「君のことを町まで連れて行くのは、いっこうに構わないが、しかし」
 そこまで言いかけて男は、まあ顔を上げなさい、と目の前で深く頭を垂れている子供をたしなめた。前を向き直した子供が首を振ると、顔に降りかかっていた金髪がはらはらと横に流れた。その様子を、男の斜め後ろに控えたハリは、どことなく楽しそうに眺めている。
「本当にいいのか。きっと連れが君を探して来るだろう」
「そんなものはおりません」
「そんなはずはない。ここは町から、まして君みたいな髪の色をした人間が住んでいる場所からは随分離れているんだ」
「私を連れて行くのは邪魔ですか」
「邪魔ではないが……しかし」
 どう思う、と振り向いた男に意見を求められて、ハリは軽く首を傾げた。その顔はいつものように笑顔を絶やさない。男は息をついて、苦い顔でもう一度子供と向き直った。日も傾き、疲れが圧迫しはじめた精神で応じるには、子供はあまりに真剣な顔をしている。
「何ひとつ覚えてないと言っただろう。君は忘れているだけだ」
 渇いた唇にぎゅっと力が込められて、子供は男を見上げた。頼りなげな青色の瞳にはしかし、獣のような眼光が宿っていた。
 男はふいと目を背けて、コートを脱ぎ、それを子供の肩に掛けた。尻まで届こうかというその長い金髪は全て飲み込まれ、裾は地面につくかつかないかの場所で揺れ、夕日に焼けた岩肌に暗い影を落とした。
 マフラーをマスクのように鼻の頭までずり上げて、男は子供に背中を向けて歩き出した。
「ポケモンの嫌う薬草の匂いがつけてある。それを羽織っていれば、君の連れが来るまでに野良に襲われはしないだろう」
 くぐもった声は空っ風に飲まれて消えた。男は夕暮れに沈みそうな町の影に向かって歩いた。砂利を踏む足音は一つだけだった。ハリ、と彼は足の行く先に視線を落としたまま、彼の従者の名前を呼んだ。そして歩いた。いつもののそのそといった足音はついて来ない。男は溜息をついて、とうとう元の方へと振り返った。
「……ハリ」
 自分の長い影が伸びる先、枯れた緑色の、人のような植物のようなポケモンは、先ほどまで主がいた場所の斜め後ろに控えたまま、微笑んだ形の顔をして、黙って男を見ていた。その少し奥には、汚れたコートにくるまれたきれいな子供が俯いて、降りかかる髪で表情を隠している。
 男は彼らのことを絵に描いたような苦い顔で見やったあと、もう一度彼らを背にして、足早に歩き出した。
「……二人とも来なさい」
 子供は弾かれたように顔を上げて、青い目でちらりとハリを見た。ハリの黄の目も子供を一瞥して、のそのそのそと男の方へと歩き出した。子供はぱっと表情を華やげて、次に慌てたようにきりりと面持ちを整えると、逆光で黒く映る男の背中を追って駆け出した。
「……はいっ!」






  
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