夕闇に沈み始めた岩石砂漠の中を、二十ほどの男が一人、その後ろにひょろりと背の高いノクタスと、長い金髪をコートにしまった子供が並んで歩いていた。
「名前? 僕はトウヤだ。そっちがハリ。手持ちの一匹」
 子供は興味深げに隣のノクタスを見上げた。大きなリュックサックを肩に担いだそのポケモンは、悪タイプであるはずなのに、なぜか「穏やか」という言葉が似合う。濃い月のような両の瞳は、今はどこか集中するように一点を捉えている。
 それで君は、と喉から出かかった言葉を、子供の澄んだ声が遮った。
「私はあなた様のことを、トウヤ様とお呼びすればよろしいでしょうか」
 トウヤは黙って目をやった。子供の突き抜ける青空のような瞳の色はきらきらと輝いて、まるで冗談を言っているようではなかった。
「好きに呼んで構わないが、それは勘弁してもらいたいな」
「なぜですか」
「ナントカ様なんていうのは、王族や金持ちの呼び方だろう?」
「それでは……それでは、お師匠様とお呼びします」
 すると、オレンジ色の岩盤の世界に、渇いた笑い声が響いた。笑われたことに驚いた様子で目を見張った子供は、主の声を上げて笑うのを見てハリが同じく目を見張ったことに、全く気付かなかった。マフラーで覆われた口元は見えないが、トウヤは軽く目を細めて、
「僕は何の師匠だって言うんだ?」
 その問いに子供は駆け出して、歩を進めるトウヤの横に並んだ。
「私に、魔物使いの稽古をつけていただきたいのです」
「魔物使い?」
「えぇ。あなた様は、伝説に聞く魔法使いのように、空を飛ぶことをなさりません。ですから、私を喰おうとしたあの魔物を焼き殺したのは、あなた様ではなく、あなた様の使い魔の一匹でしょう? ハリのような」
 それを聞いたトウヤは、腰のベルトに引っかかった三つの紅白のボールを一瞥した。二人と一匹は、しばらく黙って夕日の沈む方角を目指しつづけた。トウヤは自分の左側に突き刺さる視線を感じながら、まあ魔物のようなものか、と小さく呟いた。
「でも僕は弱いよ。初心者やゴロツキはなんとか打ち負かせても、大会と名のつくものでは、どんな辺ぴな所の大会でも賞金を取ったことがない。町にいけば、優秀なトレーナーは少なからずいるだろう。ここからは少し遠いがスクールだってある。何なら、人に君を紹介してもらってもいい」
「あんなに大きな魔物を丸焦げにする力を持つのに、ですか?」
 その口から繰り返される「魔物」という言葉に、トウヤは眉をひそめた。もし外国には「ポケモン」という呼び名がないとしても、こんなにすらすらとここの言葉を話すこの子供は、なぜこんなにも日常に浸透している「ポケモン」という言葉を知らない?
「あれは、僕のトレーナーとしての実力じゃない。メグミの、ポケモンの才能だ」
「使い魔の才能は、主人であるあなた様の才能も同然です」
「……君は、ポケモンのことを知らないのか?」
「えっと……はい。その、ポケモンとか、トレーナーとかいうのは、一体何のことでしょうか?」
「……ポケモンというのは」
 なぜ「ポケモン」という言葉を知らない?
 だがトウヤは、その答えを知っている。記憶喪失だ。はじめに連れはと聞かれた子供は、何も覚えていないと言った。おそらくポケモンのことさえ忘れてしまったのだろう。
「ポケモンというのは、ハリのような、人にあらざる不思議な力を持つ生き物の総称だ。ポケモントレーナーは、そのポケモンを捕まえ、育て、従わせる人間のこと。この地域では、ほとんどの人間がポケモンを所持している」
「なぜですか」
「便利だからだ」
 きっぱりと簡潔なトウヤの答えに、子供はハリの方を振り返った。従者の『案山子草』は何ひとつ表情を動かさぬまま、黙々と二人の後に続いている。
「ポケモンには戦う力がある。僕のように町から町へと渡り歩く浮浪者は、護衛として必ずと言っていいほどポケモンを連れている。仕事や遊びの一環として、むやみにポケモンを戦わせるものもいる。人々の労働を手助けする知能がある。人より高い計算能力を持つポケモンだっている。愛玩用に飼われているものは、主の心を癒すだろう」
「生きるためには、ポケモンが必要ですか」
「その場合もある。僕のようなのが、それだ」
「ならば、私もそれです」
 力強い声に、トウヤは視線を下げて子供を見た。
「無知な私には、この世界を一人で生きていく術がありません。どうか、私に稽古をつけてください。お願いします」
 真っ直ぐに見つめる子供の迫力に押され、トウヤは顔を背けた。運ぶ足は自然と速まった。その言葉は、ポケモン達の無法地帯に記憶のない子供を一人置き去りにしようとした、彼への当て付けのようにも聞こえた。






  
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