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博士はいつも怖い顔をしている。けれど、今日は更に怖い顔をしている。 金髪は、博士と向かい合って座っている。 体をめいいっぱい縮めている。それも昨日の今日だった。 「ハオネ、ポッチャマは?」 「いません…」 研究所では、助手総動員の大捜索が行われていた。 研究所は汚い。だから、よく物はなくなる。 けれど、モンスターボールがなくなるというのは、私が知る限り初めてだ。 研究で一番大事なもの、そして一つの命が入ったボールは、小さくてもなくならない。皆が気を使うから。 それが、ポッチャマはなくなった。誰かに盗られたとしか思えない。 誰かに盗られたのなら、犯人は分かっている。 「…君」 「は、はいっ」 金髪の声は上擦り、そして博士の声はどこまでも怖かった。 私達は彼がかわいそうで目も向けられず、探す為のような格好をして背を向けている。 「…名前は?」 「お、俺ですか?俺の名前は、あの、ナローといいます。フタバから来ました」 フタバとは、フタバタウンのこと。マサゴタウンの隣町だ。 ここより小さな町だけど、若いトレーナーがたくさんいて、ポケモン教育も盛んだとか。 「ふむ。ナロー」 私の隣で、ヒリー(※ハオネのヒコザル)が毛繕いを始めた。彼女は緊張感に欠ける。私は恐怖で声も出せない。 「シノと言ったか、昨日の少年。お前、シノを探し出し、ポッチャマを連れ戻してこい」 「えっ?」ナローは声を裏返した。相変わらず緊張している。 「で、でも、シノがポッチャマを盗んだとは限らないんじゃ」 「うるさいっ!」 どんっ!博士は右拳で机を叩いた。 激しく叩いた。資料が散らかる。これ以上研究所を散らかさないで欲しい。 ヒリーは驚いて肩をすくめ、ヒホホ、と弱々しく鳴いた。 「奴以外に、ポケモンを盗む人間がいるか!」 「は、はぁ。そうですね」 そして、ナローは小さく溜息をついた。それでまた睨まれる。余計なことを。 昨日、彼がどういうつもりで盗みに入ったのかは知らないが、シノに振り回されている事は明らかだった。ちょっとかわいそう。 「私は奴を、絶対に許さない…」 博士はゆっくりと立ち上がった。ナローは驚いてびくっと震えたが、博士の声は彼には向かわなかった。 「ハオネ!」 急に名前を出されて私もヒリーも驚いた。 「は、はいっ」 「ヒココッ」 「彼に、ナエトルを」 博士は、少しも躊躇せずに言った。 「…え?」 「俺にポケモンをくれるんですか?」 ナローは身を乗り出した。驚いているけど、少し嬉しそう。分かり易い子だ。 本気ですか?私も聞く。ヒリーは首を傾げて、私を見上げた。 「本気だ。ここやフタバからは、北にしか行けない。 南にも海路があるが、あの道では初心者は戦えない。あのポッチャマ一匹では無理だろう。 北に行くには、戦えるポケモンが必要だ。ナロー、お前にナエトルを貸してやる。やるのではない。 それからハオネ、お前も奴を探しに向かえ」 「…え?」 「私の言う事が聞けないのか」 博士はいつも無茶苦茶だ。 博士は交換条件を出した。 ナロー、もしシノを見つけ出し、無事にポッチャマを取り戻すことができれば、そのナエトルはお前にやろう。 ハオネ、お前もナローについて行け。ポッチャマが見つかれば、お前にも褒美をやる。 …そうだな、ポケモン図鑑をやろう。旅に出る許可を出す。ポケモンリーグに出たいんだろう? 私が出たいのはコンテストだ。博士は何も知らないくせに、私の親みたいな顔をして、「旅に出るのは許さない」なんていったものだった。 でも、私はヒリーと一緒にいたいから、博士の元で働いてきた。 「ちょっと、ナロー!」 「見ろよ、ハオネ!ナエトルのやつ、初対面の俺の言う事、本当に聞くんだぜ!」 ナローは、自由気ままな奴。博士からナエトルを貰って研究所を出た後から、こうして騒ぎっぱなしだった。 「あんた、シノのこと心配じゃないの?友達なんでしょ?」 「ん、友達、ねぇ。」 言いながら、彼はナエトルをボールに戻した。 モンスターボールの使い方が分かっているらしい。本当にポケモンが欲しいなら、盗みなんてしなければいいのに。 「シノは、友達っていうか。かわいそうだから付き合ってやってる感じ」 「…かわいそうって、なにそれ?」 詳しく説明できないけど、ガキの頃からかわいそうだったよ。 周りの奴らからは、コワイキモイって嫌がられてさぁ。俺がいなかったら、アイツ、多分もう死んでたぜ。 ナローは軽い調子で、とんでもないことを話す。 「ちょっと、死んでたなんて、言わないでよ。何なのあんた?生意気じゃない?」 「だって本当のことだから」 何でも無いような顔で言うナローを、私はあっという間に嫌いになった。 「とにかく、はやいとこシノ見つけて、連れ戻そうよ。そうすればあんたも、ナエトル貰えるんでしょ?」 「うん。ナエトルは、欲しい!」 ナローは屈託なく笑った。ポケモンのことが心から好きな人は、私は好きだ。やはり嫌いになれない。 ここは、どこだ? 僕は、人間のおじいさんに連れられて、なんだか恐ろしい顔をした男のところにやってきたはずだ。 そのあと、かわいい女の子も見た。ヒコザルをつれていた。ヒコザルも、かわいかった。 僕は今、見知らぬ男の子と向かい合っている。 さっきから、ずっと黙って僕を見つめている。 ここで目を逸らすと僕の負けのような気がするので、僕も必死に見つめ返す。 「…お前…ポッチャマ」 あ、喋った。何を言われたのかよく分からないので、とりあえず頷いておく。 ポケモンの言葉は、人間には伝わらない。でも人間の言葉は、ポケモンに理解できる。 だから理不尽で、もどかしいのだ。ママはそういって、人間のことを教えてくれた。 ママには昔、強くてかっこいいトレーナーがいたらしかった。 「お前、俺の言う事、聞くのか?」 僕は自信を持って頷いた。 『ポケモンはね、トレーナーの言う事を何でも聞くのよ』ママは教えてくれた。 「絶対、なんでも、聞くのか?」 『なんで、トレーナーの言う事を何でも聞くの?』僕は聞いた。ママは教えてくれた。 『それはね―― ポケモンは、トレーナーのことが大好きだから』 僕は頷いた。 彼は少し、ほんの少し、嬉しそうに笑った。 さっきまで死んでる人みたいだったのが、笑ったら、やっと生きている人間みたいに見えた。 僕は、彼のことが好きになった。 「ポッチャマ…俺の名前は、シノ」 「ナエトルのニックネーム、、決めてあげたの?」 私は、嫌いになれない彼に聞いた。 ニックネームをつけるのは、私も苦労した。 博士は最初、私にコリンクをくれると言っていたからだ。 私はまだ見ぬコリンクに、『コリリン』というニックネームをつけるつもりでいた。 だが、蓋を明けて見たらそこにいたのはヒコザル。 一晩考えた『コリリン』を破棄して『ヒリー』と決めるまでに、たっぷり半日かかった。 だが、ナローはあっさりと決めてしまったらしい。彼はうん、と大きく頷いた。 「“ナロー”と“ナエトル”をくっつけて、“ナエロ”」 なんだそれは。肩に乗っているヒリーは、コココ、と笑った気がした。笑ったと思う。 「名前、何にしようか」 僕の大事なトレーナー、シノは言った。 名前?そうか、ニックネームのことだな。 ママは言っていた。トレーナーもポケモンのことが大好きだから、ニックネームをつけるのよ。 シノも、僕のことを好いてくれているらしい。僕も考える。かっこいいのがいいな。 「ポッチャマ…ポッチャマ…」 ジョナンなんて、どう?僕は提案するけど、シノには多分、ぽちゃぽちゃぽちゃ、くらいにしか聞こえていないと思う。 「カイト、とか、どう?」 カイト、か。うん。なかなかかっこいい。というか、トレーナーの決めてくれたことだから、なんでもいい。 僕は頷いた。これでしか気持ちを伝える手段が無いのは、確かにもどかしい。『理不尽』っていうのは、よく分からない。 ボールの中の“ナエロ“に話し掛けるナローは、とても嬉しそうだった。 ポケモンが大好きな人は、私も好きだ。彼のように、別の面が大嫌いでも、ポケモン好きというだけで嫌いになれなくなる。 それだから、シノが分からなかった。 シノは昨日、こう言ったのだ。 『ポケモンなんて、そんなものいらない』 そんなもの。ポケモンを“そんなもの”と評した彼は、何故ポケモンを盗んでまでも手に入れたかったのだろう。 もし、ポッチャマに暴力をふるうとか、そんなことが理由なんだとしたら、私は絶対許さない。 ヒリーと、この自由奔放なポケモン好きと一緒に、こてんぱんにしてでもポッチャマを取り返してやる。 |