間側から死角となるハヤテの影へと逃げ込んだ。見つかって、またあの戦場へと引きずり込まれてしまったならば、おそらく生還は果たせないだろう。時折「きもちわるい」とうわ言のように話す主人を隠しながら、それにくっつくテラへとハヤテは鼻先を向けた。
「でもテラ、なんで諦めることにしたの?」
「禁断の愛ってやつなんだよ、ハヤテ。ボクたちの間には、決して超えてはならない障壁があるのさ……そう、険しいラブの障壁が」
 悟ったような顔で、意味の分からないことを言っている。そうなのかぁと適当に聞き流しているハヤテの反応は妥当だろう。
「おれにはよく分かんないや」
「キミはまだまだお子ちゃまだねぇ。オトコっていうのはやっぱりオトナになるのが遅いんだよ」
「うう、なんだいなんだい」
「それに、ダーリンのことを好きでいると……ボクは幸せになれない気がする」
 きょとんとしているハヤテの後ろで、ついとマリーが顔を上げた。
「なぜそう思う」
「えーっ、なぜって、なんとなくだよ。だってこの人」
 殆んど寝入りかけているトウヤの二の腕を、テラはぎゅうと抱きしめた。
「すぐ愛してるとか言うし……」
 何を言っているんだ、こいつは。隣でふふふと笑うメグミ。微妙な顔つきになるマリー。……空中戦の間か? 一体何があったのか。
「その割にはすぐ嫉妬させるようなことするでしょ?」
「シットってなによ」
 首を傾げて問うリナに、
「ボクは一番じゃなきゃイヤなのに!」
 抱き着きながらあらぶり始めるテラ。
「思わせぶりって言うか、軽薄なんだよ! オトメゴコロを弄んでる!」
「なんて奴だ! そんな男に、おお、ぼくのカナは!」
「ああ、言ってたらイライラしてきた……やっぱりガキだよオトコって」
 小さな体に渾身の力で揺すられて、トウヤは目を瞑ったまま眉根を寄せて身じろぎした。広間からワハハと品性のない笑い声。マスター、言いたい放題言われてるよ、と潜めているつもりらしい声で告げ口するハヤテには反応を見せない。テラは腕を開放すると、ひゅうんとこちらまで飛んできた。
「ねえハリ、分かるよね」
「同意だ」
「ハリまでぇ」
 男の味方をして情けない声を上げているハヤテのことは意に介さず、テラはわたしをしげしげと見つめると、自分の決断が正しいとでも言うように、ウンウンと頷いてきた。
「キミも大変だよね」
「……」
「まぁ、そんなのがいいなら、せいぜいがんばりなよ」
 大変と思ったことは……ないとは言わないが。彼女が言う方面にがんばるつもりは更々ない。そんなこと告げずとも、分かっているとでも言い出しそうな顔で、ばちっとウインクを決めてきた。

 宴会も終盤に差し掛かってきた頃か。理性の崩壊した連中の不思議ダンスが始まったところで、ミソラとハヅキがそそくさと風呂場の方へ向かっていった。一瞥すると、大人しく隠れ蓑をしているハヤテにくっついて眠りこけているトウヤも、大分顔色が落ち着いてきたと見える。
「人間の相手をするのは大変だぞ。マスカ」
 声をかけると、淡い緑色のまだ小柄なマリルは、ぼんやりした顔を上げた。
「どうして?」
 座り込み、広間から見える位置へ投げ出されていた主人の右腕を、腹の上へと収めてやる。夏でも冷え込む夜風のせいか、酔っているのに随分冷たい。
「ヒトの世界の中心にいるのは、いつもヒトなんだ」
 マスカは目を瞬かせた。ハヤテも同様に。
「……うまくやるコツは?」
「忍耐」
 だって、ほら。背後で突然、吐きそう、とか言い出す生き物に、従わなければならぬのだ。ぎょっとするハヤテが見つめる中で、身を丸め、右手で口元を抑えているいかにも自業自得な生き物。ましになったと思っていた顔色は健常を過ぎて白くなっている。
 おろおろと首を回すハヤテに軽くげんこつを落とすと、主人の体の下に手を入れ、抱え上げる。人の棲み処に入ってしまうのはおよそ逆効果だろう、どこか吐いても良さそうな場所に連れていこう。体格差で不格好なことになっているわたしたちを見つめながら、マスカは目を白黒。見ているだけのメグミが、囁くような声で呼んだ。
「ハリ」
「なんだ」
「変わらないことも、勇気」
 そう言ってまた、ふふふ、と笑う。それはどうだろうな、と返して、ふと気づいた。口調が似てきているような……だとすればたまったものじゃない。
 抱えたまま縁側から飛び降りると、腕の中で主人が力なく身悶えた。月明かりに浮かぶ顔が真っ白だ。ちょっとまずいか。
「ハリ……あんまり揺するな……」
「『男だろ、甘ったれんな』」
 ブーメランにしか聞こえなかった、昼間の彼の言葉をそのまま突き刺す。どうせ分かりはしないだろうが。
 玄関から出るか。足早に庭を抜け、賑やかさから離れていく。ふと見上げると、二階のうちのひとつだけ、明かりが灯っている窓があった。弟の方が部屋に戻ったのだろうか。……空きっぱなしのそれを見ていると、ひょっこり顔を出してきた者と、偶然にも目が合った。
「下りてこないのか」
 わたしは問う。彼女は小さく首を振り、良い子で待ってるって約束だから、とはにかんだ。
 頭の葉っぱをぷらぷら揺らして、彼女は奥へと戻っていった。







 
  裏  
 <月蝕 TOPへ>
<ノベルTOPへ>