「……つまり、要約すると……」
 香ばしい焼き魚の切り身を左頬に頬張ったまま、ミソラは緊迫の表情で問うた。
「ご両親が亡くなったのは、『死の閃光』を止めようとして巻き込まれたから、事故だった、ってこと……ですか?」
「そういうことだ」
 平べったい魚介の燻製を奥歯で引き千切りながらトウヤが頷く。
 ミソラは両目を大きく見開き、カリカリの素揚げにされた小魚を一尾、指でつまんで口に放り込んだあと、
「じゃあ、ミヅキちゃんが『弟が殺した』って言ってたのは」
「僕のために親が死んだのが、それだけ恨めしかったんだろ」
 マリネ。酒蒸し。ほろほろの煮付けも何とも美味だ。会話のひとつごとに、それぞれの口の中に、次々運び込まれては消えてゆく。
「え、本当に殺してなかったんですか?」
「本当に殺してなかったんだ」
「じゃあ」
 給餌皿に大量に盛られたぴちぴち跳ねる鮮魚たちを、赤白の竜が目を輝かせて踊り食いしている。リナも最初は引いていたが今や完全に捕食者の顔だ。彼女らの獰猛さを見ていると、隣で干し肉を食っているドラゴンと、顔に並んだ穴の中にポケモンフードを黙々と入れている案山子草が、まだかわいらしく思えてくる。
「私が、ご両親を殺されたミヅキちゃんの復讐のために、人殺しのあなたを殺すと言っていたのは……?」
 軽快に語っていたトウヤが、あんかけのかかった小魚の揚げ焼きにフォークをざくりと突き刺してから、すいと目を泳がせた。
「両親を弟に殺された可哀想なミヅキちゃんと私を拾って育ててくださったあなたとの間でこんなに苦しんでいた私の気持ちは……?」
 答えない。
 ぽきしゃくと咀嚼音を立てながら、まずそうに顔を逸らしている。
「……あなたたちきょうだいって、どれだけ私を振り回したら気が済むんですか……?」
「文句なら姉さんに言ってくれよ」
「え、私あなたを殺す正当性ないですよね……? 今更どうしろって言うんですか、もう既に一回刺してるんですけど……」
「そりゃあねミソラちゃん、ワカミヤ一族に関わったのが運の尽きよォ」
 奥のキッチンから給仕係の『ハギヨシオ』がやってきた。白身魚のフライをてんこもりした皿を両手のひらの上に乗せ、更に豪勢な刺身盛り合わせが金色のサービングカートの上に置かれ……いや、サービングカートではない、デスカーンだ。
 刺身皿と追加オーダーのドリンクを乗せたデスカーンが四足(腕)歩行でやってきて、デスカーンの上に座っている彼が、それらをひょいひょいと配膳していく。決して広くはない台所に向かうときも戻るときも、ヨシオは常に黄金の棺に腰掛けたまま、自身では一歩も歩こうとしない。とんだものぐさだった。よく見るとデスカーン自身は、雨に打たれる野良犬のような実に物悲しい顔をしている。
「関わる者を尽く不幸にするよなあ君たち一族は」
「ヨシくんだって一族だろ」
「トウちゃんやミヅキ姉ぇみたいに苗字を継いでないからさあ」
「その呼び方やめろって」
「その呼び方やめろって」
 まだ食う? 作りがいある! と喜色満面に言い、踵でドゴンと体側を打つと、デスカーンが渋々動き出す。あまり良好な関係ではなさそうだ。
 岬の霊園の端、海を臨んで建つこの粗末な小屋は、飲食店でもなんでもないただの休憩スペースだ。ヨシオはこの場所に住み着いていて、誰彼問わず料理を振る舞うのを今生の楽しみにしているのだとか。ひょろりとした細身の体躯に、黒よりはアッシュグレーに近い枯れた質感の髪。不健康に落ち窪んでいる目元のどことなく冴えない涼しさが、ハギというよりはトウヤに似ていた。確かに二人は『いとこ』なのだ。
「あいつ、気をつけろよ。僕の知り合いの中で一番性根が腐ってる」
 そいつが揚げたあつあつのフィッシュフライを口にしつつ、トウヤが台所を顎で示す。今日のトウヤはよく食べた。一昼夜飲まず食わずだったミソラももちろん腹ペコだったが、あの少食がミソラに比肩するほど貪り食っているのだから凄い。負けん気が起こってミソラも必死に食いまくった。ヨシオの飯は魚ばかりだがどれも旨かった。
「いつから知り合いなんですか?」
「七つくらいのときかな。それからしばらく会ってなくて、ワタツミにいると知ったのは何年か前だけど」
「どうしておばさんに教えてあげなかったんですか」
「だって」
「戻らないよー、ココウみたいなド田舎死んでも戻ってやるもんか」台所から顔だけ突き出したヨシオが、べっと舌まで突き出して自ら答えを示してみせた。「あの束縛クソババアにも金塊積まれたって会ってやるもんかぁー」
「僕も随分悩んだよ。でも、会わせられないだろ、こんなの」
 茶で油分を飲み下し、油で光る唇を拭う。
「親の締め付けが嫌で飛び出していったなんて、おばさんが知ったらどう思う? 知らない方が幸せなこともある」
「でもっ、」
 死んだと思っていた方がマシだと言うのか。
 ミソラは多少の怒りを覚えて、前かがみになりさえしてトウヤを真正面から見つめ、
「せめて、生きていることくらいは、」
 ごく真剣に説得を試みて、
「教えてあげっ……、んふっ」
 言い切る前に噴き出してしまった。
「すみません」
「人の顔見て笑う奴があるか」
「話に集中できないので、それ外してもらえません?」
 出会ったときからずっと掛けている、黒縁丸眼鏡のもさい『ゴースグラス』――ただでさえ見慣れない髪型になったトウヤの顔を更に見慣れない有様にしている異物を、赤黒い指先で少し持ち上げ、「あー」と彼は顔をしかめた。
「ないと見えないし、見えないと声も聞こえないんだ。不思議なことに」
「今は幽霊見えなくてもいいじゃないですか」
「ん?」
 トウヤがきょとんとする。
「え?」
 なぜだろう嫌な予感がした。
「……あ、そういうことか。ミソラ結構『強い』んだな。羨ましい」
「ま、待ってください強いって何が」
「これ」
 トウヤがテーブルの下を指差した。
 先程からずっとトウヤの足元に絡みつき、ドラメシヤやドラパルト含む他のポケモンたちが喜んで食っている餌や魚に見向きもしないポケモンである。
「……カラカラでしょ?」
 そうでなかったら何なのか。
 うんうん、とトウヤが頷いた。
「カラカラのおばけだ」
「お、ば」
「で」
 指がすいっと上がって、台所を指差した。
「あれが」
「もういいです分かりました!」
「はぁいニンゲンのおばけでぇす」
 壁の向こうから笑顔を差し向けたヨシオの首がにゅううんと伸びてミソラは絶叫した。おばけの作ったごはんを食べて、ゾンビになったりはしないだろうか。


 *


 ハギヨシオの享年は、十歳ではなく十二歳である。
 暇というものが大嫌いな子供だった。ヨシオの幼少期の記憶は退屈という感情で埋め尽くされている。スタジアム以外に何もないココウの町はヨシオの器には小さすぎ、荒んだ土地柄過保護にもなりがちな母親の干渉も煩わしい枷のようなものだった。家出を企み、実行するようになったのは、ほんの六つの頃だ。七つになると相棒のドラメシヤと共に港町ワタツミまで辿り着くことに成功した。捕まっては実家へ連れ戻されるの繰り返しだったが、少しずつ路銀を貯め、それをほんのちょっぴりの金塊に換えて、ワタツミの霊園の端にある物置小屋の床板を外し、穴を掘って埋めて隠した。
 すべては船に乗るためだった。
 海の果てを目にすれば、この空虚な退屈の檻から自由になれると信じていた。
「おばさんに血のついたスニーカーを見せてもらいましたよ、ヨシくん……さんの遺品なんだって」
「あーあれね、マトマソース」
 ……どおりでヴェルが必死に匂いを嗅いでいたわけだ。
「こうすれば襲われて死んだって勘違いしてくれるかな? って思って」
 十歳になった年の雪解けを待って、かねてからの計画を実行した。結果は大成功だった。あれほどしつこかったハギの捜索が、ワタツミまで辿り着いても一向に及ぶ気配がない。実際その頃、ハギはマトマソースの染みたスニーカーを抱き、ヴェルと共に物騒なココウのスラム街で一人息子を探し回っていた。
「いける! 遂に船に乗って海を越えるんだ! って、意気揚々とこの小屋に来たよね、俺」
 波乱万丈の大冒険を語るが如く、ヨシオは楽しげに力をこめる。
「そしたら、食ってたわけですよ、俺の金を。コイツがさ」
 尻の下に敷いているデスカーンを、靴裏が強めに殴打した。
 どこぞのトレーナーに捨てられたらしき野良デスカーンだったのだと言う。嵐の夜だった。暴風と荒れ狂った波飛沫の叩きつける岬で、行き場のないデスカーンの方もようよう食事にありついたところだった。罪の意識なき盗人と、積年の野望を一瞬にして藻屑にされた少年は、一晩にわたる死闘を繰り広げ、遂に少年のドロンチが勝利をあげた。デスカーンの体の一部と化した金が戻ってくるわけでもなかったが。
 ボールを買う金すら惜しかったので、デスカーンはこっぴどく痛めつけて子分にした。従者と子分を引き連れて、ワタツミで資金繰りに奔走し、スられたり儲け話に騙されたりを繰り返して、まとまった金ができたのは二年後だった。
 念願のチケットを買い、遂に明日出航、というところまで来た、ヨシオ十二歳の冬。
 事件は起きた。
「ミソラちゃん、デスカーンに入って寝たことある?」
 小首を傾げつつ、ひとかけらの邪気もない笑顔で問われる。あるわけがなかった。
「意外と落ち着くんだよねー、風も入らなくて快適だし。冬場は特に重宝するんだよ、デスカーンのトレーナーは野営では寝袋いらずってね。あとで寝てみたらいいよ」
「結構です……」
「ま、やめといた方がいいけどね。いくら慣れさせたと思ってたって所詮ゴーストタイプだし、それ以前にポケモンだし」
 裏切られ、寝ている間に呪い殺された。
 期待が最高潮まで達した段階で、絶望へ叩き落とす。もっとも効果的な方法で、デスカーンは復讐を遂げたのだ。
 格下に見ていたものに最後の最後で寝首を掻かれる、実に呆気ない幕切れ――かに思われた。
「こんなところで終わってたまるかー、って思ってさ、俺」確かに見える足や、明るくこざっぱりとした語り口を聞いていると、彼がこの世のものでないなんてどんどん疑わしくなってくる。が、その体がデスカーンの本体からいっときも離れないのも事実なのである。「逆に、こいつに取り憑いてやったのよ」
「取り憑い……?」
 そろそろ現実味がなさすぎてついていけなくなってくる。
「そう! 俺って元々霊感強いほうでさ、幽霊になっても超強くて、まあ未練? ってのもあったのかな? とにかくデスカーンを呪ってやったんだよね。で、こいつの霊体の部分を依り代にして、俺はこうして現世にとどまっているというわけ」
「……すみません、よく意味が……」
「取り合わなくていいぞ」便所に篭っていたトウヤがよろよろと戻ってきた。胃に急に物を詰め込みすぎて吐いたらしい。
「要はさ、間借りしてんのよね、デスカーンの体に。ルームシェアってヤツよ。アハハ」
 ――そう言って笑うヨシオの下にあった、デスカーンの悲壮な顔が頭から離れない。あの子はいつかきっとヨシオへ報復するだろう、報復のチャンスを今でも窺っているに違いない。当然ヨシオはそれも織り込み済みなのだろうけど。
 ミソラは一人で、一人と大小にょろにょろおばけの三人で、ぶらぶらとお墓の道を歩いていた。
 霊園は見晴らしがいい。立ち並ぶ墓標はどれも薄墨色だがデザインは趣向に富んでいて、お洒落で華やかなものもあり、少なくとも恐ろしい雰囲気ではなかった。ぬるい潮風が心地よく吹き抜け、たまにすれ違うお参りの人たちも、どれも穏やかな表情をしている。ゆっくり散歩してみると、心の落ち着く、良い場所だ。……もちろん一生ここにいたくはないけれど。
「ヨシくん、さんは、ずっとここにいなくちゃいけないんだよね」
 ドラパルトが頷いた。
 デスカーンとルームシェアしているヨシオだが、死に場所である岬の小屋からそう遠くへは移動できない。所謂、地縛霊というやつだ。加えてデスカーンから離れることは出来ず、行動範囲内でも必ずデスカーンと共に動かなければならない。食べ物の買い物なんかはすべてドラパルトが担っているそうだ。
 自由に動けなくて退屈ではないですか、と、ミソラは問うた。
 自由を求めてココウを飛び出したヨシオにとって、その不自由は惨すぎるのではないかと思ったのだ。
 けれどヨシオはキョトンとした。それから、吹き出し、爽やかに笑った。ミソラが発した不躾な言葉が、彼の心に一切のわだかまりを残さなかった証左だった。
「むしろ自由だね。俺は幽霊だから本当は食わなくてもいいし、睡眠だって必要ない。でもそのほうが人間っぽいし、人間っぽく振る舞うほうが楽しいから、飯を作るし、昼寝もする。これを自由と呼ばずになんと呼ぶ?」
 ――死と言うものは、もしかしたら、そう恐れるほどのものではないのかもしれない。そう思うと、少し心が軽かった。
 しばらくヨシオの小屋に泊めてもらうことになるようなので、何か手伝いを申し出ると、霊園の掃除を頼まれた。箒とちりとりを持って出てみたが、どこも綺麗なものだ。お参りの人たちが親族の墓地を綺麗にしているのはもちろん、ヨシオのドラパルトが墓守として見回りと清掃をしているらしい。見れば見るほど怖い笑顔で後ろをついてくるドラパルトに見守られつつ、やっと草が植わっているのを発見して引っこ抜こうとすると、ナゾノクサだった。慌てふためいて逃げていった。
「……やることないね」
 相変わらずつきまとってくる例のドラメシヤが、遊ぼう、と言いたげに目の前を行ったり来たりする。
「君、どこから来たの?」
 答えるはずもなく、言われた意味すら分からないと言うように、ご機嫌にグルグルと回っている。生まれたばかりの個体だろうとトウヤは言っていた。非力なドラメシヤの幼生は保護者を求めてドラパルトのいる場所に向かう習性があるのだそうだ。そして、「自分を投げ飛ばしてくれるものを保護者だと認識する」という、一見矛盾に満ちた習性もあるらしい。
 飛び回っているドラメシヤを両手で掴むと、こちらがやましい気持ちになるほどの期待に満ちた目で見上げてくる。
 両手を頭の上へ振りかぶり、
「えーい!」
 崖に向かって、放り投げた。
 曇り空の下、黒く果てしない海に向かい、半透明の頼りない尻尾が、踊るように消えていった。
「……」
 どざん。ばしゃあ。
 波の音がする。
 待てども待てども。
 上がってこない。
「……え」
 飛べるはず、だけど……。おそるおそる崖に近づき、へっぴり腰で、覗き込んだ。隆々ととんがった岩の並ぶ岸壁。荒々しく叩きつける波。あんなところに投げ込まれたらひとたまりもないだろう。あんなところに投げ込まれたら……
 とん!
 と、背中を軽く突かれ、危うくひとたまりもなくなるところだった。
 ドロンと背後に現れたドラメシヤがにぱにぱ笑っている。驚かさないでよお、とへたり込むミソラの姿を見、更に喜んでいる。ゴーストタイプってのはきっとこうなのだ。ひゅるひゅる飛んで壁をすり抜けたり影に溶けたりしていたら、性格も自由奔放になるに違いない。
「自由かあ」
 もっと投げて、と言いたげに胸の中へ飛び込んできたドラメシヤを、抱きとめて、見つめる。
 くりくりとした、好奇心旺盛な両の目。人間とは似ても似つかないけれど、きっとそう、目の奥にある心が似ている。
 ……タケヒロは。タケヒロは、あのままホシナのお屋敷で籠の鳥になるべきじゃなかった、と、ミソラはその顔を見ながら思った。ヒビの綺麗な街並みも窮屈そうにしていたし、専属ピエロの仕事なんかどうせ長続きしなかった。いや、彼は真面目だから、きっと続けただろう。意地になって続けるだけ苦しい思いをしただろう。タケヒロは、死んで自由になった。あのとき死んだから、自由でいられた。
 ――自分を楽にしたいだけの逃避だなんて、言われなくたって、ミソラにはちゃんと分かっている。
 でも、心に蓋をしなければ、悲しいばかりのこの世界を、どうして踏みしめていられるだろう。
「僕たち、友達……」
 になろっか、と、言おうとした。でも改めて言い直した。
「……『もう友達』、だよね」
 ――俺たちもう友達だろっ――
 何も知らない顔で、ドラメシヤがコクンと頷く。
 ミソラも、小さく頷いた。
「じゃあ、ニックネーム考えないと。かわいいのがいい? かっこいいの?」
 やはり言葉が伝わっているのか分からない。友好的に話しかけられているのは感じているのか、嬉しげに尾を揺らしている。
「……『タケヒロ』……」
 試しに口にして後悔した。きっとトウヤもリナたちも困らせる。
「……やっぱり『ドラちゃん』で」
 気に入ってくれただろうか。くるりくるりと器用に縦回転して、『友達』はミソラを笑わせた。





「――えっトウちゃん死ぬの!?」
 振り向いたヨシオが嬉々として叫んだ。人の不幸を喜ぶときのこの従兄弟の食いつきには、死人とは思えぬ迫力がある。
「死ぬって言ったように聞こえたか?」
「やった! いつ? いつ死ぬの? ここで暮らそう! ワタツミで充実のゴーストライフだ!」
 前に会ったのは今年の始め頃だった。特にここひと月ほどで起こった怒涛の出来事の数々は、退屈が化けて出ているような彼への土産話には上出来だ。
 岬の小屋には地下室があり、そこはヨシオの大量の趣味収集品でちょっとしたダンジョンになっている。怨霊と化してからのヨシオが、暇を拗らせて掘り進めた――いや、デスカーンに掘らせて作った秘密基地だ。文字通り尻に敷かれているデスカーンの境遇にはトウヤは同情を覚える。助けてくれ、いっそ殺してくれ、と訴えかけてくるしょぼくれた目は、健気でいて、ゴーストポケモンとは思えぬ謎の凄みも有していた。
「死、いいよォ。楽になれるよォ。はやく楽になっちゃいなよ。怖いなら、俺が楽にしてあげよっか……?」
 暗がりから伸びてきた手が肩に乗り(そう見えるだけで、触れられている感触はない)、囁きかけてくる甘い声。転がっていたメレシーの死骸を鼻先で突いていたハヤテが、グルル、と牙を剥いて威嚇した。
「ハヤテやめとけ。そうやって相手をするから付け上がる」
 まだ死んでやれないよ、と、カンテラを預けながら答える。右手の状況は相変わらず思わしくなく、カンテラくらいの重みすら握っていられなかった。片手でものを持ちながら片手で作業できなくなったのは辛いところだ。
「責任持って片付けなきゃいけないことがたくさんあるんだ」
「死んでからじゃ出来ないの? それ」
「出来ない」
「じゃあ仕方ない」
 ミソラちゃんのこと? それともミヅキ姉ぇのこととかー? 目的の品の捜索を再開しつつ、片手間に問うてくるヨシオ。ずけずけと他人の領域に踏み入る癖してその内側に興味はなく、笑いながら踏み荒すことに喜びを見出す悪趣味な男だ。この低俗が、トウヤが最も掛け値なしに付き合える人物の一人なのは、彼が低俗だからとも言えた。
 狭い地下室は部屋とは言い難く、ギリギリ道の体裁は成している。デスカーン一体分通れる程度の細い洞窟だ。どこまでも下り急勾配の道なりに、棚に並んだり並ばなかったりする大量の珍品が溢れている。珍しい色の石。どこぞの民族衣装。謎の土偶は転げて腕が折れている。ここに貴様の古墳でも作るつもりか。物色に集中していると、足を滑らせて転げ落ちかねない。
「姉さんのこともある。色々だ。君と違って、付き合いが多いもので」
「よく言うよねそのクソ陰気な性格で」
「抱きたい奴もいるし」
「へぇ。女? ドラゴン?」
「赤ん坊だ」
「はー! そっち行ったかあ流石だわ敵いませんなあアッハッハ」
 一人になる機会があったらハシリイに電話を掛けてみようと思っていた。番号は諳んじられる。一人にしてくれる機会がやってくるかはさておき、だが。
 マフラーで口元を覆いながら埃まみれの段ボール箱を開け、手のひら大の金属製の小箱を取り出し、側面に記載された型番を確認していく。背後、デスカーンの四つの手で次々差し出される小箱を寝そべりながら流し見ていたヨシオが、お、と声を上げる。
「みーつけたー。型番TS−102」
 立ち上がり、寄ってきたハヤテと共に、ランプで照らして覗き込んだ。
 錆びついた古めかしい小箱は、とっくの昔に廃盤にされた入手困難の代物だ――技マシン、『流星群』。
「ちゃんと動くんだろうな」
「俺は未使用品しか集めない、価値のないものには興味ないね」
「……本当に使っていいのか?」
「そのためにうちに来たんでしょーに」ヨシオはくつくつと肩を揺らした。「ただし相当難しいよ。そのバカ竜に使いこなせりゃいいけどね」
「やるんだよ」
 ふんすふんす、とハヤテが鼻息を荒げて応えた。
 残り九日。ココウで、一方的に押し付けられたミヅキとの約束がある。無論、メグミを簡単に譲ってやるつもりはない。けれど今のトウヤたちの実力で、あの怪物めいたバクフーンに太刀打ちする術もない。相性を考えれば、ハリよりも、有利を取れるハヤテの強化に重点的に時間を割くべきだ。
 技マシンを使って強くなるのは、ドーピングと同じで、トウヤのちっぽけな流儀に反する。ヨシオに借りを作るのも気乗りはしない、だけど悠長にプライドに拘る余裕はなかった。手段は選べない。時間がないのだ。――九日、という日数だけじゃなく、人でないものと化していく己の行く末が見えるほど。
 とにかく、時間の許す限りは、力を尽くしたい。生きていたことを証明したい。
「よし、早速特訓だ」
「暑苦しくてやになっちゃうね。ねーハヤテ」
 首を振って否定しようとしたハヤテが、目を丸め、その首を背後までグルリと回す。
 階上の暗闇から、軽い足音がとてとてと駆けてきた。
 やがて明かりの中に、水色の片耳がひょこんと現れる。
「なんだ、リナか」
 光を弾く赤い瞳が、みゃあみゃあ、と何かを主張した。今はトウヤの手の内にある『流星群』の技マシンへ、その視線は注がれている。
「……リナも技を覚えたいのか?」
「いいねえ向上心は大事だよ」
 ヒビのポケモンセンター前での惨事を、ボールの中にいたリナも目にしただろう。長い時間を共にした身内のため、打倒アサギに燃えているのは彼女も同じと言うことだ。この小兎を、いつまでも小兎と、軽んじていたのかもしれない。
「でも『流星群』は厳しいかもな」
「よしよし、ニドリーナ向きの技を探してあげようね。オラッ働け」
 蹴られたデスカーンがいそいそと手を動かしはじめる。
「ニドリーナは器用そうだし、サポート系の技がいいかな? 『毒菱(どくびし)』なんかどうだろう」
「好戦的な性格なんだ、サポートは向いてないかもしれない。すばしっこくて体術が得意で、他にも」忘れがちだったリナの個性を、ふと思い出した。「……毒が作れない。毒タイプを欠損してる。その代わり、『冷凍ビーム』や『十万ボルト』を教えなくても使いこなした」
「毒が作れないのに氷や電気は作れるのか、変わってるねェ」
「炎も作るんだ。多分、『目覚めるパワー』」
 もしかしたら『流星群』も何かの間違いで覚えるかもしれない。
「どっかのバカ竜より使いこなせたりしてェ」
 怒ったハヤテの鼻先が、すかっ、とヨシオの胴体あたりを通り抜ける。それを見、ぶわっと体毛を膨らませて飛び上がったリナが背後の棚に激突した。
 ころころころ、と足元へ転がってきたある技マシンを、嗅ぎ、前足で挟んで二足歩行で差し出してくる。運命でも感じたのだろうか。ランプにかざして型番を確認。今でも一般に流通しているものだった。トウヤは苦笑いを浮かべた。
「これは流石にちょっと……」
「えー、面白そうじゃん」
「ミソラっぽくはあるけどな」
 ――技マシンNo.15。『破壊光線』。



 地下室兼洞窟を抜けると、砂浜に出る。岬の先端付近の岸壁に沿った幅十数メートルの小さな浜は、洞窟以外のどこからも接続することはできない。プライベートビーチというわけだ。ヨシオの行動範囲の限界がここで、その境界を越えると危うく成仏しそうになるのだと言う。とっとと成仏してしまえ、とは、幾度となく口にしてきた。
 波打ち際にハリと、遠浅の穏やかな波の中に、ミヅキの姿を模したメグミが居た。『トウヤ!』とメグミは嬉しげに、実物の姉とは真反対の好意的な面持ちで手を振っている。そして、その右手を高速で水中へと振り下ろした。
 パァン、と魚が一匹、海中から弾き出される。
 メグミはそれを鷲掴みすると、おもむろに上を向き、頭から丸呑みにしてみせた。ミヅキの顔のままで。
 ハリの無表情がこちらへ恨めしげに向いてくる。メグミの守りを任せておいたが、塩水が苦手で泳げもしないハリは海へ入られれば打つ手無しだ。好物の魚をたくさん食えて、我らが姫君は機嫌よくしている。追っ手はどことも知れないのに、呑気なものだった。
「状況が分かっているのか、いないのか」
 ああでも、と、トウヤは目を細める。
 メグミが呑気でいられる状況が、一番好ましい。昔から彼女はこの街が好きだ。だからトウヤは逃走先として真っ先に、ワタツミの海を思い浮かべた。
 この浜なら、少々狭いが、リューエルの目を気にせず技の練習に勤しめる。岸壁の日陰に荷を降ろし、左足にずっと引っ付いていたカラカラ――ナミに番を頼んで離れさせた。何事かと寄ってくるヒトデマンを骨棍棒で追い払おうとしているが、ヒトデマンのほうはナミの存在に気付いてすらいない。結局トウヤが追い払った。
 座り込み、例の技マシンの作動を確かめる。レバーも硬いが回るし、開口パーツの動きも悪くない。年代物だが問題はなさそうだ。
 技マシンには、ボックスに付属するアンテナの先端をポケモンの体に触れさせる旧型と、開口部にモンスターボールを格納してレバーを回すだけの新型がある。これらボックスタイプ以外にも、先進地では安価で大量生産の可能なディスクタイプのものが開発されつつあるらしいが、特殊な磁場を浴びせ、技に関する潜在能力の覚醒を促す、という点ではどれも仕組みは一致している。ボックスタイプの中で比較するなら、ポケモンの体格や体の組成に寄らない分、新型のほうが効果が安定していると聞く。
 トウヤが技マシンを好かないのは、人工的にポケモンを改造するような趣きが苦手だからだ。ただ広く世間的に見れば、トレーナーの間ではポケモン強化グッズとしてかなり浸透してきている。理論的にはほとんどの技の技マシンを作ることは可能だそうだが、一般販売を認められている技マシンは、多くの種族に汎用性があり、かつ安全性が認められているものだけだ。そうでない『流星群』の技マシンは、技教え専門の資格を有するごく一部のトレーナーのみが所持・使用を許可される。ヨシオも、もちろんトウヤも、選ばれし人間であるはずがない。
「でも、なんで『流星群』?」
 棺桶の蓋の上に寝そべって日光浴をはじめたヨシオが問う。
「ガバイトに覚えさせるならもうちょっとある気もするけどなあ。対バクフーンを考えるなら、それこそ『地震』のが相性もいいし」
「『地震』か」
 グレンが好きだった。敵味方問わず広範囲に被害を及ぼす派手な技だ。
 ココウでの戦いで、トウヤはハヤテに『逆鱗』を使うなと命じた。ハヤテはアサギに追い詰められ、タケヒロを守るために『逆鱗』を発動し、結果としてイズを失った。
 封印する『逆鱗』の代わりに習得させる技が、味方を傷つける技ではだめだ。あれに匹敵する必殺技、出来れば美しい技で、強敵に立ち向かえる勇気をハヤテに取り戻させたい。
「……負けたくない奴がよく使ってたんだ、だから好きじゃない」
「トウちゃんそういうとこあるよねえ」
 ヨシオが失笑する。
「あとはねー『ワイドブレイカー』知ってる? 最近仕入れた」
「初めて聞いたな」
「相手の攻撃力を下げるよ。あの筋肉ダルマ対策にはアリかも」
「カッコいいだろ、『流星群』のほうが」
 日によく晒し、マシン内部の構造に錆がきていないことを確かめ、息を吹きかけて埃を飛ばした。
 リナと何やら話し込んでいたハヤテを呼び寄せ、ボールに収納し、それをマシン内部にセットする。蓋を閉じ、ひと思いにレバーを回した。がこっ、と手応えがして、そのあと見た目に変化はない。耳を寄せると低い駆動音が小さく聴こえてくる程度。
 これだけで、ものの数十分で技を覚えるというのだから、不思議なものだ。
「アサギを倒すために特訓するんだよね」
 睡眠欲などないくせに、退屈、を示すためだけに、くわあとヨシオが欠伸をする。
「倒して、そのあとはどうするのさ?」
 顔をあげた。
 迷惑そうに目を据わらせるノクタスにぱちゃぱちゃと水をかけ、きらきらと笑っているミヅキ――メグミ、いま脳が認識しているのはどちらの笑顔なのだろう、それを眺めながら、トウヤは黙って続きを聞いた。
「メグミを連れて、一生逃げ惑って暮らすわけ? ただでさえ人より短い人生になりそうなのに、無駄にしてんなァと思うけどね」

 ――俺があんたをぶっ殺してやるッ!!

 自分が叫んだ声が、頭の中を反響して。
 どこまでも無垢な笑顔と重なる。

 ちらり、と会話相手を見やる。ヨシオは頭の後ろで腕を組み、すっかり目を閉じていた。
 ヨシオは、ココウに戻りたかったのではないか――と思うことが、トウヤにはたまにある。
 金塊を食われ、渡航費用がなくなった。実家に戻って立て直してもよかったはずだ。けれど、ココウでヨシオがいた場所には、入れ替わりにトウヤが収まってしまっていた。トウヤはヨシオの居場所を奪った。ヨシオは自分が戻れば今度はトウヤが居場所を失うと理解していた、だから戻ってこなかった。だから、最後には死ぬ羽目になった……。
 ヨシオが自分のことをどう思っているかなんて、本当のところは分からない。ただの従兄弟同士ではないが、決して相入れもしない、微妙な緊張感の残る距離だ。ただ、彼は、バレる誤魔化し方はしないし、そうだと分かる嘘も吐かない。同い年だったヨシオのことを、トウヤはいつも『大人』だと思う。自分を怨んでいてもおかしくはない相手なのに、不思議と信頼も寄せている。
「ヨシくんはさ」
「あいよ」
「姉さんが、本当のことを話したと思うか」
 ――『死の閃光』からトウヤを守るために、両親は命がけで実験場に侵入し、命を落とした。
 語ったミヅキの言葉も表情も、確かに、迫真めいていた。絞り出すように話した姉の憎らしい目つきや唇の歪み、粘ついた味、女の匂い、ぬるい感触、それらの実体験は一昼夜経ってもまだそこに押さえつけているかのように生々しく、トウヤの内側にこびりついている。――だが、内容を冷静になって精査すると、どうも腑に落ちない部分が残る。
「僕は十歳のときにモモを殺して、ホウガを離れた」
「んだね」
「それから親が死ぬまでの九年間、一度たりとも、ホウガから連絡はこなかった」
 別れ際、父はトウヤに向かって『必ず迎えに行く』と叫んだ。その言葉を信じ、待ちながらも、「捨てられたのではないか」という不安もどこかで抱き続けてきた。
 育児を顧みず手持ちのバクフーンに任せ、離れてからは電話の一本すら寄越さない両親だったが、実は息子を心の底から愛していて、命を賭してまで救いたがった。その筋書きは感動的か? 不変の親子愛を感じられるか? どころか、安っぽいハリボテのようだ。三文芝居で喜べるほど、もう楽天家ではいられない。
「つまり、トウちゃんはミヅキ姉ぇの話を信じちゃいないっていうわけだ」人差し指を軽やかに振りつつ、彼はおちょくるように笑ってみせる。「変わったね、トウちゃん。痛快だ」
 それなら確かめに行けばいい、と、ヨシオは続けた。
 トウヤははたと振り向いた。絶え間ない波の音に紛れて、聞き違えたかと思ったのだ。
「……どこに?」
 ざざ、ん。ざざ、ん。
 よいせ、とヨシオが起き上がる。
 この世にもあの世にも触れられる地縛霊兼墓守りの、何もかも見透かしたような陰惨な瞳だ。
「墓だよ」
 緩慢な空気を、たった一言が変容させる。
 男は唾を飲み。
 男は口角を上げ。
 嬲るような潮風が、うなりをあげて、小さな浜辺を掻き回す。

「『幽霊』に聞いてみればいいのさ」





 
 
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