ふと目を覚まし、床の硬さに違和感を覚え、ああそうか、ここは『うち』じゃないんだなと理解したとき、ミソラはひどく落胆した。夢って薄情だ。ヴェルが産んだ手乗りサイズの赤ちゃんビッパを抱く夢なんて、あんまりにも綺麗すぎる。こんなときに見せてくれなくたっていいのに。
 世界はまだ夜の底だった。カーテンのない窓は結露に烟って、寝る前に指で描いたビッパの顔が泣き笑いのように浮かんでいた。部屋は暗いが、ひとつだけテーブルランプがついている。物置と呼ぶ他にない埃とカビ臭いこの部屋で、そのテーブルランプだけが、唯一生きていた照明だった。
 折り畳んで積んであった長机にランプを置いて、こちらに背を向けて座るトウヤは、明かりの下へ視線を落としている。
 眠ればいいのに。微睡みの緩慢とした思考の中に、呆れと苛立ちと混じったものが泡のように浮かんで弾けた。眠れない気持ちも分かる、何せミソラもこうして目を覚ましたのだ。明日布団を用意してやるとハルオミは言っていたが、布団にくるまって寝たところで、おそらくこの部屋じゃまだ寒いだろう。隙間風の吹き込んでいるわけでもないのに、四方打ちっぱなしのコンクリート壁から、冷気は悪びれて伝わってくる。彼のコートはミソラと、隣で眠るタケヒロの足元に掛かっているが、彼が躍起になってビッパたちから取り返した涎まみれのマフラーは、屋内にも関わらず細い首元に巻きついている。
 机の上に、ランプの明かりを浴びて艶めいているものがいくつかあった。
 目を凝らす。ひとつは薬瓶。あの薬。副作用の眠気を逆手に取ろうとしたらしい、寝る気はあったし努力もしたのだろう。昨日も服用して、いまいち寝付けていなかったけれど。
 もうひとつ――複数になってはいるけれど、元はひとつだからひとつ――は、一対の半円球、それから小さな金属部品である。
 メグミのは帰ってきていない。ハリもハヤテもリナもツーも、今見当たらないということは、みな中にしまわれている。抱いて寝たら温いだろうが、ポケモンたちはボールの中で眠った方がもっと温いだろうから、中で眠らせることにしたのだ。
 分解されているのは、主のいないボール。
 正確には、主を失ったボールだった。
『イズのボール、何かに役立てられないかなあ』
 あんなことをタケヒロが言い出した意図を、トウヤは正しく理解しているのだろうか。ミソラにはまだ分からない。そのまま大事に持っていればいいという助言も受け付けず、壊れてるからこのままじゃもう使えないんだよな、使えるように修理できねえのか、とタケヒロは飄々としたものだった。トウヤは随分悩んでいた。僕には出来ないと何度も断った。だが、『直せないなら、売るか捨てるかするしかねえな』とタケヒロが言うと、折れて、違反なんだぞと言いながらそのボールを受け取った。あれはタケヒロの脅しだったのだろうか、それとも本当に手放すつもりだったのだろうか。どちらにせよ、ミソラには少しショックだった。
 夜半。依頼主の寝静まる中。トウヤは作業を進めてはいなかった。バラバラに分解したイズのボールを前に、頬杖をつき、ぼうと考え込んでいる。
 ミソラはしばらく、動かないその背をじっと見ていた。
 昨晩は満足に眠れていない。ずっしりとのし掛かる疲労に任せ、気絶するように朝まで眠れてもよさそうなものだ。むしろグッスリと寝たくて仕方ないのに、度々に覚醒してしまうのは、何も寒さのせいだけでもないのかもしれない。へどろの詰まっているように怠い体。それを認知している脳に、腫れて痺れているような、嫌な違和感がへばりつき続けている。
『私たち、これからどうなるんですかね』
 アズサは明確に答えなかった。
 トウヤは答えるだろうか。答えを知っているだろうか。
 答えを求めれば、少しは動揺してくれるだろうか。
 迷ってから、ミソラは小さく唇を開けた。
「……眩しいのですが」
 はたと振り向いたトウヤの輪郭が、暗い光に浮かんでいる。
「悪い。起こしたか」
 息に霞ませるような声。それでもよく聞こえた。都会も夜は静かだった。背を向けて寝ている隣を気遣い、ミソラももう少し声を落とした。
「降ってますか?」
「ずっと降ってる」
「すぐ嘘吐きますよね」
「なんで」
 ほんの少し困らせた顔が、溶けるように闇に沈んだ。明かりを消し、トウヤはごろりと横になった。
「嘘じゃあない」
「窓も見てないのに分からないですよ」
「見なくても、聞こえるだろ。雪の音が」
 雪の音?
「そんなの……」
 言いかけて、口を閉ざし、ミソラは耳を澄ませてみた。
 真暗闇の静けさ。
 世界中から取り残されたかのような深閑。
 この音のない音を、雪の降る音と呼ぶのだろうか。
「寝れないか」
 ぼそりと彼が宙へ呟いた。「お互い様ですね」とミソラも宙へ返した。トウヤの息を抜いて笑う気配が煙のように漂って消えた。互いの顔のないままに、この部屋に満ちた闇を介して、触れて包まれるような妙な気配。
 その妙さに、どこか安らいでいる自分がいる。
 ミソラはそんな自分自身に呆れている。
 共有する闇を瞼で塞ぐ。ミソラだけの孤独な闇に、小さな火花がちかちかと光る。それは砂漠の泉の輝きだったり、破壊光線の熱線だったり、月夜のナイフのつやめきだったり、砕けたスピードスターだったり、四人で目を絞った日の出だったり、投げ合った雪玉の白さだったりした。目まぐるしく頭を駆け回っていくものが、眠りへの逃避を妨げる。もう一度目を開ける。藍色の闇。そこに鋭利な火花は散らない。
 ただ、ひとつの光景が、蜃気楼のように、闇の奥に揺らめいている。
 ――光る白穂の波飛沫。
 ココウ近郊のあの草原を、あの海を背負われて進んだこと。
「ミソラ」
 低い声が、空気を震わせて幻影を消した。
「悔しいよな」
 ぽんと投げ込まれた一言に。
 ミソラは顎を引き、闇を睨みつけた。
 ――あなたが。あなたが何を悔しいと言ったのかなんて、私は知らない。何に同意を求めたのかなんて知らない。
 でも、言いようのない感情に、名前が与えられたとき、ごちゃごちゃしていた自分の心が少し片付いたのをミソラは感じた。そうか。悔しかったのか。ミソラの内側で渦巻いている、あまりにもたくさんの色。この都会で、布団もない物置部屋で、汚れた上着を体に掛けて寒さに震えて身を縮めているこの夜に、うまく表現できずにいたものたち。この夜闇に、彼がぽつりと溶かした本音の言葉は、ミソラの中のいくつかを、夜の奥へと、道連れにした。
「でも」
 こちらへ向かない声が、まっすぐに見えない空へ向かう。
「負けないからな」
 しんとした、小さな約束だった。
 うん、と隣で声がした。背を向けて眠るタケヒロが、起きていたのか寝言なのか、ミソラには分からなかった。ただ、二人の声を聞き届けたあと、ミソラの脳の芯の痺れが、溶けるように和らいでいった。いつの間に目を閉じて、いつの間に眠りに落ちていた。夜の水底へ沈んでいく感覚と、柔らかな浮力に同時に包まれる。それはとても心地よかった。
 雪の降る幻想的な音が、かすかに聞こえた。……ような気がした。 





 翌朝。
「――仕事ォ?」
 そして悪態。別にそれでも構わないのだが、ハルオミはいつもだいたいご機嫌斜めなのだった。何を喋るのにもいちいち不機嫌を練り込まなければ気が済まないのか、ここまで不機嫌を貫徹できるのもいっそ才能かもしれない。一対一で対峙することは出来れば避けたいとミソラは思う。でも、彼が職員用の食堂からかっぱらってきてくれたパンはとびきりおいしかったから、やっぱり別に構わないのだった。
「厚かましいことを言ってるのは分かってるんだ」
 その点トウヤは物怖じがない。両掌を合わせ拝んでいる。姿勢が低いと言うよりは、いっそ情けなさを印象付ける仕草である。
「今後のことを考えると少しでも金を貯めておきたい。ヒビの企業はだいたいホシナ組の息が掛かってるだろ、街ごと『出禁』を食らってる身で日雇いでも雇ってもらえるかどうか」
「なんで俺がそこまで面倒見なきゃいけねえんだよ? 世話焼かねえって言ったろが」
「センターの中ならリューエルと鉢合わせる心配もない。君しか頼れる人がいないんだ、掃除とか、何でもするんだが」
「んなこと、急に言われてもなあ……」
 やや癖のある黒髪をガリガリと掻く。トウヤの無茶苦茶な要求を本気で検討してくれているらしい。見るからに不機嫌なのに実態は案外親切なのも、なんだかちぐはぐで面白い人だ。
「何ができんだ」
「え」
「お前はアホか? 何の仕事ならできるって聞いてんだよ」
「あー、えーと、その」
「つか何の仕事してたんだよココウで。ボール技師か?」
 バラバラにされたままのモンスターボールへ目が向けられる。あれは趣味で……と否定した先が続かない。狼狽を沈黙で表現したあと、あっ! と声をあげた。
「料理! ならで、き、るかな……えぇ……っと」一人で言いかけて一人で詰まり、自分の右手へ視線を落とす。「……でき……ないか」
 歯切れの悪さが拍車をかける。ハルオミはいよいよ眉間に『地割れ』みたいな皺を刻んだ。
「腕のことは聞いてる。使えるのは利き手か」
「右利き……なんです」
 狭い部屋に華麗な舌打ちが炸裂した。
 顔面を憤怒に染め、ハルオミは今度こそ踵を返した。
「さっさと来い!」
 ほら、結構優しい。……ハリとハヤテをを回収し、いい子にしてろよ、と言い残して、トウヤは部屋を去った。最後に残った例のハピナスが、ウインクらしき動作を両目同時にばちこんとして、はっぴー、と短い手を振りながら部屋の戸を静かに閉じた。パタン。……カスタードクリームのついた指を舐めつつ、「金か……」とタケヒロが呟く。
「そりゃ、いるな、金は。あんま持ってなさそうだし」
「お金ないから、昨日コロッケ食べなかったのかな……」
「コロッケ買う金もねえのかよヤベェな」
 無職の居候という絵に描いたような甲斐性なしの同情の余地なき懐事情と言え、自分たちとて笑っていられれない問題だ。ミソラがいれば二人分、タケヒロがいれば三人分、ポケモンの餌代も含めればそれだけ、生きていくための出費は嵩む。子供だからと言って、甘えられるような状況でもない。
『悔しいよな』
 夢の中で聞いたようなあの宣誓は、一夜の間に、ミソラの根幹に打ち込まれ、強固な軸と化していた。
『でも』
『負けないからな』
「僕たちも、できることしようよ」
 タケヒロはこちらを見、ややポカンとしたあと、にっ、と彼らしい笑みを灯した。
「……だな!」
 揃って立ち上がる。体の軽さを実感した。寒かろうが硬い床の上だろうが、眠れば疲れが取れるのは子供の特権だ。更に、頼もしい相棒たちが、ポケモンフードで腹を満たした元気溌剌の様相で足元へと駆け寄ってくる。
「やるぜ、ツー!」
 小柄なピジョンはぶるりと両翼を震わせ、
「がんばろうね、リナ!」
 みゃっ! と鳴いて、片耳の二ドリーナはひとつジャンプして見せた。
 机の上では、分解途中のボールが、窓越しの朝日を浴びてつやつやときらめきを帯びている。それに微笑み、背を向けかけて、あそうだ、とタケヒロは振り返った。
「そういや何だったんだ? ハルにいちゃんが持ってきたの」
 そうだった。高ぶる気持ちを抑え、ミソラも室内へ意識を戻した。
 部屋の真ん中にポツンと置き去りにされている紙袋。朝食のパンと一緒に「『ミソラちゃんに』だとさ」とハルオミに押し付けられた品物だ。
 持ち上げた紙袋の中身を同時に覗き込んで、二人は目を丸くした。



 ポケモンセンターの玄関には事務所に繋がる受付カウンターがあり、その前を通る以外の出入り口をまだ見つけられていない。あくまで平然とそこを抜けようとした矢先、「あら」と声を掛けられて、二人と二匹は一斉にびくりとした。いかにも頭の固そうな顔をした女だった。しかも、訝られている。
「あなたたち、確か昨日の……」
 ミソラも、タケヒロも、何とか作り笑いを取り繕う。ホシナ組に目をつけられているから外では働けないとトウヤは言っていた。あなたたちも施設の中に篭っていろと言われてしまったら厄介だ。
 女性は二人の――主に金髪碧眼の子供の方をまじまじと観察し、したかと思うと、合点がいったとでも言うように、パッと顔を明るくした。
「なるほど、ハルさんの後輩ちゃんだったのね」
 よし!
 思わず歓声をあげたくなる。そう――ハルオミのそれとそっくりなデザイン、緑の隊員服に全身を包んだミソラを見れば、誰だって勘違いをするはずだ。
「そうです、私、ポケモンレンジャー訓練生です」これ見よがしに右腕を掲げた。緑のカラーリングのキャプチャ・スタイラーまでちゃっかり装着済みだ。「街の安全を守るため、今からパトロールに行ってきます」
「まあ、かわいいレンジャーさんだこと」
 クスクス笑っている。二人は作り笑いを崩さないまま、いそいそとその場を後にした。
 施設を出る。道は除雪が済んでいたが、植え込みの上にはこんもりと雪が被さっている。通勤時間なのかやはり人は多かった。せかせかとした往来の波に飛び込み流されるまま、二人はとにかく歩きはじめた。
「勝手に出てきちゃったね」
 だって、トウヤもハルオミも、見つからなかったのだ。……というのは言い訳で、本当はろくに探してすらいないのだけど。金を稼ぎに外に行きますと言えば、トウヤはおそらく止めるだろう。ハルオミなんか怒らせたら閉じ込められて鍵を掛けられても不思議ではない。
「でもさ、レンジャーの服くれたってことは、それ着て出かけてもいいってことだろ? まさか寝巻にするわけじゃあるまいしさ。いいんだよ」
「いいんだよね」
「いいに決まってる」
 タケヒロの口は急き頬は紅潮している。ミソラの心臓もまだドキドキと高鳴りがおさまらなかった。
 グリーンの隊員服上下とスタイラーは、アズサが訓練系時代に実際に着用していたものだ。――と、同封のメモにしたためたのはユキみたいだ。アズサに頼まれ、アズサの実家に取ってあった訓練生用の制服を拝借してきて、ユニオン本部からポケモンセンターへ転送してくれたらしい。『がんばれ、少年たち!』と笑顔の顔文字の添えられたメモ書きにはそれ以上の情報はなく、服はミソラのサイズより少し大きく、タケヒロには小さすぎた。
「リューエルとレンジャーってバトルしちゃいけない決まりがあるんだろ、これ着てりゃ、リューエルと鉢合わせても下手に襲ってこないはずだ。トウヤがセンターに缶詰になっても俺たちは外を出歩けるように、アズサが考えてくれたに決まってる!」
 ココウで追われているときもキブツで追われているときも、アズサと一緒にいたのに攻撃されている。タケヒロの論はミソラにとっては信憑性に欠けているが、センターからの外出を許可された理由づけとしては都合が良かった。
 それに、お守りとしても有用だ。
「そのスタイラーも動くみたいだし、いざって時には使えるかもな。あのときアズサに使い方教えてもらっといて良かったじゃん」
「タケヒロ、着たかったんじゃないの」
「俺は教えてもらってないから仕方ないだろ」
「アズサさんのお下がりなのに」
「うっせえ余計なこと言うな」
 どつかれて、笑いあう。きっちりした服に身を包んだ人たちの視線がいくつかこちらを捉えたが、あまり気にならなかった。
 ――アズサが一緒にいてくれる。離れていても気遣ってくれるし、こうやって支えてくれている。
 知らない街を、知らない場所へと歩きはじめた彼らにとって、これほど心強いことはなかった。





 鮮やかなボーイソプラノは、曇天に虹の橋すら架けるようだ。
 信号機のそばの大きな広場。車の乱暴なエンジン音など恐るるに足らず。朗々と歌い、くるくる回り、ピジョンを従え跳ね踊るピエロの少年の純な笑顔は、次第に都会の注目を集めはじめた。
 凄いな。素直にそう思う。ミソラは客寄せをしようと最初は声を張り上げていたが、その必要はなかった。タケヒロ目当ての観衆は寄せずともどんどん集まってきたのだ。
 彼がココウから持って出ていたナップサックの中身は、ほとんどがピエロ道具だった。それすらあればどこでも生きていけることを、彼は今まさに証明してみせようとしている。緑を基調にした彼の勝負服は継ぎ接ぎだらけだが、この継ぎ接ぎは服が滑稽に見えるようにわざとカラフルに仕立てたのだと言っていた。靴底で石畳を叩いて拍子をとり、得意の伸びやかな歌声で道行く人の足を止める。八重歯の覗く懐っこい笑顔が、大人たちを虜にする。連れ歩かれていたフシギダネが、傍の建物の二階の窓からパチリスが、除雪作業員のブーバーたちまで、興味津々と目を向けている。この都会でもタケヒロの芸は十分に魅力的に映るようだ。顔に見合わぬ彼の歌声は天性の美しさを携えているし、モンスターボールを使ったツーとのコンビネーション芸も、単純に子供の技術ではない。
 でも、ミソラが今日、彼らのことを本当に凄いと思っているのは、今日の彼らが『一人と一匹』だからだった。
(イズを欠いたピエロ芸なんて、したことないはずなのに……)
 ほとんどぶっつけ本番に近い彼らの演技は、今や軽い人だかりまで形成しつつある。
 歌う。踊る。観衆たちは体を揺らし、手拍子を打って、中央の子供へ期待を投げる。子供は全身でそれに応える。ツーの片足に掴まって浮き、覚えたての『竜巻』を自身に浴びせてグルグル高速回転し、地面に降りれば目を回した『フリ』をして大袈裟な千鳥足を披露すれば、みな一様に笑顔になった。いなくなった者を思わせる行為の寂寥すら、ピエロたちは瞬時に吹き飛ばしていた。
 負けてられないな。タケヒロの頑張りを感じるだけ、胸が熱くなってくる。食い入るように演技に見入っているリナも、同じように燃えてくれていたらいい。
 終わったら次はスタジアムに赴くつもりだ。今度はミソラとリナが、賭けバトルという『仕事』に挑むのだ。どちらが効率よく稼げるか試し、ピエロ芸もスタジアムもうまく行ったら、明日以降は二手に別れ、それぞれで仕事に励もうと打ち合わせている。
 気付けばあたりはちょっとした人山になっていた。澄んだ高音が伸びやかに響き終わり、ひときわ大きな拍手が起こる。タケヒロがひらりと礼をする。ツーがミソラの元へ飛んできて、投げ賃を入れてもらうための紙箱を咥え、主人の元へ戻っていく。
 芸が終わると、観覧料をせびるために、タケヒロは決まって仰々しい土下座をする。昨日の出来事が過ぎるが、あ、そうか、と、ミソラはふと腑に落ちた。勝つために土下座をしたんだ、トウヤは言っていた。似ているのかもしれない。タケヒロも、勝つために、負けないために、見ず知らずの人たちに土下座をするのだ。
 だが、タケヒロは土下座をしなかった。いや、できなかった。
 思わぬ出来事が、突如彼らに降りかかってきたのだ。
「す、す、す、す」
 変な声がした。膝を折りかけていたピエロは変な体勢で顔を上げた。
「――すばらしいわっ!」
 甲高いのが絶叫した。
 ぎょっとするほど大声だった。
 人々の注目はそちらへ一瞬で奪われた。
「すごい、すごい! 本当に素敵! とっても楽しかったわ、こんなに楽しい思いをしたのは久しぶりよっ!」
 と言いながら駆け出してきて、タケヒロの両手を手に取った。手袋に包まれてもまだタケヒロより小さな手。緩くウェーブのかかっている豊かで長い黒髪だ。ストライプのカチューシャをつけ、品のいいボアコートの下には、たくさんリボンのあしらわれたお姫様みたいなスカートを履いている。タイツに包まれた足の先に、上等なブーツ。いかにも『いいとこの育ち』と言った感じ。
 つまり、昨日の女の子だった。
 足元には五匹のビッパがもちもちとしている。
「あなたの声はヤヤコマのさえずりみたいに美しいしっ、あなたの踊りは火を吹くガラガラのダンスよりもうんとワクワクしてくるしっ、ピジョンと一緒になさる曲芸は前に見たバリヤードというポケモンの曲芸よりも愉快だわ、お父様が連れてきてくれたカントーで人気な曲芸師なのよ!」
 クラクラきそうなほど目を輝かせて彼女はまくし立てた。微笑ましい光景に、観衆だった人々はみな微笑んで、そのままその場を後にした。結局、この日のタケヒロは一銭たりとも投げ賃を得ることができなかった。
「あ、あの」
「ああ素敵、本当に素敵。私とっても感動したの! ねえ私とお友達になってくださらない? いいでしょう? なってくださるでしょう?」
「え? あー、うん?」
「うれしいっ! ありがとう!」
 あんまりに一生懸命だ。余計あしらいづらい。タケヒロはやや身を仰け反らしてこちらを窺った。どうしよう、ミソラ。物語る顔が火照っていた。満更でもないらしい。
「ねえねえ、お忙しいの? よかったらうちにいらっしゃらない? 旅のお話を伺いたいわ、お菓子を食べながらお話しましょ?」
「へ?」
「さ、ほら! 後ろのレンジャーさんも一緒にいらして」
 レンジャーさん、という言葉で、アズサがいるのかと勘違いして振り向いた。当たり前だがいなかった。自分の着ている服のことを思い出し、自分が呼ばれたのだと気付いて驚き、はい! と返事をしてしまった。返事を聞いた女の子の喜びようときたら、ぱーっと雲が割れ日が出て光が降り注ぎ花が咲き乱れる光景を濃縮したかの如くだった。こうなると、ごめんなさい今のは間違いですと平気で言えるのは、よほど残忍な魂の持ち主だろう。それほどの残忍さを持ち合わせていたならば、ミソラはとうに、トウヤを殺してしまえていたはずである。





 ところで、トウヤを殺したがっている自分が、だだっ広い砂漠の真ん中で、当の本人に拾われたという偶然は、果たして偶然であったのだろうか。
 偶然、必然、その二択に分けるならば、必然だったのだとミソラは思いたい。仇に恩を売られてしまうという困難に越えるべき意味があったのならば、歩んできたこの苦い道のりに、まだ救いがあると思えるからだ。この世に起こる全ての事象を操作する神がいるとして、そいつが敷いたレールの上をただ歩かされているに過ぎないのだと言われたら、実際むかっ腹も立つだろう。でも、すべてはただの偶然で、ミソラが苦しんできたことにも何一つとして意味はなく、なんて遠回りをしているのだろう、もっと平坦な近道があるのになあ、と天から腕組みしてせせら笑っている神よりは、意味を持って試練を与えてくる神の方が、信仰を集めるに決まっている。まあ、神だのなんだのの存在を、信じているわけではないのだけど。……でも、その存在を語らずして、この状況を、どう説明できるだろう。
 ルリコと名乗った女の子が立ち止まったのは、豪邸の前だった。
 昨日タケヒロが溝鼠と罵られ、トウヤが土下座をさせられた、あの豪邸の前だった。
「ここよ!」
 ビッパの群れを従えながら、門をくぐり、ずんずんと庭園を進んでいく。度肝を抜かれ立ち尽くしているミソラとタケヒロへ、振り返って、早く早く! とルリコは急かした。有無を言わさぬ笑顔だった。二人は度肝を抜かれたまま、ぎくしゃくと敷地内へ踏み入れた。
 昨日の初老の家政婦――カヨが箒を持ったまま飛び出してきて、瞼をめくりあげ口を開け息を吸い悲鳴をあげかけた。だがそれがヒステリックを起こす前に、「カヨ、お友達を連れてきたの! お菓子を用意して」とルリコが無邪気に命令した。有無を言わさぬその笑顔が、今度はミソラたちに味方した。カヨは穴の空いた風船みたいに息を吐いて、お化けでも見たかのように何度も何度もこちらを見返しながら、よろよろと奥へ引っ込んでいった。
 あっさりと、豪邸の内部へ侵入を果たした。
 これは、偶然なのだろうか。それとも必然なのだろうか。絵本の世界が飛び出してきたような豪華絢爛な家具や調度品にひっきりなしに目を奪われつつ、導かれるままに階段をのぼる。タケヒロは豪邸の主人の隠し子で。たまたま知り合った女の子は、その豪邸のお嬢様で。アズサが紹介してくれた助っ人レンジャーハルオミはタケヒロの従兄にあたる人物で。トウヤは主人に雇われた身で、トウヤに拾われたミソラが雇い主の隠し子と友達になり、更に豪邸のビッパたちがヴェルのひ孫である意味まで考え出すと、何が何やら、こんがらがって、訳が分からなくなってくる。とにかく、今、この瞬間、重要な真実はただひとつだ。
 つまり、この、齢九つの天真爛漫なお嬢様――タケヒロの妹なのである。
「……いっ妹!?」
 指摘すると、刮目して兄が叫んだ。ミソラは慌てて人差し指を立てて制した。君のお父さんは若い使用人とフリンしてその隠し子がタケヒロなんだよだなんて、どうして伝えられようか。
 ルリコの自室。トウヤと共用で使っていた部屋の十倍くらいはありそうだ。いかにもな天蓋のかかったばかでかいベッドが置かれ、その側に大きな鳥籠があり、中でペラップが羽を繕っていた。お菓子が出た。ジュースが出た。信じられないくらい出た。持ってきたカヨは、真夏に溶けかけたべたべたの飴みたいな声でルリコに話しかけたあと、急激に真冬に逆戻りして、ミソラとタケヒロをギロリと睨んだ。蛇というより鬼みたいだった。背を向け去っていく鬼へタケヒロがべっと舌を出した。ミソラはタケヒロの手の甲を抓った。トウヤやハルオミに厄介をかけては大変だ。
 ポフレ、と言う、見たこともないポケモンのお菓子。ちょっと恥ずかしくなるくらいリナはがっついたし、ツーまで夢中になってくちばしを皿へゴツゴツ言わせた。ミソラだって我を忘れてお菓子を貪り食いたかった。
「嬉しいわ、二人が遊びに来てくれて」
 床に届かない足をぷらぷらさせて、ルリコは本当に嬉しそうにしている。ショーケースの中の花籠みたいな可憐な笑顔も、色の白い肌もやや癖のある髪の毛も、腹違いの兄とはあまり共通点がなかった。年齢や振る舞いより少し大人びて見える整った顔立ちは、どちらかと言うとハルオミに似ている。
「私とってもつまらなかったんだもの、つまらないからビッパたちのお散歩に出ていたんだもの」
「つまらないんですか」
 部屋を見渡す。大きなカビゴンのクッションやラプラスの巨大ドールが並び、ビッパたちと遊ぶのだろうかおもちゃ箱の中にはボールやフリスビーが詰め込まれており、ルリコが座っている椅子は、オルガンの椅子なのである。ミソラなら、この家の子供に生まれていたら向こう五十年は退屈しないだろう。
 と、移した視線の先、オルガンの背の上に、ミソラはあるものを発見した。
「つまらないのよ。お勉強やお稽古ばかりさせられるし。カヨはあまり遊んでくれないし」
 ちょいちょいとタケヒロの腿をつっついて、視線で促す。
 そこに、ガラス細工の写真立てが、二つ並べて飾られている。
「お世話係の人もいたのだけど、死んでしまったの。他の家政婦に虐められて」
 一枚は、写真館で撮ったような、形式ばった家族写真だった。椅子に座っているドレス姿の女の人、その肩に手を置いている髭の生えた男の人。女の人の腕の中には、赤ん坊が抱かれている。
 そしてもう一枚は、カヨと同じ藍色のワンピースを身に纏った、くりくりした大きな目の、肌の浅黒い女だった。
 息が苦しくなるほど、タケヒロは、母親によく似ていた。
「――ああ、つまらないわ。お父様はあまり帰っておいでにならないし。代わりの遊び相手に色んなポケモンを連れてきてくれるのだけど、ポケモンって喋らないでしょう? だからすぐに飽きてしまうの」
 別々の写真に写っている、父親と母親。タケヒロはじっと目を留めた。
 やがて、視線をルリコの方へと戻して、けろりとして笑顔を見せた。
「だよな、最初は俺も、ツーが何言ってんのか全然分かんなかったもん。でも一緒に暮らしているうちに、言葉が通じなくたって、段々分かるようになってくるぜ」
 ――ミソラはタケヒロの横顔を窺う。友人は大人だった、ちっとも動揺を見せなかった。晴れ晴れとしたその顔を、ミソラはちょっぴり誇らしく思う。
「まあ、そうなの?」
「完璧にとはいかないけど、何が言いたいのか、大体伝わってくるって感じだよ。何が言いたいのか推理するのも結構面白いんだよな」
 凄いのね、私も早くそうなりたいわ、とルリコは羨望の眼差しを向ける。お兄さんぶろうとする兄と、兄を尊敬する妹。二人が正々堂々と兄妹として付き合えていたなら、きっと良いきょうだいになれただろうに。
「ねえ、どんなところから推理するの?」
「表情とか、仕草とか」
「ポケモンも笑ったりするの?」
「するさ。ツーは笑ってるときは、背中を丸めて、こうやってぷるぷる震えるんだ」
 滑稽に真似をしてみせる。ルリコはきゃっきゃと笑う。まったくそれは、愛らしいきょうだい像だった。
「あとはまあ、鳴き声とかだよ。ルリコだって、ビッパたちや、それからあの鳥ポケモンのことも、じきに分かるようになるさ」
「鳥?」
「あ、ペラップって言うんだよね」
 ミソラがフォローする。派手で面白い形の鳥だよなあ、ツーと違って、とタケヒロがまたおどけ、ツーは怒ったようにピッピッと鳴き声をあげた。もちろん冗談だと分かっていたので、タケヒロはへらへらした。この部屋にいるということは、ルリコの手持ちなのだろう。離れた場所で育ったきょうだいが同じ鳥使いというのも、なかなか面白い偶然に思える。
 一方、ルリコはきょとんとして、それから一度振り向き、「あ」と呟いた。まるで背後の鳥籠の中身に今しがた気付いたような反応だった。ペラップは毛繕いに余念がない。むしろ毛繕い以外のすべてのことに全然興味がなさそうだった。これだけ人間とポケモンの客人が来ているのに、誰も映していないような。
「あのぺラップはもう鳴かないのだけど、分かるようになるかしら」
 その言い回しが妙だったので、兄面のタケヒロも返答に窮した。
 向き直ったルリコが言うのは、実に無垢で、何一つの悪意もない、見知らぬおもちゃを手にとって小首を傾げているような、そんな涼やかな声だった。
「ぺラップって喋るから面白くて飼っていたのだけど、鳴き声が汚くてうるさいから、喋れないように手術をしてもらったのよ」
 狭い鳥籠の中で、ぺラップは鬱陶しそうに翼を振るった。
 ミソラは絶句した。
 タケヒロも絶句した。
「……」
「……」
「……あらあら、お腹が空いていなかった? どんどん食べてね、いっぱいあるのよ」
「え、いや」「で、で、でも……申し訳ないですし」
「あのね、これはね、ミアレから取り寄せたお菓子なの。私ミアレのお菓子が大好き」
 ――食べると言わなければいけないのではないか。
 あれ、なんだか急に寒い。ミソラは体を強張らせた。ルリコは目の前でニコニコしている。『有無を言わさぬ』笑顔だと感じていたことを突然思い出し、そして急激に恐ろしくなった。――さらっと、何て言った? 喋らせたくて飼ったぺラップがうるさいから、喋れないように手術をしたって?
「ね。おいしいのよ。食べてみて」
 そして、そんな下衆な話を茶菓子と一緒に差し出してくるこの子の家に、今、自分たちが上がりこんでいる。実は腹違いの兄だということを隠している自分たちが。
「い、いただきます……」
「はは、なんか、悪いな、こんなご馳走になっちまって」
「いいのよ。だって、私、」
 そして、その怪物じみた無邪気さを惜しげもなく披露する女の子に、
「ヒビにサーカス団が来てくれるなんて、本当に本当に嬉しいんだもの!」
 ――どうやら自分たちは、とんでもない勘違いをされているらしいのである。
 サーカス団。サーカス団? ――座っているだけなのにじりじりと追い詰められている気がするミソラの生存本能が、猛烈に警報音を鳴らしはじめた。サーカスだって? 『団』って僕も? 待って、ヤバイよ!
「サーカス団? いやいや、俺たちは――」
 否定しようとするタケヒロの手の甲をミソラはもう一度抓った。タケヒロはちょっと飛び上がってこちらを見た。ミソラはぶるぶる首を振った。訂正してはいけない。だってサーカス団だという前提で今ご馳走されていたのだ。自分の欲望を満たしてくれないと理解した途端、ルリコが手のひらを返さないとも限らない。とんでもない料金を請求されるかもしれない。こうしている間にもリナは恐ろしい勢いで高級おやつを平らげている。
「そうです、私たち、旅のサーカス団なんです」「あー……そ、そうだな」
「旅! 素敵ね。ピエロさんと、ええと」
「私、一座の猛獣使いです」
 タケヒロが鼻の穴を膨らませてこちらを見る。そもそもポケモンレンジャーを名乗った時点で嘘なのだ、こうなれば嘘で押し通すしかないのである。部屋に暖房が効きすぎて手に汗が滲みはじめていた。バレたら舌を引っこ抜かれるのだろうか。これは、もしかして、リューエルに鉢合わせるよりもマズイ事態なのではないか?
「魔物のように恐ろしいポケモンを、たくさん従えているのですよ」
「例えば?」
「そのニドリーナや、えと……人を食らうと言われるノクタスや……あの凶暴なドラゴンタイプのガバイトまで」
「子供なのに凄いのね! 一座の名前はなんとおっしゃるの?」
「ココウ組です」あの無意味なやりとりが役立つとは思わなかった。
「まあ、ヴェルおばあちゃまの。ココウで旗揚げされたのね」
「ええ、ココウを拠点にして、色々な街で公演をおこなってきたんです。ヒガメとか、ハシリイとか、キブツとか……」
「おい、ミソラ……」
 信じられない勢いで嘘が膨張していく年少の口を、タケヒロが小声で咎めかけた。その矢先。
「それで、ヒビではいつ公演なさるの?」
「えっ」
 ――ほら! 口の動きだけで非難してくる。言わんこっちゃねえよバカミソ。そんなこと言ってないで、一緒にどうにかしてよ!
「あー……公演ねえ」
「えっと……その、日取りはですね……いつだったかな……」
「考え中なんだよな。な?」
「あ、そう。そうなんです、考え中で……」
「団長さんが考えていらっしゃるの?」
「団長さん」「団長さん」
 袋小路の溝鼠二匹が口を揃えて呟いた。ルリコが誰を指して言ったのかは想像に難くないが、これまた見事にミスマッチだ。
「そういえば、団長さんは今日はどうなされたの?」
「ええと、団長は……」
 ――そのとき、ミソラの脳裏に、電撃のように天啓が降りた。
 これだ。行ける。むしろこれしかない!
「実は、団長は」身を乗り出し、重々しく声を潜める。「今、大病を患っておりまして……」
 こんなにも嘘がスラスラ出てくるものだろうか、嘘吐きの素質があるかもな、とミソラはいっそ自分自身に感動を覚えた。『すぐ嘘吐きますよね』と言った自分の声が跳ね返って嘲笑われるが、じゃあどうすればいいのだと叫びたい。
「まあ……」
 ルリコは眉を下げ、ショックを隠しきれない口元を両手で覆った。どうやら信じてくれたらしい。
「だから、公演はできないんです。治療のためにヒビに来たんです、私たち」嘘八百の中に適度に真実を織り交ぜるのも忘れない。
「そ、そうなんだよ治療費がいるからさっき俺たち路上でピエロ芸やってたんだあーそうだった」
「そうだったのね……お可哀想に……」
 本当に同情を寄せた顔をしている。怪物といえ純粋無垢で心根のまっすぐな怪物であることには間違いなさそうだ。ミソラはほっと安堵した。うまい塩梅に設定を固められたのではないか。ひとまず窮地は脱しただろう。あとは、適当な理由をつけて退散すればいいだけだ――だが。
 自分のでっちあげた大嘘が、次なる窮地へと最短距離で繋がっていたとは、夢にも思わなかったのである。
「――そうよ!」
 手を打つ。
「いいことを思いついたわ!」
 落ち込みかけていたルリコが、また圧巻の笑顔になった。
 彼女の思いつくような『いいこと』が、自分たちにとれば到底『いいこと』ではなさそうなことくらい、薄々察しがついていた。
「おじいさまの誕生日パーティに、あなたたち出演すればいいのよ」
 ルリコの祖父――つまり、ホシナ組の現組長。
「そして芸をするの。ピエロと、猛獣使いのあなた、もちろんポケモンたちも一緒に。おじいさま、ポケモンが大好きだもの。きっとお喜びになるわ!」
 なんて画期的な思いつきをしたのだろうかと、ぴょんぴょん跳ねながら自分が喜んでいる。嘘吐きミソラは正直に大慌てして頭をフル回転させた。ホシナ組組長であり巨大資産家ホシナ家当主。その誕生日パーティー。ものすごい人数が集まるだろう。リューエル関係者がいないとも限らない。多忙の身らしいタケヒロの父親ももしかしたら出席するかもしれない。そのパーティーの舞台に上がって、芸をする。捨て子で隠し子のタケヒロと、ポケモンレンジャー訓練生かつ猛獣使いの自分が……。
 まったくとんでもない話だった
 断らなければ。今すぐに。自分が嘘吐きとしてかなり暴走していたことに、ミソラは今更になって気付いたのだった。急いで言い訳を探した。身分に似つかわしくないし、団長も病気をしているし、ああそれに自分たちには着ていく服が――だが、間に合わなかった。
「もちろん、出演料はたんまり払うわ。そのお金で、団長さんのご病気を治せばいいのよ!」
 ルリコの善意に溢れた発言に、
「――やる!」
 ミソラの隣に座っていた人が。
 どでかい声で即答した。





 帰り道。
 挙句、自信満々に笑みながら、タケヒロはこんなことまで言い出したのだ。
「ミソラ、お前に教えてやるよ。――正しい『復讐』のやり方ってやつをな!」





 
 
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