汚れた白の布で空一面を覆った、そんな天気の日だった。
空に凹凸は見えない。ただ、布を広げたか、もしくは白い何かを溢したような。
霧でもたち込めているのか。天気予報では、午後から雨だといっていた。


ここはマサゴタウン。“真砂(まさご)の浜”と呼ばれる美しい浜辺があって、それでこの名前がついた。
シンオウでも何番目かに海臭くて田舎町だけど、住人がこの町を嫌う事はない。


「ハオネおねえちゃん!」

呼びかけられて、少女は振り返った。

長い黒髪に、薄い陶器のような肌。
瞳も唇も潤っていて、ひと目で「少女」とは呼べない顔立ちだった。

「なあに?ニーハ」

少女は幼い妹に、優しく笑いかける。

ニーハと呼ばれた妹は、北の方角を指差した。
「博士がおねえちゃんを呼んでたよ。
“緊急だ”って」


「そう。ありがとう」


少女は妹に礼を言って、それからポケットから小さな球を取り出した。
赤と白に塗り分けられていて、中央にはスイッチのような突出がある。
俗に『モンスターボール』と呼ばれる、一般的にポケモンを圧縮して持ち運ぶ為の機械だ。


少女は振り向いて、そこにいる一匹のポケモンを見た。
茶色の体に、尻尾には赤い炎が申し訳程度に燃えている。

「ヒリー!」

そのポケモンは声に反応して振り返ると同時に、赤い光に包まれた。
その光は、少女の手の中のボールに吸い込まれていく。

「おねえちゃん!はやくはやく!」

「わかったてば!」

少女は駆け出した。



博士の研究所の前には、博士と二人の少年がいた。
赤い帽子を被っている背の高い男の子と、金髪の、でも悪そうではない男の子。

「ハオネ!遅いぞ」

博士―ポケモンの進化について主に研究している、ナナカマド博士が言った。
ハオネは素直に謝った。そして、博士の手に握られている二つのボールを見た。

一つは、ハオネのパートナーであるヒコザルのヒリーと同じ時期に研究所にやってきた、ナエトル。
まだ引き取り手は決まっていない。
そして、もう一つの中身はポッチャマ。
“真砂の浜に倒れていた”と、この間タケノおじいさんが連れてきたやつだ。ナエトルと同じく、引き取り手は未定。

「どうかされたんですか?」

ハオネが訪ねると、博士はどうもこうもない、とだけ言って、突っ立っている二人を見た。
二人とも知らない顔だった。マサゴは小さい町で、この年代で知らない顔なんておかしい。きっと別の町の子供だろう。
博士は彼らを睨んでいた。金髪の少年の方は今にも泣き出しそうな顔で、もう1人は俯いて表情もうかがえない。


「…あの」

「こいつらが、研究所のポケモンを盗み出そうとしおったんだ!」


「………は?盗み?」

「だ、だから違うんです。たまたま入っちゃって、で、たまたま誰もいなくて、机の上にあーボールだーって…」

「うるさい!」

金髪の子は下手な弁解を試みて、博士に圧された。
金髪は、いまだ俯いている赤い帽子の少年にそっと耳打ちする。


「だからやばいっていったじゃないか…」


「お前らなんだ、ポケモンが欲しいのか?」

「え?…え、あ、はい、一応…」

彼は苦笑いで頷いた。その時、もう1人の方も顔を上げた。
無表情だった。悪びれた感じは全くない。
ハオネは顔をしかめて、そしてこの少年が異様な雰囲気をかもし出している事に気付いた。


「な、なぁ?シノ。お前も欲しいよな?」


シノと呼ばれた、赤い帽子の彼は黙っていた。


ハオネは手の中のボールを見た。ヒコザルのヒリーがきょとんとしてこちらを見上げている。

「…どう思う?ヒリー」

そっと呟いて、その時シノがまっすぐ博士を見て言った。


「ポケモンなんて、そんなものいらない」


「…!」

「はっ?…あ、そうなんだ、シノ…?」

「そんなもの、じゃないよねぇ」

ハオネはボールの中のヒリーにささやいて、ヒリーは大きく頷いた。


「…とにかく、お前らみたいな汚い心を持った奴にポケモンを持たせることは、できない」

博士は彼らに言い放って、2つのボールを掴んだまま研究所に戻っていく。
ハオネはちらりと二人をみて、それから博士のあとに続いた。


翌朝、空は晴れていなかった。相変わらず、一面を同じ汚い白が覆っている。
結局雨は降らなかったが、天気予報は今日も雨だと言った。洗濯物が干せない。困ったな。

ハオネは、この研究所で助手として働いている。
代償は“ヒコザル”をパートナーにすること。
観賞用の大人しいポケモンは別として、
本来、ポケモンを持ってトレーナーになる事は、15歳のハオネには許されない。
その権利が与えられるのは16歳からだ。助手として働く事で、特権としてそれが許されている。

ハオネは研究所に入って、まず研究所のポケモン達の様子をみていった。得に変わった様子はない。
ナナカマド博士の研究所では、進化を研究するためのポケモン以外に、新米トレーナーに渡す初心者用のポケモンを何匹か用意している。
昨日の二匹は、その初心者用ポケモンだった。

初心者用ポケモンの棚を見ていって、それから、棚の中にあるはずの二つのボールがないことに気付いた。
昨日の2匹が机の上に出しっぱなしだ。それを確認しようと、博士の机に向いた。

ハオネはその机へと歩き出して、机の上に置いてあるボールを確認した。
確認できたのは一つだけだった。

「……ん?」

彼女はその机へと駆け寄った。その一つのボールの中身を確認して、隣の棚の上に置く。
そして、机の上の汚い資料の山を散らしていった。資料を全て叩き落として、ボールは見つからなかった。
散らかした資料を、机の上に戻した。慌すぎて手が思うように動かず、騒音ばかりが立って別の研究員がハオネに注目した。
すべての資料を机の上に戻し終えて、ボールはなかった。
机の下を覗いて、それから四つん這いになって手当たり次第にまわりの本棚の下を覗き、床に散らかる資料を叩き飛ばしていく。

「どうした?ハオネ」

博士の声がすぐに後ろで聞こえて、ハオネが顔を上げた。昨日の金髪少年のような、泣き出しそうな顔だった。

「…ポッチャマがいません」

「は?」

別の研究員の声と、研究所のドアが乱暴に開かれる音が重なって、今度はそのドアに注目が集まった。
飛び込んできたのは、昨日の少年だった。金髪の、おしゃべりな方だった。


「シノ知りませんかっ!?」


ハオネと博士は顔を見合わせた。





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