あのアチャモのぬいぐるみは、燃やしてしまったのだそうだ。
 それをミソラが聞いたのは、『あの日』から一週間ほど経った頃だった。夜、消灯する直前、電気紐に手をかけながら、ふと思い出したように「そういえば」とトウヤは切り出した。「あれ、焼いたぞ」そのくらいの頓着のなさで。町の外でハヤテに焼かせた、と。夕飯のメニューを教えるような、軽々しい言葉だった。
 でもミソラからも、そうですか、以上は続かなかった。声の軽さと同じだけ、トウヤの吐いたその言葉が、ミソラにとっても案外意味のないものに思えた。町の外。どこだかの小さな焼跡の内から、白い灰になった『モモ』が、今宵も風に吹かれて飛んでゆく。そんな光景に思いを馳せたけど、それも一瞬。やっぱりミソラにとっては、別に大したことじゃない。
 あのアチャモの、頭の三枚の飾り羽が、二枚になっている。そのことにトウヤは気付いたろうか。それに関しては、少しの間だけ、心の棘に引っかかっていた。
 多分、気付いたのだろう。――でも、それでもいい。明かりの消えた部屋の隅から、ミソラは白い手を伸ばし、土色の鞄に手を触れてから、夢の世界へと向かうのだった。
 おやすみ。モモちゃん。また明日。





 けれど今日は眠れなくて、ミソラは目を開ける。ため息。ごそりと体を動かすと、布団の中にすっぽり収まっているリナがうごうごと身悶えした。リナと一緒に寝ることをトウヤが咎めなくなったのは、やっぱり、『あの日』を過ぎてからだ。それまでは何度訴えても、寝ぼけて布団をズタズタにするから絶対だめだと言っていたのに。
 顔を横に向ける。月と星明かりの空間に、ランプがまだひとつ、温かく室内を照らしている。その明かりの下で寝っ転がって本を読んでいる師匠の横顔に、ミソラはささやき声で呼びかけた。
「お師匠様」
 トウヤは顔を上げるが、別段驚きもしない。ミソラが起きていることには気づいていたのだろう。
「寝ないのか」
「寝れないんです」
「どうして」
 ミソラのお腹に顔を押し付けながら、リナがふにゃふにゃと何か言う。布団の下で、ミソラはその頭をゆっくり撫でた。
「……私の親はどんな人だったのかなぁ、と考えてしまって」
 今の声は、ちょっと沈ませすぎていた。暗闇に浮かぶトウヤの表情がやや緊張する。顔が見えるのはこっちから一方的にだけだから、なんだか卑怯に思えた。
 私の親。そんなことは、考えても、どうしようもない。そもそも自分の『親』なんていう空想めいた存在には、大して興味もなかったのだ。けれど、ミソラの大好きな日常の一風景に容赦なく火を放ったのは、姉のような彼女の『親』。泣き出しそうな表情を、平然と殴りつけていた。力加減には一片のためらいもなかった。そんな人が、自分のルーツにもいるのだろうか。
「お師匠様のお父様は、どんな方でしたか?」
 あ、しまった。
 問うてからぎくりとする自分に、ミソラは心の中で苦笑する。その言葉はミソラにとれば、ある種の『タブー』だ。即ち、ミソラの日常を脅かしかねない言葉。トウヤの過去にまつわるエピソードの中には地雷がいくつも埋もれていて、近づけばそれを踏みかねないことを、踏みつけてしまえばどうなるのかを、ミソラは身に染みて知っているのに。――お父さんと、お母さん、その二人から作られた自分、なんて考えているとあまりにも遠い世界で、そこに寝そべっていると、普段は遠慮して聞けないことが口から滑り出していた。
 突然の一撃に、師匠は面食らっていた。ぱたんと本を閉じて、仰向けに寝転がる。返事をするのに、少し言い淀んだ。
「話したって仕方ないことだ」
「嫌ですか、話すの」
 でも、言ってしまったんだから、もう開き直ってしまえ。そんな気持ちになって、ミソラは強気の攻勢に出る。ちょっと威圧的な切り返しに、トウヤは答えない。息をついて目を閉じた。少なくとも肯定を示す意思はなさそうだ。
 ハシリイの屋台街で彼の父親の話になった時、話を始めたのはトウヤの方だ。思い返せば、本当に変な様子だった。それまで楽しく街を散策していたのに、急に体調を崩して、しばらく休憩してもぐったりしていて、そして妙にふわふわとしていて。
 あんな風に弱らせたい訳ではないのだけれど、なんだか引き下がれなくて、言い訳を継いでしまう。
「私、お父さんっていう人と、あんまり関わってきたことがないような気がするんです。だから分からなくて、どんな感じなのか知りたくて。カナミさんたちのところにも、おじいさんはいてもお父さんはいなかったし、おばさんにも、子供はいたのに……」
「知ってるのか、ヨシくんのこと」
 意外そうにトウヤは首をもたげた。
「ヨシくん、っておっしゃるんですか?」
「そう、善人のゼンで、ヨシくん。この部屋の本当の主」
 トウヤの喋りは明朗で、発音に眠気は感じられない。ミソラももはや眠くもなかった。それなのに、この部屋の本当の主――それも死んだ子のことをそんな風に言われると、余計に寝れなくなってくるではないか。ミソラは薄ら闇を見渡した。十余年前のヨシくんの影はもう、この部屋には欠片もない。
「ヨシくんの父親か。僕も知らないんだよ。とても聞けなくて……カナ達のお父さんのことは知ってる。良い人だったんだ」
「会ったことあるんですね」
「ああ。ハシリイに最初に行った年には、本当に世話になった。その後うちに電話もくれたんだ。また来いよって言うから、それで次の年に行ったら、向かってる間に、事故で亡くなって」
 そこで声が途切れかけたが、ミソラに発言の隙を与えない速さで、トウヤは次を発した。
「父親がどんな感じか、だよな。ハシリイのお父さんは、何だろう、大らかで……囲碁を教えてくれて。最初の年はひと月くらいあの家に世話になってたんだけど、僕に、二人目の父親だと思え、なんて言うんだ。その時は恥ずかしかったけど、純粋に嬉しかった……」
 ……どんな感じか、とトウヤはまた呟く。それからまた黙った。
 おばさんのことを、母親のような人だ、と意識するようになったのは、記憶の短いミソラにとってももう結構前だ。だから『お母さん』と言われれば、ミソラにとってのおばさんみたいな存在なんだと、まだなんとなく分かる。けど、トウヤはミソラの師匠であって、もしかしたら『お兄さん』ではあるかもしれないけれど、『お父さん』だとはとても思えなかった。だとしても、トウヤを否定する自分の『お父さん』像って、一体どこから来ているのだろう。
 同じく黙っているミソラから、何を感じたのだろうか。トウヤは不意に起き上がった。電気紐を引っ張って、パチンと明かりをつけた。
 眩しくて目を細めながら、ミソラも体を起こす。リナも寝ぼけ眼でひょっこりと顔を出した。一人と一匹が見つめる中でトウヤが手にしたのは、写真棚の上でいつもそれだけ伏せられている、青い写真立てだった。
 ミソラに見えるように、それを表に机の上へ。何が写っているのかはミソラも知っている。
「……僕の父親」
 小さな声で言いながら、トウヤは写真の上へ、細長い指を置いた。写っているのは、仲睦まじく手を繋いでる親子の三人。指されたのは、細身で気が弱そうで、照れくさそうにはにかんでいる男の人だ。
「母親」
 指を滑らせ、対照的にかなり勝気な感じのする女性の方へ。それからその二人に挟まれて笑う、幼い男の子へと指を置いた。――痣も、包帯もないけれど。
「トウヤ、九歳」
 恥ずかしそうに。そんな風に自分を紹介するのがおかしくて、ミソラはくすりと笑う。リナがふるふると片耳を揺らした。
「お師匠様、お父様と似てますよね」
「アヤノさんにも言われたな。やっぱり似てるのか」
 トウヤは写真を持ち上げて一人でしげしげと眺めて、それからあえて遠くの方に、それを伏せて置いた。
 何を話せばいいのやら、とひとりごち、難しい顔で頭を掻く。リナをベッドから押し下して、ミソラも机の前へと座り込んだ。
「お父様、何をされてたんですか?」
「ん? ……ああ、研究者だよ。ポケモンの研究をしてたんだ。詳しいことは、僕も子供だったから、よく分からなかったけど」
「凄いですね、研究って」
「そうかな。僕が住んでた所はリューエルの人間ばかりの町だったから、周りは研究者だらけだった。だからあまり特別感はなかったな。どっちかと言えば母さんの方が凄くて、トレーナーだったんだけど、これが滅茶苦茶強かったんだよ。女性隊員の中では群を抜いて強かったし、男のエリートと比べても全く遜色なくて」
 ……一旦話を始めれば、思いの外に饒舌で、夜なのに声が弾んでいて。ミソラだけでなく、トウヤ自身も、そのことに驚いているような気がした。
 珍しく、色々な話を、トウヤはミソラに聞かせた。厳しい母親にしょっちゅう叩かれていた話や、父親に世界中のポケモンのことを教わっていた話なんかを、いつになく楽しげに彼は語る。木登りが好きな彼や、町の人達にとんでもないいたずらを仕掛けまくっていた彼と、ミソラはそこで初めて出会った。
 驚くほど手先が不器用で料理が下手で、でもハンバーグだけは何故か格別に旨かった母。仕事が多忙で顔を見ない日さえあったけれど、時間を見つけてはよく子供の遊びに付き合ってくれた父。リナがまたうつらうつらし始めても、なかなか話は尽きなかった。父親が譲り受けてきたタマゴから孵ったサボネアのハリ。携えて戦えば、初等科学校のグラウンドでは連勝に連勝を重ねていた。
「やっぱり、お師匠様が子供の頃から強かったのは、お母様の才能を引き継がれたということなんでしょうか」
「僕が強かったんじゃなくて、ハリが強かったんだ」
 トウヤは苦笑しながら続けた。
「母親の才能は、姉の方に全部持っていかれていたからな」
「……お姉さん」
 ちら、とミソラが写真立てに目をやる。あの家族写真の中に、それに該当する人物は写っていない。
 トウヤはミソラの目線の先を見やって、ああ、と微笑む。
「カメラ構えてるのが姉なんだ。四人で写ってる写真、持ってないんだよ」
 屈託なく、崩すようにトウヤは肩を揺らした。彼があんまりけろりとしているから、ミソラは少し肝を抜かれた。その写真の不可解さもあって、彼の姉の話は、一番踏んではいけない部分なのだと思っていたのに、彼の反応は恐れるべき冷たさとは程遠い。
「いつも父さんがカメラマンでほとんど写ってないから、たまには父さん以外の人で撮ろう、って。誰かに撮ってもらえばよかったのに」
「お姉さん、バトル強かったんですか」
「強かったよ。僕たちは一度も勝てなかった……」
 けれど、その瞬間、彼の双眸に暗さが過ぎったことを、ミソラは見逃さなかった。
 だって、ミソラは知っているのだ。レンジャーの家で、その名前を見た途端、トウヤが震え出したことを。怯えるように竦んでいたことを、凄いな、と言いながら、その裏に羨望でない感情が黒く渦巻いていたことを。それらをミソラ達に晒した上で、平然を繕おうとしたことを……。
 でも今は、違う。そんなあからさまな反応はどこにも見られなかった。その山を一足に乗り越えて、トウヤは昔語りを再開した。
「でも、母さんとは違って、控えめで優しくて、末っ子の僕は甘やかされてたな」
「そうなんですか」
「そうだ、だからこんなダメな大人に育ったんだ。夕飯の決定権なんかは全部僕が握ってた、おねえちゃんは」ぱっ、と言葉を止めて、「……『姉さん』は、僕が食べたいって言ったものに、全部合わせてくれるから」
 言い終わる頃には、微かに頬が赤らんでいる。それが妙に可愛らしくて、遠慮もなしにミソラは笑った。笑うなよ、と言いながら逃げるように立ち上がるトウヤの背中は、昼間よりうんと血が通って感じた。写真立てを手に取って、元の場所へ戻す。
「仕方ないだろ、こっちに来て以来、おねえちゃんって呼んでた頃から会ってないんだから」
「……一回も?」
「一回も。親にもだよ。ちっとも会いにこなかったし、連絡もほとんどよこさなかった。薄情だろ」
 こんなに楽しげに話せるくらい、仲の良かった家族なのに?
 ……ミソラが若干しょげた顔で黙り込むので、今度はトウヤが笑った。申し訳なさそうな、頼り甲斐のない笑い声。
「お互い、くだらない意地を張ってたんだ。どうしても会いに来てほしいって、僕も言えればよかったのにな」
 不本意に辛気くさくなりかける空気を察して、男はぽんと手を打つ。
「終わりだ、終わり。子供はとっとと寝なさい」
「えー」
「でも、久しぶりに昔のこと思い出すと、懐かしくて楽しいな。話してよかった」
 話してよかった、なんて言われるとは思ってもみなくて、ミソラはぽかんとしてから、じわじわ込み上げてくる温かさで胸がつまるようだった。
 リナを引っ張り上げてベッドへ。トウヤが電気を消すと、またランプの一角を残して、部屋が夜闇へ沈む。今度こそ寝れるだろうか。おやすみ、と声を掛けられて、でも一つ聞きたいことが浮かぶと、気になって寝られそうにない。ミソラは再度体を横にする。
「お師匠様」
「まだ寝ないのか」
「いえ、あの……やっぱり、帰りたいって思いますか? 昔住んでた町に」
 その時、本を手繰り寄せ開いたトウヤの表情が、ぐっと歪むのが、ミソラには見えてしまった。
 明かりがあるのはあそこだけだから、トウヤからこちらは見えないのだ。ミソラが見ていることを、多分意識していないだろう。一方的に覗いているのはやっぱり卑怯に思えて、少し苦しくなる。……トウヤはきつく目を瞑ってから、開いた。それから本へと意識を入れ始めた。
「帰りたいよ」
 率直な思いが、夜の静けさに溶ける。ミソラはすがるように、胸元のリナを抱きしめた。
「もう誰も残っていないけど、今でも、帰ってみたい。もう一度、あの町に行けるなら……」
 その顔が目に入らないように、ミソラは瞼を下した。けれど、耳に入る声は、どこかで幸せそうに、聞こえた気がした。
「父さんがやり残したことがないか、自分で探してみたいな」





 タケヒロがねぐらを後にしたのは、その少し前だった。
 ミソラとは根本の原因は同じで、理由は別だ。結局タケヒロも同じように寝つける予感がしなかった。眠たげなポッポ二羽をお供に乗せて、夜更けの町を徘徊する。裏路地を夜に出歩こうなどと言う気は、ココウの治安の悪さをよく知っているタケヒロならば到底起きないはずだが、今日は別だ。嫌な胸騒ぎがして、いてもたってもいられない。
 闇に紛れて悪者がいないか、はじめは慎重だった足取りは、段々大胆さを増していって、ついには走り出していた。夏の終わりと言え冷たい砂漠の夜風を、切り裂くように駆けていく。倒れたトタンを鳴らし、塵山を飛び越えて、走る。けれど目的の場所に辿りつくまで、いつもの倍くらいの時間がかかって感じられた。タケヒロは焦っていた。
 息を整えながら、見上げる。
 土産も何もない。気恥ずかしさを紛らわしてくれる友人も、隣にはいない。――そして、会いたい人が中に居るのかどうか、それも分からない。レンジャーの、アズサの家は、どの窓も真っ暗で、なんの気配もしなかった。
 別に、取り立てた変化はない。暗いのは、だって普通だ。寝てるに決まってるんだから。暗くて当たり前。だから、心配なんかしなくていい。秘密基地に帰って寝て、朝になったら、また来ればいい。
 それでも、目が離せなかった。じっと吸い込まれるように、沈黙する二階の窓辺を、タケヒロは見上げていた。
『明日迎えに来る。ユニオンへ戻るぞ』
 反吐のする、男の声が蘇る。
『ユニオンに来るんでしょ、これからは一緒に働けるね!』
『ごめん。ユニオンには行かない』
 行かない、という、希望をくれた彼女の声が、蘇る。
 そうだ。ユニオンになど、あの人は行かない。連れていかれたりしない。そうだ。だって、本人が嫌だと言ってるんだから。
 けれど。もし。
『遠いって、どんくらい?』
『ココウから出たことのない坊主には、想像もつかないくらいだな』
 行ってしまうとしたら。
 追いかけていけない距離だとしたら。
 ……走るのをやめて、息も整えたのに、鼓動が激しさを増している。病的な胸の高鳴りに思わず心臓の上を押さえた。体の芯から湧き出している感情に、タケヒロはやっと気づいた。その正体は恐怖。俺は、恐れている……。
 ――ぽん、と肩を叩かれて、絶叫しながらタケヒロは飛び上がった。
 振り返りざまにバランスを崩して尻餅をつく。口から飛び出さんばかりの心臓を押さえつけながら見上げれば、ついさっきまでタケヒロの肩にとまっていたはずのポッポが、背後に寄っていた人物の両肩にすまし顔で収まっているではないか。相棒たちに若干怒りも覚えながら、言葉も発せず、タケヒロは拳をわななかせる。……それを見下ろしながら、グレンは飄々と、タケヒロの肩を叩いた右手を上げた。
「よお、坊主。夜遊びか?」
「ふざけんなてめぇ……ぶっとばすぞ……」
「飛ばせるもんなら飛ばしてみろ、なぁ?」
 問いかければ、ポッポ達は大男に同調するように体をその頬に摺り寄せている。なんて薄情な連中だ。心の中で毒づきながら、タケヒロはようよう立ち上がった。
 ぺんぺんと尻を叩いて埃を落とす。先程までの感傷と拍動は、すっかりどこかへ消え失せてしまった。グレンはその様子を何となく嬉しそうに眺め、顎を擦る。
「久しぶりだな、坊主」
 その挨拶は、どこまでも突拍子もない。負けないよう、踏ん張るようにしっかり地に足をついてから、手を腰に当ててタケヒロは顔を上げた。
「なんでさっきそれ言わなかったんだよ、昼間、酒場で話した時」
「何だ、言って欲しかったのか? でもミソラが居たろ、俺とお前が知り合いだって聞いたら、詮索してくるぞ」
 そこまで言うと、にやりとして、わざとらしく声を潜める。
「お前が昔トウヤにひっついて回ってたのも、すぐにバレる。あいつに知られるの嫌だろ?」
 その後はひとしきり笑った。揺れる肩の上で、ポッポの二羽が、興味深そうに主の様子を見ている。……タケヒロはむっとしたまま、腕を組んだ。
 男に背を向ける。目の前に、女の家の、今は開かない扉が見えた。
「……お前って、いいやつだよな」
「ん?」
「なんでお前みたいないいやつが、あいつと友達なのか分かんね」
 なんでこんなとこでこんな奴と立ち話してんのかも分かんねぇけど。チラと見上げる二階の窓。消灯したままだ。これだけ騒がしくしても起きてこないのか。相当熟睡しているのか、それとも、もう、ここに彼女は。
「あいつって、トウヤのことだろ?」
 ちょっと嫌味なくらい、グレンは真剣に悩むフリをしている。
「……強いから、かな?」
「は?」
「ココウにいる俺以外の人間の中では一番バトルが出来るからな。バトルが出来る奴とは、つるんでおいて損はない」
 平然と、大男の声はそう言ってのけた。……呆れた。それが正直な感想。タケヒロの抱いている友情のイメージと彼のイメージとは、そんなに落差があるのだろうか。
「……それだけ?」
 眉をひそめて問う。本当にそれだけなら、あいつにさえ同情してしまう。グレンは少年とは目を合わせず、彼の見上げていた二階を、手癖のように顎を撫でながら見上げた。微笑む。哀愁じみた情の色が、その目尻に見え隠れした。
「まぁ、それだけじゃないが……」
 タケヒロの汲み取れない裏側の意思を内包して、声は夜の端に消えていく。追随の手は許さなかった。素早い切り返しで、男は少年の円心に矢を放つ。
「お前こそ、どうしてミソラと友達やってるんだ」
「あ?」
「俺よりお前の方が不自然だろう。捨て子のグループから一人外れて、誰ともつるもうとしていなかったお前が、ミソラが来た途端急に尻尾を振り始めて」
 黙って視線を向けてきたタケヒロに、にやりと笑んで、男は肩をすくめる。
「トウヤにもう一度近づくために、ミソラと友達になったんじゃないのか?」
 タケヒロはすぐには答えなかった。
 宵を吹き抜ける乾いた風が、少年の汚れた頬を撫でる。いつも光を絶やさない瞳は闇の中にも爛々と輝いて、目前の男を捉えていた。動揺も怒りもない、無にほど近い、らしからぬ冷静な光。その双眸がじわりと細められると、主人の気配の変化を察したのか、ポッポ達がその方へ舞い戻った。一羽は肩の上へ、もう一羽は、頭の頂点へ、ぽすんと。
「……もういっぺん言ってみろ」
 それが引き金だったように、むすっと不機嫌を露わにする。握った拳を突き出して、低く強めた声で、タケヒロは告げた。
「本気でぶっとばすぞ」
「ハハ、そうかそうか。それは悪かった。じゃあやっぱかわいいからなのか?」
 どこまでも茶化そうとするグレンに、ちげえっつうの! と今度こそタケヒロは直球に否定をぶつけた。
「別にあいつがどうとかかわいいからとか関係ねぇよ、最初に俺のピエロ芸を見た時、ミソラ、俺のこと凄いって言ってくれて……フツーに嬉しかったんだよ、悪いか!」 
 噛みつくような勢いは既に沸騰気味だ。ぎりぎり笑いを堪えながらという感じで、グレンは言葉を受けた。俺とトウヤもそんな感じだぞ、と。
「こーんなちっこいサボネアが、嘘みたいに強くてな」
「聞いてねぇよ同じにすんな」
「ココウで最初に会った時の話、したことあったか? スタジアムに行くために花屋の裏あたりを歩いてたんだよ、そしたら突然小汚いガキが空から」
「だから聞いてねぇし興味ねぇって!」
 ……でも、と少し威勢が弱まる。グレンは飄々として首を傾げ、言葉の続きを待っていた。
 軽く喉を鳴らしながら、頭に乗っている方――ツーが、タケヒロに問いかけてくる。頭上の見えない相棒をちょっと見上げてから、タケヒロはもう一度グレンに背を向けた。
「でも、感謝……はしてる、一応、あいつに」
「ほう?」
「あいつがミソラを連れてきたから。……やっぱ、楽しいんだよな。友達がいると」
 そしてそれは、ミソラだけじゃない。目の前の扉、その向こうの部屋の中を知ってから、今まで知り得なかった類の幸福な時間を、タケヒロは随分と手にしてきた。
 多分、何をするでもなく、ただただ一緒にいるだけで、自分は幸せになれるのだ。ふとそんなことに気付くと、一層失いたくない気持ちが強まって、息が苦しくなる。ミソラと、レンジャーのねーちゃんと、同じ空間にいる、ただそれだけでも楽しくて、そうできるのが嬉しくて、もしそれができなくなったら……唇を噛む少年を後ろから見下ろして、甥か弟を見るような目で、大男は微笑んだ。
「好きなんだな」
 唐突な言葉に数拍固まってから、タケヒロは一瞬で真っ赤になって猛烈に振り向いた。
「はあっ!?」
「分かりやすいガキだ」
 『何を』とは一言も触れられていないことに、タケヒロは全く気付けない。口をぱくぱくさせる純情少年を鼻で笑って、男は踵を返して歩き出した。ご機嫌そうにゆっくりと遠ざかっていく男をあ然として見送りながら、声が勝手に反芻される。好きなんだな。――そうだ。好きだ、悪いか。その人が、明日、もしかしたら。
「――グレン!」
 咄嗟に叫ぶ。名前を呼ぶのは久しくて、でも照れくささよりも衝動が勝った。グレンが振り向く。その男は、タケヒロが知っている中では、おそらく、誰よりも強い男だ。
「明日、ねーちゃんが、連れていかれちまうかもしれない」
 そう口にして訴えると、実感がこみあげて、寂しさに耐えがたくなって、悔しくって情けなくって、じわりと目頭が熱くなる。
「俺、どうしたらいい?」
 グレンは肩越しに、真っ直ぐにタケヒロを見て、ふと、うっすら笑んだ。
 顔を戻し、また背を向けて歩きはじめる。拳を握る少年に差し向けたのは、ごく短い言葉だった。
「戦え」
 それ以外にない、と、言外に圧する重厚な一音。
 ツーとイズとは、頼もしい羽ばたきで応えるのに――それがとびきり苦手だから、頷けもせず、虚空を仰ぐ。
 こんな日に限って、月は燃えるように白く、鮮やかに輝いている。あれが朝焼けに替わった後、俺は……一体、どうするのだろう。







 
 
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