−6 その怪物の正体

「朔=ローベルジュだなッ!」
 威圧的な、その声。間違えようもない。ラグナ=ファウンテンヘッド――村会議の動向を掌握しながら、閉鎖的な絶対純血主義の為に朔をとことん悪い者扱いしてきた、あの声だ。怒鳴られて朔は震えた。何も悪いことはしていないのに、その目はやっぱり怒っている。
「なぜ、人の姿をしているッ!?」
 聞かれたって分からない。朔は小さくなるばかりであった。野太く響くラグナの声に、いくつもの顔がこちらを向いた。その間にもダルマは、また一匹、ネズミの姿をした何かを炎の拳で打ちのめしている。
「太陽をどこへやった? 貴様ら『火の民』が、どこかへ持ち去ったのではあるまいな……!?」
 言いがかりだ、仮にそうだとしたって、ぼくが知るはずないじゃないか。起き上がり、問い詰めんと迫ってきた大地主、大魚の怪人は、しかし、朔の手の内に握られるものを見て――ぎょっと顔色を変えた。
 その視線の先へ、朔も目を落とした。そこにあるのは、不思議な文様の刻まれた柄と、そこから伸びる錆びた刃。
 この剣を、この人は、知っているのか。驚いて朔は再び顔を上げたけれど、そこでぎょっとしていたのは、ラグナだけでなく、そこに群がる見知らぬ生き物のほとんど全員だったから、朔はますます驚いた。
「……『月の宝剣』」
 誰かが囁く声に、幾人が同意した。ホウケン? なんだ、それは……――血相を変えたのはあのラグナだった。
「違う!」
 ダルマに挑みかかるのと同じくらい、迫力満点の声で。違う違う、と何度も叫び、半狂乱で頭を振りかざす魚人に、一同は茫然とする。ずんっと地に叩きつけた両手は岩のように固く、朔を強張らせた。誰にともなく男は怒鳴る。
「宝剣は我々一族の物だ! こともあろうに族外の者が、まして汚れた混血のこのガキが!? 在り得ない、デタラメだ!」
「しかし、朔はこうして『月の宝剣』を握って……」
「何かの間違いだ!」
 そうして伸ばされた青い腕は、朔の手中のものを奪い取ろうとしたが――ひどい静電気のような青白い光が走って、ビクッとわななきラグナは手を引いた。朔はなんともない。剣が地主を『拒絶』したのだ。
 剣が、人を、選んだ。……何かめちゃくちゃに大それたものを手にしてしまったのだと、朔はそのあたりで確信する。ラグナは慄き、怒りに震え後ずさりした。他の者は目を瞠ったり、眉間に皺を寄せたり、ぽかんと口を開けていたり。どうしよう。ぼくは拾っただけなのに、どのようにしたら分かってもらえる? そうだ、説明をしていない。責められてるんじゃない、説明を求められているんだ。柄に触れる手は少し震えた。
「違うんです、聞いてください」
 なるだけ張り上げる声が異形の者たちに響くのか、これがちっとも分からない。
「ぼくは何もしてないんです、ただ、ぼくは、これが……落ちていたから、その、拾っただけで――」
「……『月の宝剣』さえあれば、あのバケモノを、斬り殺せるのではないであろうか」
 誰かが言った。
 ……ざわめきが起こる。それが何を言ったのか、最初朔はよく分からなかった。朔を射抜いていた視線のいくつもが、ためらいがちに、炎の方へと移ろっていく――そこでまためちゃくちゃに大きなウツボカズラのような格好をした何かが、あのダルマに殴られている。虫を捉える『壺』の腹を、執拗に、何度も何度も。斬り殺すだって? あの獰猛な獣を? ――誰が。もしかして、ぼくが?
 くつくつと、場違いな誰かの笑い声が、背中側から聞こえる。……ラグナ=ファウンテンヘッドだ。
「そうだ……それは素晴らしい……」
 ゆらりと立ち上がる、人間だった頃より幾分背は低いと見えるのに、その威圧感は尋常ではない。炎の発する明かりをその巨体が朔より遮る。朔の目にも影が落ちた。逆光で表情はよく窺えず、ただその橙色の人外の双眸が、ひどく厭らしく見えた。やっぱりあの、男の目だ。
「さぁ、やれ、朔=ローベルジュ。お前がその神聖な剣に、真に見初められた者であるなら。その証拠を今、我々の前に示してみろ」
「ち、違うんです……ぼくは」
「村を守りたくば、その手に『月を呼べ』!」
 誰かが背中を突き飛ばした。獣たちに取り囲まれた戦場の中へ、朔は放り込まれた。
 ああ、こうなればもう取り返しはつかない。朔は覚悟を決めた。うだうだ言ってるな、決めただろ、さっきやるって、取り戻すって、『こんな非日常終わらせてやる』って。言い聞かせながら柄を握る手はまだ震えた、だどもサッと横に振ると光の残像が舞い散った。頬を打つ熱気が凄まじい。きっと顔は赤らんでいるに違いなかった。ぴくりとも動かなくなったウツボカズラの怪物を放り、こちらを振り返るダルマの目玉に、朔の姿が映り込む。淡く輝く剣を携え、決死の表情で歩き来る少年。ああ、マンガの中の英雄みたいだ、そうだ英雄になれ。ぼくは英雄だ、この『神聖な剣に、真に見初められた』英雄――
「――待って!」
 聞き慣れた声が呼び止めたのは、その時であった。
 朔を目に入れても、何故かダルマは、今までのように拳を振るおうとはしなかった。怯えるように小刻みに震えながら、こちらの挙動をただ待つだけ。朔は足を止めていた。その声に動じた瞬間に朔は、はりぼての英雄から、ただの男の子に完全に立ち戻っていた。
 動じていたのは、朔だけではない。――例の魚人が、ファウンテンヘッドの大地主が、厭らしく歪んでいたあの橙色の目を、これでもかと言う程強張らせている。
「……お、まえ、は……」
 また、静寂が来た。朔の、長老の住んでいた場所が侵されていくごうごうという音だけが、嫌に耳に付いた。朔はダルマから目を逸らし、声のした方へ振り向いた。人垣が割れ、その足元から小さな獣が一匹走り出してくるのは、それとまったく同時だった。
 獣、というのも、どうだろう。つるりとした体表は獣と言うよりも爬虫類、または魚を想起させる。頭と尻ににゅっと突き出た、丸みを帯びた大きな鰭。頬にはえららしき構造物。ラグナ――大地主の魚人をずっと小さくしたような形だ、と朔は思って、それも当然の事だと納得する。だって、コリーとコリーの両親とだって、そうだった。……駆け寄ってくる四足の小さな魚は、大地主の醜悪なそれより随分かわいらしいけれど。
 そして、それは、真っ白だった。つぶらな瞳の桃色を除けば、その体は、足の裏からひれの先まで、どこを取っても汚れない白――夜によく映えるその白さには覚えがあった。
 暗闇の中に浮かび上がる、神聖な夜の月の白さ。
「ルナ……なの?」
「朔ちゃん!」
 迷いなく駆け寄ってきた、真っ白な生き物――小さな四足の魚になったルナは、朔の手前でイッチニッと大きく弾みをつけると、ぽーんっと飛びあがった。
 人間だったら在り得ない跳躍力。目を剥く間に、頭と首にひどい衝撃がきて朔は仰け反った。ひっくり返りかけながらもなんとか体勢を立て直すと、小さいルナも、朔の頭の上にしがみつきながら前後の向きを変更する。随分大胆なものだ、あの女の子が頭の上に乗っているなんて、朔はその時あらためて恥じらうこともできなかったけれど。
 ダルマがまだ動かないのを確認し、朔はちらりと、ラグナの方を一瞥する。この子がルナであることに、父親であるあの人も気付いているはずだ。やはりわなわなと震えながら、本当に悪魔みたいな形相をしていたので、慌てて顔をダルマに戻した。
「朔ちゃん、戦っちゃだめだよ」
 ルナが言う。彼女に会えた動揺と興奮を反映しているのか剣の光は一層増して、柄を握り直すと、ダルマが鼻息荒く応える。待ってくれているのも時間の問題か。
「ルナ。大丈夫。心配しないで」
 自分の身を案じて彼女がそういう事を言うのはよく分かった。昨日まで、いやついさっきまでは、朔はいろんな運命のなすがままにされるしかない非力な子供だったのだ。でも今は違う。朔には剣がある。仲良しの女の子が見ているからこそ、自分の中の英雄を、むくむく膨らます必要があった。ぼくは英雄だ。心の中で朔は唱える。怖くなんかない。ルナを、この村を守るんだ。このぼくが。英雄になって、ぼくが、この怪物を斬り殺して――!
「だめだってば!」
 両手に凶器を握りしめた朔に、ルナは悲痛な声で言った。
「その……人、その人は」
 気を遣うみたいに言い淀んで。そんなルナを携えて、ワアアッと声を張りながら朔は走り出す。刺すか、斬るか? 貫けるか? 曖昧に刺さって抜けなければ、ルナもろとも殴られてしまう。ならば斬るべきだ。朔は剣を振りかざした。刃がヒュンッと熱風を切った。ダルマが拳を上げる。
「やめてその人は――その人は長老さまだよッ!」
 ――な、
 腕に衝撃が伝わる。眩い光が視界を塗り潰していった。





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