11・ひとりぼっちのこどもたち







「やめなさい、ハヤテ」
 相対するガバイトの向こうからその声まで飛んできて、ミソラはますます身を強張らせた。
 グレンがいなくなってから四日後の昼過ぎのことである。ビーダルのヴェルはハギの寝室から殆んど動かない状況で、トウヤも日中はそこに居ついてた。部屋から身を乗り出して叱ったものの、従者が子供を威嚇する様子がどうも変わりそうにないと見るや、彼は気怠げな動作で立ち上がった。カウンターを抜け、すっかり縮み上がっているリナの脇を通り過ぎる。こちらに向かって歩いてくる。
 ミソラの足の裏は、まだ床板に貼り付いていた。
 ――距離が近づく。対面してしまう。タケヒロも、おばさんもいない。
 顔が引き攣っていくのが分かる。ハヤテに吠えられたのとは別の意味で、心音がどくどくと高まっていく。
 依然興奮気味のハヤテの頭を、トウヤはぺしんと叩いた。
「何してるんだ」
「あ、あの、何もしていないんです、リナにおやつを食べさせようとしていただけで」
 ハヤテを叱ったのだと分かるのに、思わず弁明してしまう。足元で転がったり潰れたりしている赤い粒へトウヤは視線を落とす。ヤヒか、と呟いた。ミソラはおずおずと頷いた。
「ヤヒの実には毒があるんだ」 
 二度目の問いかけで口をつけようとした手持ちに、思わず目を向けた。リナは粗相を見抜かれたかのように瞼をわななかせながら、ガバイトの後ろへ半身を隠している。
「ニドリーナみたいな毒タイプは本来は食っても平気なんだろうが、リナは解毒機能を欠損してるから、念のため食わせない方がいい。ハヤテはその辺に生えているものをすぐに食おうとするから、厳しく言ってあるんだ。だから止めようとしたんだろう」
「わ、私……知らなくて」
「分かってるよ、悪気がないことは。リナも、そうだろ」
 トウヤが振り向くと、リナは二歩、三歩と後ずさりして、家の奥へと走り去っていってしまった。 
 入れ替わるように階段を下りてきたタケヒロが、男と金髪が対峙する光景を見、ぴたりと足を止める。ヴェルの眠る部屋からひょっとハリが顔だけを出す。彼らが様子を見守る中、リナが逃げ出した廊下の先へ、ミソラは苦し紛れの微笑を浮かべた。それから、足元へ視線を逃れさせた。
 リナがミソラを嫌っていることに、いよいよ、トウヤは気付いただろう。
 見えないものに取り囲まれている感覚がした。得体の知れない巨大な壁に、ミソラは四方を塞がれて、それが段々と狭まってくる。ひりひりした空気に、ヤスリみたいに削られて、ミソラもじきに小さくなって、そのまま消えていくんじゃないかと思った。立ち竦んでいる自分は、今まさに、少しずつ削られつつあるのだ。
 いっそこのまま、本当に消えてしまえればいいのに。
 何か言わなくちゃ。膨れ上がった真っ暗闇の感情が、閉塞した喉の隙から、消え入りそうになって漏れた。
「私の、せいですよね……」

 言ったきり、動かない『弟子』を、こちら側に向けられた金色の頭のてっぺんを、トウヤはじっと見つめていた。
 『何をしようとしていたか忘れた』、そう笑うミソラのしたいようにさせるべきだと思っていた。そうするのが楽だと言うなら口出しする資格もない、と。だが、今の発言に何か引っかかる。どこかで覚えのある言葉だと感じた。それも、とても耳慣れた、すうっと身体に馴染む響きだ。どこで聞いたのだろう、共鳴するように遠く脳裏で鳴り始めた声に、トウヤは耳を傾けてみて――それがまさに、『自分自身の声』なのだと、気付いた瞬間に。
 なんだろう、あんまりにも可笑しくて、噴き出しそうになってしまった。

「ミソラ、お前な、そんなところで僕に似なくてもいいんだよ」
「え?」
 何を言っているのか分からず、つい顔を上げてしまったから、ミソラは久々に男と目を合わせてしまった。
 ばっちり交わった視線からすぐ逃れられなかったのは、ミソラが驚いたからである。何に驚いたのかと言うと、トウヤは変な顔でミソラを見下ろしていたのである。頬が僅かに持ち上がっている。下唇を噛んでいる。にやけるのを堪えた、堪えきれていない半笑い。
 『似ている』? 何のことを言ったのだろう――何を笑っているのだろう。自分の狼狽っぷりは、そんなに面白かっただろうか。ミソラは返事をすることが出来なくて、トウヤもそれ以上説明をしなかった。笑われたという事実だけ残った。ただミソラの顔面をかっと駆けあがる、この火照りは、羞恥か、それとも。
「そうだ。ちょっと遊びにいかないか」
「……は、はい?」
 相手の心情を察そうともせず、トウヤは軽快に踵を返した。
「待ってろ。上着を取ってくる」
 本当に言っているのか。奥へ引っ込んでいく背中、同じ屋根の下にいて碌に目も合わせていなかった人を、ミソラは唖然として見送った。
 廊下を途中で右手に折れ、階段を上がっていく。それを視線で追い終えたタケヒロが、小走りでやってくる。
「何話してたんだよ、どこ行くんだよ」
 癖になりつつあるお愛想を浮かべてみるが、返すべき言葉が見当たらない。
「さあ……?」
「さあ、って……あのなあ……」
 階段を駆け下りてくる音。町の外まで出歩く時の薄汚れたコートを羽織り、いつものマフラーを後ろ手に結びつつ男は現れた。ハギの寝室の前で立ち止まり、ハリへ手招きしながら奥へ声を掛けた。そしてこちらへ戻ってきて、行くぞ、と一声。ハヤテだけが返事をする。
 ひくついた作り笑いのまま立ち尽くすミソラの隣で、タケヒロは焦ったような顔をした。
「俺も行く」
「タケヒロは待っててくれ」
「なんでだよ、どこ行く気だよ、二人で」
 少年は口早に噛みつき、男は小さく肩を竦める。
「すぐに戻るよ」
「んなの信用できるか」
 吐き捨てるタケヒロに、トウヤはいくらか思案してから、右腰へと手をやった。
 鈍く光る紅白のモンスターボールを、ひとつ、タケヒロの手に握らせる。手前から二番目、ガバイトのハヤテのボールである。
「ハヤテを預けよう。そいつを置いてきぼりにして、どこにも行けやしないから。……ハヤテ、悪いな。お前も留守番だ」
 若竜の不服そうな目が、案山子草の目と渋々合わさり、二人が頷きあう。
 少し前までなら、そのくらいでは引き下がらなかっただろう。だが少年の摩耗した見栄は、兄貴分の困り顔を見上げると、ぷすんと火を消してしまった。





 トウヤかミソラのどちらかがタケヒロの目の届かないところへ出かける時、ツーないしイズが必ず後をついてくる。今日はピジョンのツーが、ゆったりと旋回しながら二人を見守っていた。
 仰ぐ上空は、物憂げな一面の灰色。雲越しの滲んだ太陽が西寄りにぽつねんと浮かんでいた。弱光は薄ら膜になって世界を包み、どことなく輪郭を曖昧にする。冷涼な空気を吸っても、吐いても、漠然とした不安の靄は、ミソラの真ん中に滞ったままだった。
 ココウ中央通りの雑踏を、脇目もふらず北へ進む。厭らしい生活臭が漂う商店街を抜けると、景色は農村部へと移っていく。閑散とした畑の間に、疎らに押しやられた古い家屋。植物はほぼなく、人も殆んどおらず、我が物顔の北風がびゅうびゅうと吹き抜ける。みるみるうちに体温を奪われた。首を縮めながら、ミソラは黙々と歩き続けた。
 トウヤが前を行き、ミソラが少し後ろを歩いて、ノクタスがのそのそついてくる。
 少し丸まった男の背を見つめ、ハリの足音を聞きながら、
(……なんだか、これは……)
 郷愁めいたものを、ミソラは感じていた。
 最初に砂漠をココウに向かっていた時、こんな感じではなかったろうか。あとは『死閃の爆心』という場所を目指して、二人で少しだけ旅をした時。延々と歩き続けて、長いこと黙っていて、自分が時々おかしなことを言ってトウヤを困らせる。人とポケモンは何が違うだとか、私をボールに入れろだとか。
(何も知らず、何も分からず、目の前の人にしがみつこうとして、僕はいつも必死だった)
 必死だった自分を憐れむだけの自己愛は、焼き尽くして、もう殆んど残っていない。けれど、滑稽だったと笑えるまでには、過去の話に出来ずにいる。
 あの頃と違うことと言えば、ミソラは小走りにならなくてもトウヤについていくことができた。ミソラが逞しくなっただけではない。ミソラの歩調に合わせる速度を、トウヤはちゃんと弁えている。また、トウヤが歩調を合わせていることを、ミソラはちゃんと知っている。
「凄いなあ、ピジョンは」
 トウヤはふいに空を見上げると、話し掛けたとも、独り言ともつかない声で言った。
「綺麗に旋回してる」
「……凄いんですか?」
「地上でこんなに風が強いんだから、あの高度だともっと強いだろう。ポッポのままだったら、こうは行かないんじゃないか」
 立ち止まる。ハリが被り笠に手をかけながら顔を上げた。ミソラもならって空を見上げた。
 虚弱な太陽を掠めるようにして、豆粒くらいの鳥影が、優雅に円を描いている。
「……のんびりして見えますね」
「ああ。でも、本当のところは、話してみないと分からないな。意外とああ見えて、必死な思いをしてたりしてな」
 お前を連れて爆心に行って、バンギラスの死骸を見た日に、ピジョンの群れに襲われた、と、トウヤは出し抜けに思い出話をした。
 自分と同じように、あの日々に思いを馳せていたのだろうか。また歩き出す男の背中に、じんわりとお腹の底が温かくなる。
 その温かさに、ミソラは気付かなかったふりをした。


 どこまで行くのかと聞けないでいるうちに、農村部も抜けてしまった。
 荷馬車の車輪が作ったまっすぐな道の両脇に、ミソラの背丈以上もある枯草がひしめきあっている。この道を枯れ穂に誘われて進んでいけば、どこでもない場所へ辿り着いて、二度と戻ってこれなくなる――ついこの間、ここまで一人で走ってきて、そんなことを考えていた。冷静になった今なら分かる。この道を進んでいくと、やがて草原は途切れ、その向こうには岩石砂漠が広がっているのだ。
 つまり、この先には、何もない。
 ミソラが心許なく見上げる相手は、ぶらぶらと歩みを進めつつ、呑気に景色を楽しんでいる。
「なかなかの眺めだろ」
 そして突然、今度はそんなことを言った。
 トウヤが見ている方角を、ミソラも見てみた。雑草がぼうぼうと茂っている。白い穂が風になぶられ暴れている。空も、相変わらず赤茶の翼が横切るのみ。背後を頼ってみたが、ハリはいつもの仏頂面で、子供を見返すだけなのである。
 ミソラが何も言わないので、トウヤは怪訝として振り向いた。ミソラはその顎のあたりへ目線を合わせながら、またぎこちない笑みを浮かべた。いつもの綺麗な愛想笑いが、二人きりだと途端にままならなくなる。
「……ええと、はい……?」
「ん? ……ああそうか、身長が」
 何か腑に落ちたようなトウヤは、「ならハヤテに乗ればいい」と言いながらトレーナーベルトに手を向かわせ、二番目のボールがあるべき場所で、颯爽と空を掴んだ。
「あれ」
「あの、ハヤテは、タケヒロに……」
 遠慮がちにミソラが告げると、トウヤは一拍黙り込んでから、どおりで静かな訳だ、と乾いた笑い声を響かせた。


「う、意外と重いな、お前」
「だから言ってるじゃないですか、やめましょう、無理ですよ」
「侮るな、よ、ッ、っと!」
「ちょっ、あぶなっ、やめっましょうってばぁ!」
 呻き声をあげて立ち上がったトウヤが、そのまま前向きに倒れそうになるのを、ハリは安全な場所でのほほんと見守るに留めている。
 本当に、一体、何を考えているのだろう。どうしてこんなことに。この世で最も気まずい相手の、その背におぶさりながら、ミソラはひっしと目を閉じている。馬鹿なのではないか。おかしくなったのではないか。いや、とうにおかしくなっていたのか。そうだよ、だって、自分を殺そうとした相手と未だにのうのうと暮らしているんだから、この人はおかしいに決まってるんだ――何が面白いのか、分かりたくもないが、トウヤは声をあげて笑っている。
 ああ、近すぎる。眩暈がした。否が応でも思い出される。今掴まっているこの肩に、ナイフが飛び込んでいったこと、ぬらりとした血の感触。服越しに感じる生温かささえ、正直、気味が悪くてならない。
 近づきたくもない、顔を見たくもない、名前を聞きたくもない。タケヒロが以前言っていたことがミソラは今なら分かるのに、分かるのに何故か、この仕打ちだ。
「お、お、下ろしてください、重いでしょう」
「平気だよ。それより、どうだ?」
 どうにもこうにも、一刻も早く下ろして欲しい。
「ど、どうって……?」
「景色だよ、景色。見えるか?」
 見て感想を言わないと終わらないのだろう。顔を横に背け、ミソラは嫌々瞼を上げた。
 大したことないじゃないか、と、思おうと決めていた。
 決めていたのに、――思わず、息をついてしまった。

 いつの間に、淡い光の海の中に、ミソラはぽつんと浮かんでいた。

 冬の陽をたっぷりと蓄えた、あたたかな金色の満ちた平原。光は無数に息吹く穂だった。閑寂な空の下、北の見渡す限りを覆う、雄大な花穂の潮。目を凝らすほど、遥か彼方まで、光の束が揺蕩っている。ひとつひとつはせわしなく暴れて見えていた穂は、群れて悠然と波打ち、思い出したように疾風が駆けると、ざあと黄金の飛沫をあげる。頬を切る風の冷たさは、一斉にまいあがる綿毛の輝きに魅入られてると、ちっとも冷たいと感じなかった。
 荘厳というより、穏やかで、包み込まれるような光だった。トウヤが草の間を掻き分けて歩いていくと、ミソラも小船になって、共に海を渡っていく。ふと振り返ると、ココウの町は花穂の向こうにあった。トウヤが歩みを進めるたびに、ゆっくりゆっくりと、光の向こうへ沈んでいった。
 無性な寂しさが、灰色の靄を押しのけて、胸いっぱいに湧き上がってくる。
 この光の中にいると、ミソラという人間は、あんまりにもちっぽけだった。急に心細くなった。気付かぬうちに、子供にはうんと大きい痩身に、しっかりとしがみついていた。
「見事だろ」
 半分得意げに、半分しんみりとした声で、男が問う。はい、と小さく、ミソラは返した。
「……綺麗、ですね」
「うん」
「凄い……」
「そうだな」
「ココウにも、こんな景色が、あるんですね」
 ミソラがぽつりと呟くと、トウヤは微かに頬を弛めた。
「だから、と言ってはなんだけど、あまり嫌いにならないで欲しいんだ。お前が生きてきた、この町のことを」
 静かな声が、どこに跳ね返ることもないまま、そのまま耳に沁みこんでくる。
 ミソラは、散々迷ってから、目を閉じて、どことなく覚束ない動きで、彼の首筋に頭を預けた。
 紺色のマフラーに、そっと、怖々と、ばれないように、白い頬を馴染ませる。
 生きている彼の体温を、受け入れてしまいそうになる。
 分かりましたと、言ってしまいたい。嫌いになんてならないと。彼のことも、皆のことも、この町で生きてきた日々のことも。こんなにも弱い、自分自身のことも。
 けれど同時に、どうしてもそれを許せなかった。使命を全うしたい自分が、もう嫌だと叫んでいる弱虫な自分を否定するのだ。トウヤを殺すこと、今まで通りに暮らしていくこと。相反する二つの願い、どちらも捨てられず、どちらも取れなかった末に、『殺すことを忘れた自分』という稚拙な作りの仮面を選んだ。だが、そうしていたところで、分裂した自我は消えはしない。二つが争い合うたびに、ミソラは内側から壊されて、どんどん空っぽになっていく。
 こうして身体を預けると、分かる。自分はもう、とうに疲れ果てている。
 僕は、どうして僕が楽なように、生きていることができないのだろう。
 ぬくい背中で揺られていると、少し眠たくなってきた。さわさわと優しい葉擦れの音を聞きながらミソラが瞼を下している間、えっちらおっちらと、トウヤは歩き続けていた。
「……右腕を、」
「はい?」
「何と言えばいいのか、深く回して……、僕の左肩を、掴む感じで」
 低く落ち着いた声が、迷いながら言う。その方が背負いやすいのだろうか。
 首の前で交差していた両手を一旦解き、背後から手前に腕を伸ばして右手でトウヤの左肩を掴む。ぐっと体が密着した。
「その状態で、腕を組んで」
「えーと」
「右手で自分の左肘の内側を掴んで」
「はい」
「そしたら、しっかり掴んだまま、右肘を勢いよく横に引くんだ」
 言われたとおり、半分実行しかけて、何が起こるのかを理解して――、
 ミソラは動きを止めた。

 ……。

 ……。

 ……――、ええと、そうすると、あなたの首が。

 何が、起こるのかは、理解したが。
 何故そんなことをさせるのか、まるで理解に苦しんだ。ミソラは大層混乱した。首に腕を回した格好のままミソラが続きをしないので、トウヤも足を止めてしまった。
「言ってること、分かるか? 前腕で喉を押し潰すようなイメージだが、後ろ向きに引っ張るよりは、横に引いた方がきっちり絞まる」
「いえ、その、分かるんですが……」せっかく感傷に浸ってたのに何言ってるんだこの変人、と言ってしまいたい衝動を、子供ながらに呑み下す。「すると、どうなるんですか?」
「どうなるかな。僕も詳しくないんだが、確かこのあたりに」
 引きつった半笑いのミソラに構わず、トウヤはマフラーの上から首元、喉仏の横あたりをトントンと示した。
「頚動脈洞と呼ばれる血圧を感知する部分がある。そこをうまく圧迫すると、血圧が急激に下がって、頭に送られる血流が減って、脳が酸欠を起こして」
「え、あの」
「だいたい七秒くらいで失神する。多分、五分か十分も絞め続けてれば殺せるんじゃないかと思うが、体力的に難しければ」
「あの」
「ナイフは取り上げたのか。リナも連れてきてないんだろ。そうだな、マフラーで絞殺できるかもしれない。その場合はまず僕をうつ伏せに寝かせて」
「待ってください! ちょっと、な、なに言ってるんですかぁ」
 ぺらぺらと紡がれる言葉を遮断して、無理矢理笑顔を作りながらミソラは声を張り上げた。
「なんでそんな、物騒な話になるんです!」
「なんでって、『弟子』に指導してるんだろ、僕の殺し方を」
 こちらも笑いながら、トウヤはとんでもないことを言う。
「こ、こ、」
 ――殺すって。ええ、私それ、忘れたって言いましたよね?
 危うく本音が漏れそうになる。ミソラは笑った顔のまま凍りついて、凍りついた顔に、俄かに脂汗が噴き出してきた。
 言ったはずだ。確かにあの初雪の日、あの夜出会い頭に、「走って転んで頭を打って、自分が何をしようとしていたのかきれいさっぱり忘れた」と、宣言したはずなのに。一生懸命そうしてるのに。誰のために忘れてやったことにしてると思ってるんですか。あなただってその方が、都合が良いんじゃないですか。
 イタい北風が突き刺さる。
 この厳しい寒さの下、突如、素っ裸にされたような心地だった。
「……えへ、お、面白いですね、何、言って……私が……、あ、あなたを……、殺すだなんて」
「面白いよなあ」
「え?」
「誰もいないんだから、忘れてるふりなんか、しなくていいよ」
 背筋に稲妻が走った。
 今度こそ、ミソラは完全に固まった。
 必死に被っていた仮面――あるいは、必死に庇ってきたミソラの生傷。それをトウヤは、あっさりと外気に晒した。あるいは、あっさりと、剥ぎ取ってみせた。
 信じられなかった。なぜならミソラは、トウヤだけは、絶対にそこには触れないと――ミソラが『忘れたふりをする』ことを、絶対に、許すだろうと思っていたのだ。
「あなた、か。なんか嫌だな。まあ、『お師匠様』よりはいいか」
 そう呼ばなくなったことさえ暴いて、男はへらと笑っている。
 まだ、愛想笑いを貼り付けたまま、その横顔を見ているにつれ、ミソラは自分のはらわたが、――めらめらと、音を立てて、盛大に派手に火花を散らして、燃え上がっていくを感じていた。
 ええ。
 そうですか。
 そう来ますか。
 ああ、そうですか。そうですか!
 ぎりぎりのバランスを保っていた心は、一瞬で、しっちゃかめっちゃかに瓦解した。この衝動は。背中を蹴りつけたくなるような、全力で絞めあげてやりたくなるような、この強烈な衝動は何だ。言い当てられた羞恥、退路を断たれた絶望、そうじゃなくて、もっと過激な、もっと真っ赤な――そうだ、『何故忘れたふりをさせていてくれないのか』、なんで分かっても黙っててくれないの、という、あまりにも赤裸々な、高まる怒りのボルテージ。
 ミソラが一抹賭けた期待を、この男は、平気で裏切りやがったのである。
 その事実に行き当たると、ミソラは遂に作り笑いもできなくなった。真顔に戻った美少年が、真顔を行き過ぎて目を据わらせて、もう一度言われたとおりに腕を掛ける。そうだ、野良ポケモンに襲われたことにしよう。襲われて自分だけ辛くも逃げてきたことにすれば、誰にもバレまい。ミソラは意を決した。半分見えるトウヤの顔は妙に楽しげにしている。その顔を苦痛に歪ませてやる、二度と口を利けなくしてやる、見てろ、今度こそ本気で腕を引こうと、ミソラは体勢を整えて――、
 ふと気配を感じて、背後を振り返った。
 白と枯れ色の隙間の闇に、黄色い目玉がふたつ浮かび上がって、こちらを見つめている。ハリは頭まで草原の中に隠れていた。
 ……いや、いや。落ち着け。さすがに、無理だ。
 どっと脱力した。わざとらしく聞こえるように大きく長く溜め息をついて、ミソラは首を解放した。
「……ねえ、私が本当に実行したら、どうするんです?」
「よくぞ、聞いてくださいました」
 あっけらかんとそう言って、トウヤは元来た方へと歩き始めた。若干空が明るくなり、天真爛漫な穂波がきらめく。ミソラは変わらず背負われたままで、ハリは変わらず仏頂面で、のそのそと後をついてくる。
「ミソラさん。僕は万一絞め落とされたとしても、ここにハリがいる以上、そのまま殺されることはありません」
「なんなんですかその喋り方」
「僕を始末するより先に、おそらくあなたが始末されます。そもそもマフラーの上からでは、うまく決められない可能性が高い。そうですね、もし本気で絞めようとしてきたら、まずこうして、僕は前傾姿勢になります」
「うわっ」
「それから手を離して、その腕を、こうして、」
 急に尻から支えを外されたミソラが必死にしがみついている、その右腕を握る真似をして、
「こうだな」
 前に放り投げる動作をした。
 それから、よっこらせ、と言いながら、ミソラをきちんと背負い直した。
「分かったか?」
「何がしたいんです、そんなことをして。嫌がらせですか?」
「嫌がらせだって? 人聞きが悪いな。今のお前の力量じゃ到底僕なんか殺せないことを、身体に叩き込んでやるんだ」
「そういうの嫌がらせって言うんですよ」
 どぎつい毒を塗り込めて吐いたつもりなのに、トウヤはさも楽しげに笑い声をあげるのである。
 怒り、呆れを濃縮して、めいいっぱい厭味ったらしく、もう一度溜め息をついてやる。人を怒らせるようなことをして、この男は何が目的なのだ。忘れたふりをしているのがそんなに気に食わなかったか。
 真意は分からないが、ひとつ、ハッキリしたことがある。ミソラは眉間に皺を寄せた。
「……あなた、本当は、死んでやる気なんかないんでしょ」
「ないよ」
 トウヤはさらりと即答する。
「死んでやろうと思ってる奴が、わざわざ肩を刺すと思うのか?」
 あまりにも飄々とした彼の様子に、すっかり言葉を失ってしまって、ミソラは再三盛大に溜め息を吐き出したくなった。
 そう、トウヤの言うことは、最もなのである――死んでもいいと思っているなら、あの晩に、既に死んでいるはずだ。トウヤの首筋へミソラがナイフを向けた時、トウヤはミソラの手ごと掴んで、刃先をずらし、自分の右肩へ導いた。その後、ミソラが返り血を洗い流している間に、迅速に止血を済ませていた。ミソラは己の正当性を高めるために、彼が自ら死を選ぼうとしたものと思い込みたがっていたが、それは、明らかに、間違っている。
「ヒガメの手前で黒いニャースに噛まれた時、お前、血に怯えているようだったから」
「それ以上言ったら本気で嫌いになりますよ」
「この期に及んで下げ幅を残してくれてるのか、驚きだな。切れば血が出るってことを一度実感させてやれば、大方、刃物が振るえなくなるんじゃないかと思ったんだが。どうだ?」
「どうでしょうね? それってつまり、私にトラウマを植え付けようって魂胆です?」
「まあ、明け透けに言えばな」
 あの晩、許してくれ、とトウヤが言った。
 何を謝ったのだろうとずっと思っていた。ミソラに対して謝ったのか。ミヅキに対して謝ったのか、彼が殺した彼の両親に対して、今更の謝罪を述べたのか。彼が場を収めるために何はなくとも謝る姿を、今まで何度か目にしている。だから、あの『許してくれ』にも、特に意味はないのかもしれないとも考えていた。だが、あの時ばかりは、彼は明確な意図をもって、ミソラに許しを乞うていたのだ。
 『許してくれ』――ミソラのために、易々と死んではやれない自分を。
「……あなたって……」
 いよいよ頭を抱えたくなる。ミソラがこれまで彼に抱いてきたイメージ――気が弱くて、口が下手で、冷たく見えるけれど優しい人で、いつかミソラの前から忽然と姿を消してしまうかもしれない、どこか儚げな人物像――を、根底からひっくり返された気さえした。
「……実は、真性のど屑なんですか?」
 おそらく生涯吐いたことのないだろう言葉で罵ると、トウヤはアッハッハと真夏のような笑い声をあげた。
「おお言うじゃないか、いいぞ、気が済むまで何とでも言え」
 草むらを抜け、元の車道へ出てくる。ようやっと背中から解放された。なぜだろう、地面が幾分がっしりとして感じられる。
「良いものが見れただろ。でもこんなもんじゃないんだぞ。もう少し時期が早くて、晴れている日なら、壮観なんだが……まあ、来年だ」
「……来年」
「にも、軽々背負われるような体格じゃあ、まるで話にならないからな。せっかく外人なんだから外人らしく、とっととデカくなることだ。で、ここ数日サボってるようだが、しっかり体を鍛えること」
 背後の案山子草が、変わらない表情の中に、深く憐れむような気配を滲ませる。果たしてどちらを憐れんでいるのだろう。ミソラは本気の舌打ちをした。
「あなたに言われなくてもやりますよ」
「是非とも、お願いしますよ」
「今に舐めた口を叩けないようにしてやりますから」
「それは楽しみだ」
 上空で窺っているツーに、「帰るぞ」と町の方角を指し示してから、トウヤはさっさと歩き始める。と、肩越しに振り返り、
「ひとつ言い忘れた」
「なんですか、もう」
 むっと唇を尖らせるミソラを、高い位置から見下ろした。
 ずっと後ろをついてきた人。ずっと隣にいた人だ。全く同じ人なのだが、一方で、全く別人のようにも感じられた。
 ――今のままでは、絶対に、この人には敵わない。
 風が吹き、やや伸び気味の黒髪を揺らす。
 茶褐色の虹彩がその向こうにきらめいている。
 睨み返す子供へと、男は狡猾に笑った。
「殺せるもんなら、殺してみな」





 不謹慎だろうか。
 だが、待ってほしい。冷静に考えると、この状況は、もしかして、もしかすると――笑ってもいいのではないだろうか?
「――むっかっつっくー!」
 と、真っ赤になってミソラが叫ぶ。そのショッキングな変貌っぷりを前にして、女は懸命に笑いを堪えていた。
 扉をぶち開け、勢いでチリーンを彼方へ吹き飛ばしたミソラが「ちょっと聞いてくださいよォ!」と聞いたこともない言葉遣いをした瞬間の衝撃を、アズサは一生忘れられないかもしれない。タネマシンガンの如く口から放たれる一部始終、罵詈雑言の雨あられ、整いすぎた顔に似合わぬ悪趣味な表情の数々を、アズサは陸上のコイキングになって受け止めた。お人形さんの見た目を逸脱した惨状はまるで別人のようである。だが、これがミソラの本性なのだ、と納得しようとしてみれば、妙に納得できてしまった。
 意味が分かりませんよね、アタマに来ますよね、一刻も早く消えてほしいですよね、と同意を求めてくるミソラに頷きつつ、菓子と茶を勧める。言い切って多少落ち着いたミソラが、元気にむさぼり食い始めた姿――その、予想していた十倍は生き生きしている姿を見ていると、彼らに何が起こったのか、トウヤが一体何をしたのか。アズサにも理解が及んできた。
 つまるところ、トウヤはミソラの前で、徹底的に腹立たしい奴を演じてみせた。そうすることで、ミソラを追い詰めていた罪悪感をものの見事に消し去った。また『体格的に成長したら殺せる』即ち『成長するまでは殺せない、殺せないので殺さなくていい』という猶予をミソラに与えることで、結論を先送りにしたのである。何も解決してはいないのだが、今のところは事を収めた。この感じなら、おそらく今後の二人は『師弟』ではなくとも『めちゃくちゃ仲の悪い兄弟』くらいの関係には収束できるだろう。
 何だ、お兄さん、やれば出来るじゃないか。あの人にそんな器量があったとは――正直、アズサは舌を巻かされたのである。
 一人で家に籠っている間、色々と考えた。ミソラがトウヤを刺そうとした。トウヤはそのミソラを抱えながら、今もハギ家に住んでいる。グレンはリューエルの密偵であり、長い間トウヤの身辺を探っていた。タケヒロは、それらの事実に直面してから、この家に足を運ばなくなった。二人でスタジアムに走る前、タケヒロは泣きながらアズサに言った。『俺なんかに何も出来る訳がない』と。
 彼らのために、私の立場で、一体何が出来るのだろう。
 昨晩、偶然ユキから電話がかかってきた。声色でアズサの異常を察して、色々と話を聞き出してくれた。
『ミッションが相手にバレてたって、ごめんだけど今更だよ、本部評価なんて。本部の人間から見たアズって、三年も田舎で職務怠慢してるんだよ?』
 好きなようにやれ、と、彼女はきっぱりと背中を押す。
『グレンさんは、ワカミヤくんの為にも身の上を黙っていた訳でしょ』
『じゃあさ、こんな風にも考えられない? アズがワカミヤくんに黙ってることも、ワカミヤくんがアズに黙っていることも』
『全部、優しさかもしれない、とか』
 ――だから、アズサも、立ち上がらなければならない。トウヤが前に進むならば。
 前を向こう。『信じる恐怖』に、打ち勝とう。まだ少し怖いけど、この幼い子供が戦っている無慈悲な現実に比べれば、アズサの恐怖など、なんのことはない。そう考えると、また幾らか気持ちが晴れた。
「むかつく、むかつく、なんなんですかあいつ、ちょっと先に生まれたからって偉ぶって……」
「でもミソラちゃん、ちゃんと話が出来たじゃない」
「したくてした訳じゃないです、あと碌な話してないです」
「それでも外まで付き合ってあげたんでしょ? 前進じゃない。えらい、えらい」
「別に私、関係修復しようとか、元から思ってませんから」
 四つ目の個包装をべりべり破って飴をガリガリ噛み砕いているが、そのお菓子もトウヤの土産だと教えたら、どんな顔をするのだろうか。
「ほんと調子乗ってますよね。あーっ、子供である自分が憎い、一刻も早く大きくなって絶対後悔させてやりますから」
「大丈夫、あっという間よ」
「今まであんな奴を慕ってた自分が恥ずかしいです、自分にも腹が立ちますよ」
「分かる、分かるわ、ミソラちゃん」
「分かりますよね!?」
 ミソラは爛々と目を輝かせ、テーブルに身を乗り出した。
「そうだ、アズサさんもずっとあいつにむかつくって言ってましたもんね! 私、頑張って早く大きくなりますから、殺せるくらい力がついたら、あいつを殺す時、必ずアズサさんも呼びますから」
 血気盛んなミソラの宣言に、アズサはいよいよ笑い声を上げた。
「あー、それすっごい楽しそう」
「いっぱい呼びましょう! あいつに嫌な気持ちにさせられた人たち皆、タケヒロも、おばさんも……グレンさんも! とどめは私が刺しますから、皆で一緒に痛めつけるんです」
「やるやる、いいわね、皆で楽しみましょう」
「約束ですよ!」
 噴火し続ける怒りの裏に、期待と笑顔が見え隠れする。話題も話題なのに、パーッと旅行の計画でもしているような華やかな気分だ。だからいっぱい食べないとですね、とまた飴を口に放り込むミソラの無遠慮さが、アズサにはとても好ましく見えた。
 良い方向に動き出すかもしれない。子供の力強さを見ていると、そんな予感が湧いてくる。
 ふと思いついたことを、アズサは軽率に言ってみることにした。
「私、今のミソラちゃんの方が好きかも」
 以前の、良い子ちゃんのミソラより。……意表を突かれて染まる片頬は、飴玉でぽっこり膨らんでいる。コロコロと歯の内で落ち着きなく転がしながら、「そうですか?」と照れくさそうな口先が尖った。





 立つ鳥跡を濁さず――と、頭の良い人は言うらしいが、とんでもない。グレンが自宅を片付けていたのは、なんと、『扉の外から見える範囲だけ』だったのである。
 大人ってのは、ホンット、汚い。いや家じゃなくて。目の前で「掃除したからお前に譲る」と言ったグレンをどうして信用していたのか、タケヒロは自分の頬をぶん殴りたい気さえした。まあ、あの稀代の奔放野郎の言葉を肯定的に解釈すれば、『掃除』という単語の捉え方がタケヒロとはまったく違う、ということになるのだが、グレンもまた嘘つきであることが判明している。いや、まあ、どうでもいいんだけど。信じた俺が馬鹿なんだし。
 机の上だけ整頓され、下、ボロボロのソファの周りだけ、綺麗に物がなくなっている。しかもよく見ると『物がなくなっている』だけで、塊の埃は舞い躍っている。ベッドの上に山積みになった服、そこから床へ雪崩れ落ちている服、服、服。俺があの服畳んだの、結構最近じゃなかったっけ。だとすれば、グレンは掃除したと言うより、『タケヒロが片付けた部屋を散らかし、散らかした部屋の真ん中のゴミを端に寄せて出ていった』ということになる。
 グレンと別れて以来、初めてこの家にやってきた。家を譲られた話をトウヤにした際、彼は開口一言「金目のものがあるかもしれない」という身も蓋もない発言をした。あの言葉の厭らしさが頭に残っていなければ、足を伸ばそうとは思わなかっただろう。
「金目のものがあったら、大変だからな……」
 自分で自分に言い訳しながら、部屋へ踏み込む。
 服の量は、少し減っているような気もする。いくらかは持って出ていったのだろう。本当に金目のものを探すつもりだったのだが、あまりにも汚いので気が滅入ってしまった。お目当てだけ、持って帰ろう。
 流し台の下の戸棚。ナナナオーレがそこに大量に眠っていることは、先日の宿泊でチェック済みだ。甘ったるいばかりのジュースなのだが、アズサはあれが好きなのだと言う。今は踏ん切りがつかないが、いつか会いに行く動機になってくれるだろう。
 床に積まれた大量の弁当殻を押しのけ、冷蔵庫を試しに開け、謎の物体がいくつも置き去りにされているのを見て心底うんざりしてから、閉じる。気を取り直して戸棚を開け、ジュース缶が詰め込まれた段ボールを引っ張り出す。よし、任務完了だ。せっかくだから、外で待っているハヤテに秘密基地まで持っていってもらおう。部屋を散策するイズに声を掛け、さっさと退散しようとした時だった。
 突然、話し声が聞こえた。
 ぞっとした。明らかに家の中からだった。誰だ、と声を張り上げるが、誰もいない。それどころか誰かの声は、タケヒロを無視して話を続けた。
『こちら第一部隊、第七部隊応答せよ』
『こちら第七部隊、隊長のイチジョウです。第一部隊、どうぞ』
 二人目が喋り始めた。雑音が酷い。どこだ。心臓がバクバクと飛び跳ね、目が部屋中を駆け回る。整頓された机の上――の、真ん中に、真っ黒の見慣れぬ機械が置かれている。そいつが喋っていることに、タケヒロはようやく気が付いた。
『こちら第一部隊、キノシタだ。第七部隊総員に告ぐ。現在第一部隊はココウ北端、E1地点に到達。これより特別作戦を決行する』
 肩に留まったイズと共に、おそるおそる覗き込む。充電器に刺さっていた手のひら大の無線機は、簡単に持ち上げることができた。
 捨て子として生きてきた、第六感がざわついている。
 グレンは何か、とんでもない置き土産をしてくれやがったのではないだろうか。
『今作戦の目標を、もう一度共有する』
 何を言っているのか殆んど分からなかった。
 分からないのに、ひとつだけ、聞き馴染みのある人名が、タケヒロの耳に飛び込んできた。
『ココウ在住のトレーナが所持する、盗難されたラティアスの奪還。及び、当該トレーナーの身柄の確保。ターゲットの名前は『ワカミヤ トウヤ』、二十二歳、男性、D25地点の酒場に居住との情報あり。容姿の特徴としては――』






 
 
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