「まさかこんなに早くこいつの出番が来ようとはな」
 ジャキン、と何かの音がした。装填完了! 白日に黒光りするバズーカを担ぎながらの楽しげな独り言は、残念ながら隣にはまったく伝わらない。……何の関わりもない人のために気前よく戦ってやろうなんてやっぱ良い奴だな、と評価を高めていたグレンへのイメージに、タケヒロは色を加えた。どっちかっつうと、ただのバトル好きか?
「しかしお前ら、よくあのルカリオに喧嘩売ろうと思ったな」
 高所だからか風が強い。びゅうんと吹く風に煽られバランスを崩しかけ、自分が雑誌の鎧を纏っていること、ヘルメットを被っていることを少年は改めて思い出す。照準器らしきものを真剣に覗き込みながらのグレンの声に、足を踏ん張り姿勢を下げながら、タケヒロは返した。
「どういうこと?」
「ルカリオ使いのユニオン幹部と言えば、教育長官のサダモリだろ? サダモリのルカリオっつったら、当代のルカリオの中では最強クラスと言われる個体だぞ、勝ち目なんて皆無だ、皆無」
 名前までは知らないが、そうなのだろうか。ココウナンバーワンとされるこの男が勝ち目は皆無と言うくらいなのだから、本当に相当なのだろう。けれどもそれでも勝たなければ、アズサは連れて行かれてしまう。タケヒロは拳を握る。
「でも相手は一匹だろ? こっちはこんだけ人数が居て、ポケモンもたくさん……」
 ガッハッハ。グレンの豪快な笑い声が虚勢の勇みを一蹴する。
「無理だ無理だ! 雑魚をどんだけ集めたところで話にならん、例え俺が十人がかりになっても倒せないだろうな……そうだな、だろうな、ああ、」グレンも拳を握った。バズーカの筒身がぶるりと震えた。「ああ、ああワクワクするな! 今からそいつとやれるのか! 興奮で血が沸きそうだっ」
 今にも躍り出しそうなハイテンションな言葉の数々に、タケヒロはさっと熱を引かせた。やっぱただのバトル好きだ、こいつ。
 二人がいるのは、ココウで最も人口密度の低い、南東部のスラムだ。その古びたトタンの屋根の上に大男と乗っていると、少しの動作と軋み音だけで身構えてしまう危うさはある。そんなことに気を取られている場合じゃないのは、分かっているが……『作戦通り』戦意を燃やして、高い屋根の上から、タケヒロも敵影を探る。ルカリオの姿はどこにも見えないが、グレンのバズーカの照準器からは、どこかに捉えられているらしい。
「でも、坊主も気をつけろよ?」
 まだ若干高揚気味の浮ついた声なのに、どことなく真面目ぶってグレンが語りかける。
「そのヒーローごっこの衣装」
「ごっこじゃねえよ、ヒーローでもねえし」
「前からそうだったな、お前。ポケモンを傷つけることを是としない。ポッポを後ろにして自分が戦おうなんて考えてるようだが、そんな鍋蓋とほっそい鉄パイプ……本気の『インファイト』一発喰らったところで、言っとくが、即死だぞ」
 ……即死。ごくりと唾を呑んだタケヒロの戦意が若干傾くのを察して、グレンはちらりと子供に目をやった。
「どういう訳か、どんな小さな個体だってポケモンは俺達より頑丈だ。ポッポなら、喰らったところで死にはしないだろうが」
「……バカ言え、こいつら傷つけるくらいなら、死んだ方がマシだ」
「勘違いするなよ」
 ハイテンションなら、勝手にハイテンションのままでいてくれればいいのに、声色が妙に真剣みを帯びてくる。低めた声が、脅しているようにも聞こえた。けれども放たれる台詞はそうじゃない。
「お前のやってる事は偽善だ。お前より頑丈なはずのポッポ達を戦わせず、或いは庇ってお前が死んだら、残されたポッポ達はどう感じる?」
 視線だけ向けられた双眸は、大人のそれだ。大人ぶってるとかじゃなく、頭ごなしに叩くのでなくて、正しくて有無を言わさない……タケヒロが押し黙ったので、その目がニッと笑んだ。
「まぁ、倒すんじゃなくてキャプチャすればいいだけなら、勝算はあるんだろうな。少なくともお前らの中では」
 照準器に視線を戻す。促されて少年は慌てて耳を塞いだ。改めて、戦意を剥き出しにして。ここまで来て尻込んでいられるか。
「さあ」
 ゆったりと引金に指を掛ける。筒身はぴたりと静止した。堪えきれないと言うように、男の口の端が、上へと歪む。
「開戦だ」


 ズガーン、みたいな漫画じみた破裂音を期待したが、聞こえたのは些細な発砲音だった。隣にいるミソラの耳には聞き取れなかっただろう。だが来たぞと囁かなくとも、ミソラにも察せられたらしかった。雰囲気が強張る。
 ――視界の中央で、ルカリオが動いた。自分たちとは反対側の空めがけて、両手に構えた『波動弾』を、即座に打ち放った。
 果たして、グレンのバズーカから発せられた『弾丸』は、『波動弾』とは交わらなかった。上空の風が強いことが吉と出たのだ。見当違いな方向に流されていく『弾丸』――紅白のモンスターボールが、かなり上空で閃光を放つ。解放された緑色のポケモンの姿は、しかし一瞬でそこから消え去った。
「テラ!?」
 ミソラが興奮気味に呟く。トウヤも頷いた。リグレーのテラ、ハシリイでの日々で行動を共にした暴走テレポーター――グレンから一匹目は機動性が高いポケモンを寄こす、とは聞かされていたが、それがテラだなんて聞いてない。
 ボールの解放先から即座に瞬間移動したテラが、大胆にもルカリオの背面数十センチに登場する。即座に気配、いや『波動』を察したルカリオが棘の生えた裏拳を振りかざしながら身を翻す、その素早い挙動も『念力』を応用した浮遊移動で易々と躱してみせた。空中を滑るようなトリッキーな動きから繰り出される極彩色の『サイケ光線』――が、技を起動するまでがやや遅いか、完全に見切られて距離を取られた。けれども念波に深く抉られた地面、威力はそこそこにあると見える。
 トウヤは内心舌を巻いた。自分にへばりついてテレポートするだけが脳の赤子のようだったが、こいつ戦えたのか。それとも旅先での暴走報告に才を見たあの戦闘狂の指導の賜物か、にしてもグレンにテラを返却してからまだひと月も経ってない……しつこくテレポートを繰り返し付き纏ってくるリグレーに、ルカリオは一打を加えるでもなくひたすら牽制と回避を取る。はらはらとそれを見守っているミソラと自分は廃屋の影に隠れていて、その『波動』にルカリオはとっくに気付いているはずだ。何を考えているか、読み取られている可能性さえある。
 観戦しながら力んでいるミソラの肩を、ぽんぽんとトウヤは叩いた。気を張るなと、準備しろの合図。こちらを一瞥しミソラは浅く頷く。その表情は不安が拭いきれていない。あんなに戦う気満々だったのは、どこのどいつだ。
 グレンが第一幕に設定した時間は約三十秒。その猶予に少しでもルカリオの弱点を探るのが自分の役割でもあったが、一向に技を放たないルカリオに、一片の隙も見つけられない。トレーナーベルト一つ目のボールを手に取って表面を何度か爪で弾き、ボール内部のハリへ音と振動で指示を伝える。無理な接近は慎め。
 ついにルカリオの拳が一打、テラの側頭部を捉えた。テラのリズムが乱れる、追撃の手を右拳に、素早く力を纏った。あの技は、あの挙動は何だ――トウヤが目を細めたのと、遠い音が耳に飛び込んだのが、ほぼ同時。
 ルカリオの拳からパワーが消えた。踏み込もうとした足を押し戻し、後方へ宙返りながら舞い戻った。顔を上げる。トウヤが今見たのと、全く同じ方向だ。
 グレンが撃った二砲目が、きらりと陽光を反射しながら視界に躍り出た。
 ルカリオが『波動弾』を構える、しかしすぐさま足元に放たれたサイケ光線が、一瞬動きを鈍らせた。射程範囲まで近づいてきたボールが光を放って開放する。ルカリオが咆哮と共に波動弾を発した。
「行け!」
 短い指示。ハッと背中を叩かれたように、ミソラはボールを放り投げた。


 ――その少し前。
 打倒ルカリオの作戦会議は、突如ご機嫌に酒場に登場したグレンを含め五人で始まった。
 アズサに与えられるミッションの話を、トウヤは先に聞いていたらしい。対決は人気の少ないココウ南東部のスラムで、とあの父親に提案したのはトウヤだった。こちらから仕掛けるまで、ルカリオはその近辺に待機しているようだ。
「まともに正面からぶつかったら、何人がかりでも返り討ちに遭うだろう」
 ルカリオの力量を見るトウヤとグレンの見解は、おおよそ一致していた。単純に強者であることに加えて、『波動』という物質固有のオーラのようなものを読み取ることで、かなり遠方にいる敵手でも場所や思考さえ察知する種族だ。全ての行動を先読みされるくらいの想定で行ってもやりすぎではない。
「じゃあ、どう潰すか」
 一人楽しそうなグレンに、カウンターテーブルに背を付けて席に腰かけるトウヤが自信なさげに返答する。
「いくらユニオンの手練れでも、別の場所にいる敵の思考を同時に複数、正確に読み取るのは難しいんじゃないか。複数の人間に同時に喋りかけられたら、全ての話を同時に聞き取るのが難しいように」
「つまり?」
「チーム分けをする。かなり遠方に一陣置いて、そこからルカリオに対して強い敵意を発する。グレンやタケヒロみたいに殺気立ってる奴がいい」
「俺のどこが殺気立ってんだよ、あ?」
「そういうところだよ。今回一番乗り気なの、お前たちだろう。……ルカリオがそれを察知して注意を引かれている間に、もう一陣が近づいて……」
「さすがに気付かれるだろう」恐らくメンバーの中で最も経験値の高い男が呟く。弟分とその仲間たちの企てに、今回は力以外は貸さないつもりらしいが。「甘く見過ぎだ」
「存在は気付かれてもいいんだ。思考さえ正確に読まれなければ、一撃加えられる可能性はある」
 グレンは軽く笑った。ギャンブルだな、と呟きながら、取り出し咥えた煙草に火を点ける。
 それぞれが曇った表情で見つめる中で、立ちのぼった紫煙が淡く棚引いて消える。フゥと煙を吐きながら、指の間に挟んだ火の先をグレンは女に差し向けた。
「お前さんはどう思うんだ? 嬢ちゃん」
 円卓にミソラ、タケヒロと共に腰かけていたアズサが、少し背筋を伸ばす。口調は楽しげだが、面と向かう男の双眸にはいくらか棘も見え隠れした。
「ガキの頃からの付き合いなんだろ? あのルカリオのことはお前さんが一番よく分かってるんじゃないのか」
「……優秀よ、クオンは」
 浮かない声で話し始めるアズサの視線は、手元に置かれたグラスの中の透明な水へと落ちている。子供たちが心配そうに顔色を窺っている事にも、気付く余裕もなさそうだった。
「勤勉で、生真面目で、主人思いで……凄く察しが良い。小手先の誤魔化しは通用しないわ。でも、ちょっと融通が利かないところがあるというか」
「融通が利かない?」
 トウヤの問いかけに、浅く頷く。その瞬間、またふと、彼女の口元が緩んだ。
「手先は器用だけど、凄く不器用で。本当は優しいの。お父さんが私に厳しく当たってた分、クオンは私に甘くて……」
「おい、回答になってないぞ。この作戦は行けると思うのか?」
 その声を契機に、アズサの表情が引き締まった。まだ碌に交わりもない大男へ顔を上げる。発そうとした声は、しかし――
「もう一段階すかせれば、可能性はあるんじゃない?」
 突然鳴り響いた呼び鈴の音に、行き場を失ってしまった。
 グレンがそうだったようにうきうきと、軽い足取りがやってくる。全員がその姿に注視した。昨日と同じ、正義を司る真紅の隊員服。小さな背丈に豊かなポニーテールを携えて、例の小さなバケッチャを肩に、ユキはどしっと仁王立ちした。
「そうとなれば、このユキちゃんにおまかせあれ!」


 グレンの二手目はヘルガーだった。足場のない空中へ放たれ落下していくヘルガーへと、抜群の必中技である波動弾が迫っていく。それを捨て置いてルカリオは素早く身を返し、振り向きざまに回し蹴りを放つ、その背後に迫っていた新手――片耳のニドリーナは、すんでのところで跳躍して蹴りを躱した。
 飛び上がった勢いでルカリオに迫り、体を捻り後脚を突き出す。『二度蹴り』の体勢になったニドリーナへ、ルカリオが選択した技は、
「『グロウパンチ』だ」
 トウヤの一声にミソラも頷き、リナそのまま、と指示を飛ばした。
 拳と脚が真っ向から衝突する。力量の差を考えれば、押し負けるのはどう考えてもリナだが――ほぼ同時の二撃の後、弾かれるようにルカリオが宙を舞った。一方で殆んどノーダメージのリナが一旦地に足を付き、更に敵影へ接近する。
「リナ、追うな!」
 呼んだのはトウヤ。ほぼ同時にリナが後ろ跳びに下がった。受け身を取って着地したルカリオが咄嗟に振り向く、『波動弾』で撃ち落とせたはずの地獄の番犬が、『全く無傷の状態』で、背後に口を開いて迫っていた。
 前足を伸ばせば届く程の距離だ。技の起動も早かった。口内から迸った目を裂くような光と熱の一閃――間近で放たれた『オーバーヒート』の火柱が、人ほどもあるルカリオの体躯をたやすく丸のみにした、かに見えた。
 行った、と思えたのは、本当に一瞬だ。次の瞬間にはルカリオは全く別の場所だった。砂塵を巻き上げながら地を滑る勢いを殺し、オーバーヒートを空噴きし終えたヘルガーを冷徹に睨んでいる。
「あの距離で『見切』れるのか! いや……」
 『神速』。だとすれば本当に、目にも止まらぬ早業だ。グレンと似たように興奮し始めた自分にふと気づくと、その熱がもう収まりそうにもないことにもトウヤは気付いてしまった。
 『オーバーヒート』の巻き添えを回避したリナへ、ミソラが拳を振るって叫ぶ。こっちも熱くなっている。隠れた場所にいたはずなのに、すっかりルカリオの視界の中へ出てしまっていた。
「リナ、今だ! 冷凍ビーム!」
 何が『今』なのかは、本人にしか分からないが。再びルカリオへ直接対決を挑もうと駆け込んでいく小柄なニドリーナへ、ルカリオは威嚇とばかりに『波動弾』を撃った。それを回避するでもなく、真っ向から激突して――それを無いものと言わんばかりに、衝撃もダメージもなく突っ切っていくリナ。そろそろ格闘タイプが通用しないことはばれてしまうか、いや、気付いて試している可能性が高いか。トウヤの視線の先で、ヘルガーが、そしてリグレーが、次々と遠隔攻撃を浴びせる。それらを躱すと、追い込まれる形でルカリオは懐に飛び込むニドリーナの攻撃を受けた。
 冷凍ビーム、では無かった。リナの体を取り巻くように渦を巻いた赤い光の玉が、一瞬主の体内へ舞い戻り、そこから熱の衝撃波を放った。電気、氷の特殊攻撃が使えるリナの反則的な炎の技、『目覚めるパワー』の熱波が、腹からルカリオの体を打つ。
 抜群だが甘い。自分の指示に背いた技に目を輝かせたミソラの横で、率直なトウヤの感想は正鵠を射ていた。喰らったはずのルカリオは若干仰け反ることさえなかった。射程範囲内に飛び込んできた小兎めがけ、振りおろす高速の拳は――危ないと、そう思った瞬間には、小兎は既に宙にいた。
 友人の名を呼ぶミソラの、鮮烈な声が響き渡る。落下していくリナの体を受け止めたのは、いや、受け止めきれない。衝撃を吸収できたのかも分からない。気合十分の顔で落下点に入った小さなバケッチャが、顔面にリナを背中から喰らって、もろとも地面へと激突した。
「す、ステファニー!」
 向こうの方に隠れていたユキが走り出てくる。『ハロウィン』、ポケモンにゴーストタイプを付加するというあのバケッチャの得意技が、ヘルガーやリナが格闘技を受け付けなかったトリックであったことは、バケッチャの姿を見てルカリオも気付いただろう。あのお化け南瓜を叩く事が、格闘技で優位に戦いを進めるためには先決だろうということにも。
 リナを戻せ、という指示だけ与えて、慌ててボールを取り出すミソラを尻目にトウヤはフィールドを睨む。ルカリオは先を急ぐことはなかった。連中がバケッチャに気を取られた隙に、再びの高速の連続打撃が、テラを正面から打ち付けていた。
「テラ!」
 リナをボールに吸い込みながら、ミソラが悲鳴を上げる。
 バレットパンチ。技名がようやく思い起こされた。ゴーストにも通用する鋼タイプの技だ、先制を取るだけの速さもある。無残に叩き落とされたテラが、力無く地に跳ねた。足元に転がってくる幼子のような体躯。ずきりと胸が痛む。この間まで、バトルになんかちっとも興味を示さなかったポケモンを。――けれど、感傷に浸る間もないほど信じがたい光景が、その直後に訪れた。
 リグレーを抱き上げた腕が、ふっと軽くなった。緑の光が沸き上がった。尽きたはずの念力。再びテラを包み始め、再び覚醒したその目には、恐怖心はなかった。敵意も戦意もなかった。ただ機械的にターゲットたる青い獣の形を捉えて、少し前、あんなにくれていた視線は、ちらりともこちらを見なかった。おい、という呼びかけも無視して、また浮かび上がった念ポケモンは、まっすぐまっすぐに、ルカリオへと吸われていく。
 何故だろう、ぞっと寒気を覚えて、トウヤはその小さな背を見た。元から表情の宿りづらい顔だけれど、本当に何も考えていないような。ハシリイでのあんなに感情豊かだった姿とは、まるで重ならない――リグレー! と呼びながら空から駆けつけたグレンとタケヒロを見上げて、突如ひらめいた恐ろしい仮説に。
 トウヤは一人息を呑んだ。
(……あ)
 猛然と視線が、すがるように緑を追う。ふらふらと蛇行しながら飛んでいき、止める間もなく、再びのバレットパンチに打ちのめされる。今度こそ戦闘不能になったテラはヘルガーの背中に受けられた。ここまで二人を運んできたウォーグルを収納して、更にテラをボールに収めるグレンが、やや距離を置いたルカリオの様子を見ながらこちらに寄ってくる。
(そんな)
 テラ。ボールの中に戻ってしまえばテラもウォーグルも同じ紅白球で、どっちがあの懐いてくれていた子だかなど、他人だから、もう分からない。テラ。嘘だろ。頭が真っ白になりかけた。軽く眩暈さえして、何も考えられなくなりそうだった。けれど、ならば考えないように、動揺が顔に出ないように、動きがばれないように、ハリのボールを手で包み込みながら、トウヤは素早く指示を爪弾く。ハリ。いいか。『アレ』は使うな。
「オーバーヒートは?」
 楽しそうなグレンに、恐る恐るとルカリオを見ながら、その後ろについているタケヒロ。トウヤは平然を被ったまま首を横に振った。
「躱された。さすがの速さだ」
「そうか、ならまだあれが撃てるな」
 ニシシと笑う。まだ元気のありそうなバケッチャを抱えたユキもこちらに駆けよってきて、共にルカリオと対峙した。
 切り替えろ。早鐘を打ち始める心臓に、今はその時じゃないと、とにかく言い聞かせる。トウヤは前を向いた。さあ、切り替えろ。
 主演を除けば、役者は揃い踏みだ。いざ対面するととんだ迫力だな、と、二重に巻いたベルトに引っ付いたボールからひとつを持ち上げるグレンは、唯一フィールドに残っていたヘルガーを傍へ戻しながら未だ熱が冷めやらない。むんと気合を表情に込めながらバケッチャと共に面と向かうユキ、右手にハリのボールを弄びながらひとつ息をつくトウヤ。最初は一番張り切っていたタケヒロとミソラは、戦い慣れした年長者たちの背中でまだ怯えが抜けないようだ。
 悠然と立つルカリオの気迫は、その人数に引けを取らない。グレンは思わず唾を呑んで、誰よりも前へ身構え、血の気のままに開閉スイッチを押した。
「危ねぇぞ、ガキ共はすっこんでろよ!」







 
 
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