つらら、溶ける






 あ、溶ける。だめだ暑い。そう思った途端に、つららはずるずる溶けだした。
 俗にいう炎天下だった。スカーンと爽やかに晴れた空には一点お日様が輝いていて、黒光りのアスファルトからもうもうと立ちのぼるえげつない熱気は、みるみるうちにつららの体をむしばんでゆく。こんなところにひとつ転がっているつららだから、普通のつららよりはかなり気骨のあるつららであることには間違いないのだけれども、これにはさすがのつららも参った。暑すぎる。いくらなんでも暑すぎる。
 はじめは四十センチメートルもあったつららの体長は、あっという間に半分くらいになって、しかもほそっこいとんがったスリムつららに変身した。モデルみたいな体型だことよ、とぼんやり思っている間に、そのまた半分くらいになってしまった。これにはもう死を覚悟した。いやそもそもつららはつららであるから別段命とかはなかった訳だけれども、それでも気骨のあるつららなら、意識くらいは持っている。全部溶けて水になるという事はつまり、その意識も、ひとつの形を保てなくなって、やがて目にも見えないくらいの粒々になって空に飛んでってしまうということだ。そうなればもう、意識レベルがどうとかいう話もない。死んだも同然なのである。
 そんな風に考えているうちに、つららの周りには溶けた水の黒い染みが広がっていて、それはさながら殺人現場のようであった。けれども哀愁とかはなかった。例えばそれが涼しかったり、また静かだったりすれば話は違ったかもしれないけれど、こんだけむさくるしい位にもう暑くて、加えミンミンゼミのうわんうわんがなりたてるさなかにぽてっと転がっていたとして、センチメンタルな気分になんかなれやしない。にゅっ、と目の前に鉤の尾のネコの顔が張り出して、日が陰って、そのネコの舌がべろっと見えてこちらに迫った時なんかは、もうどうでもいいから早く舐め取ってくれ、とかまで考えた。この美ネコの体の一部になって、自由気ままに旅できるなら、それも一興。そこには悲しみも苦しみもない。なぜならつららは、気骨はあれども、何も知らない、できたてほやほやのつららであったのだから。
 ブニャッ、ブシャァーッ、とネコが悲鳴あげて逃げたした時には、つららも何だか分からなかった。何だか分からないけれど、それが逃げたおかげで、陰っていたのもなくなって暑い、と朦朧としている間に、にゅっ、と次の遮りがつららの前を覆い隠した。それは、あっちからも、こっちからも。つららを取り囲んで見下ろしていたのは、緑と、青と、赤の猿だった。
「あぁっ、こりゃ、いかん。スイ。早く手配じゃ、冷水の手配じゃ」
「うにゅ」
「ぼーっとしとらんと、ホラ、エン、お前も、早く日陰に運ばんかい」
「でも、おれはぁー」
「ああ、やっぱりお前はええわ。お前の『ふさ』は無駄に熱いからのぉ。ここはスイの出番じゃ、ホラ、スイ、早く日陰に運ばんかい」
「う、う?」
「でもさぁ、リョク。日陰に置いといても、すぐ溶けちゃうんじゃあない?」
「むむむ……なら、ゆーたろーの家はどうじゃ」
「……ゆーたろーの家、あつい」
「むむむむむ……ハッ、なら! さおりじゃ! スイ、さおりの家に運ぶんぞ!」
 わーわー言われた次には、むんずとつららは掴みあげられた。それは猛烈な熱さであった。つららは溶けだした。ほそっこくほそっこく溶けて、ついに意識を手放した。





 手放したかと思われた意識は、つららの溶け残りの中にまだかろうじで繋がっていた。
 何かもふっとしたところに、つららは収まっていた。そもそもつららには上空からひゅうんと落下してきてがすっと地面にぶつかったくらいの思い出しかなかったのだから、そんなもふっとしたところに収まっているなんてのはなんとなくにも異常な事態である。そして、どうやら涼しい。もふっとした涼しい場所に、つららは小さく収まっているのだった。
 空は相変わらずの晴れ渡り具合で、お日様もカンカンと照っている。ちょっとだけ涼しい思いをしながらつららが蒼穹を眺めていれたのもつかの間、にゅっ、と伸びてきたものに掴まれて、つららはまたしても火傷するなんてレベルではない熱の間へと挟まれた。じわじわと擦り減っていく体……でも、なぜだろう、なんとなく居心地がいい。気が付けばつららの頭上にあったのは、青空ではなく、白っぽい壁であった。
 おや? ……涼しい。もふっ、ではないのに、あんなに生き地獄だった空気が嘘のようにひんやりしている。
「おさるさん、ごめんね、わたし、しばらく外では遊べないみたい」
 つららを掴んでいるものの口が言った。
「お外、暑くなってきたから、だめ。って、お母さんが」
「なぜじゃ。さおり。そなたなら、暑いくらい、なんのことはないであろう? なんとまぁ、過保護なお母上どのよ」
「あのね」
 つららを掴んでいるものは、猿と同じような形はしていたけれど、うんと背が長くて、ふわっとした髪の毛が生えた、それは人の子であった。体温はあったけれど、どくどくと凄まじく鼓動するちっこい猿どもの心臓よりは幾分ゆっくり刻むからなのか、ぬるい熱さなのである。人の子はつららを手にしたまま、その空間と、三猿のちょこんといるあの灼熱地獄の空間を隔てている『窓』の桟から、そっと半身を出した。
「悠太郎さんが、倒れてしまって」
「ゆーたろーが?!」「ゆ、ゆぅ……!」「ゆーたろーがぁ」
 三猿は一様に目を丸めた。
「あのね、熱中症って言って、暑いところに長くいるとかかってしまうご病気なんですって。悠太郎さんのような勇ましい人がかかってしまうのだから、わたしなんかが外に出るのなんて、とんでもない、ってお母さん言うの。だから」
 猿たちはあたふたと顔を見合わせ、どんな病気か、治るのか、死ぬのか、今はどこにいるのか、何が効くのか、としつこくしつこく人の子に問う。その問いかけに、人の子は微笑むばかり。あぁ、いや、そうか。問いかけになど、聞こえていない。下賤な獣の言葉は、人のような高等生物の耳には、聞きとる必要もない。だから、言葉として解することはできないのである。
「だから、遊べないの。寂しいわ。でも――ごめんなさいね。おさるさん、この氷も、ありがとう」
 がらっと窓を閉めて、人の子は猿たちに背中を向けた。勢いよく窓ガラスに貼りついた緑の猿の泣き出しそうな目玉が、つららの印象に強く残った。
「沙織、誰と話しているの? 降りてらっしゃい、モモンがあるわよ」
 どこからかのまた別の声に、はぁい、と人の子は返事をする。
 さて、人の子の住まいはどこを取っても涼しかった。つららにはこれから自分がどのような目に合うのかちっとも知れずに恐怖したが、友人の三猿の贈り物であるからか、人の子は存外につららのことを大事にした。階下で白い果物を食みながら動く絵を見ている母親を気にしつつ、人の子は水の匂いのする小部屋に回った。そして、そこに置いてある白い大棚の一段を引き出し、もう一度向こうへ視線を送ると、そっとその中へつららをしまったのであった。
 ばたん、と棚がしまると、中は真っ暗となる。――そこは冷凍庫であった。人や獣にすれば極寒のそこは、つららにとればそれはもう極楽快適。みるみるうちにつららは堅さを取り戻し、それどころか、周りのサイコロ状の氷とひっついていると、もうあと三センチくらいになっていたつららはそこそこの大きさへとなり替わっていた。もう既にまったくつららの形をなしてはいなかったが、意識の低い氷どもを吸収して、気骨のつららはその気骨を完全復活させていたのである。
 気骨が戻ってくると気にかかるのは、あの猿どものことであった。つららを運んでいこうとする前からも、あの猿どもは『ゆーたろー』という名を口にしていた。それが病気になったと言うではないか。つららをこの真っ暗闇の極寒世界に連れてきてくれた、その発端はまさしくあの猿たちであるから、恩義を感じないということはまるでない。暑い場所にいてかかる病気であれば、つららの力で、冷えた体で、その病気をどうにかすることも可能なのかもしれなかった。つららには、あの熱い猿の手のかわりに、ゆーたろーの熱された動脈を冷やすことができる。あの猿の、今度は力になることが、できるかもしれないのだ。
 あぁ、恩義を感じる。あの猿たちに、恩返しがしたい! 暗い小部屋の中で、ほっと芯に灯ったものを、不思議な気持ちでつららは抱えた。悲しみも苦しみもなかったできたてほやほやのつららの中に、ひとなりのぬくもりが宿ったのである。そのぬくもりは、身を焦がそうとも、溶かしはしない。つららがつららとしてつららの中のつららでありすぐれた真のつららとなるために宿すべき感情の一端を、今つららは手にしたのだ――その時だった、ぶわっと光が差してきたのは。
 顔を覗かせたのは、よく似ているけれども、人の子ではなかった。その人はギャアッと声を上げた。無理もない。飲み物なんかを冷やすための氷が詰まっているはずのスペースに、アスファルトの上に転がっていたような不衛生なつららがひとつ混じっていたのだから。
 その人は白い果物を食んでいた人の子を呼びつけつららをその手に握らせて、何かぎゃあぎゃあとまくし立てた。人の子は、しゅん、とした。しゅん、としたままその部屋を出て、ちょっと空気のぬるい場所までいくと、つっかけを履いた。そして、つらら片手に、ドアをよいしょっと押し開けた――むわぁっと人の子とつららに襲いかかってきたのは、それはもう、たいそうホットに熱された、火炎放射みたいな空気団。
 あぁ、無理だ。溶ける。涼しさを知ってしまったからこそこの熱風がつらかった。もうだめだ。気骨が折れた。人の子はいそいそと歩いて、その大きな家の玄関先の、二階の自室の前に生えている大きな木までいくと、その木陰にしゃがみこんだ。さっき猿たちが駆けのぼって、人の子と話をしていた枝の下だ。猿はもうどこかへ行ってしまった。ゆーたろーの元へだろうか。
 そこへ、人の子は、つららを置いた。それから、ちょっとだけつららを眺めた。
 ――あつい。
 つららは人の子へ問いかける。
 ――あついの。
 人の子はくすりともしなかった。ふいっと立ち上がると、もう首元に浮かび始めた汗の玉を拭いながら、家の方へと戻っていった。
 ――あついの……。
 つららの声は、誰にも聞こえなかった。
 当然である。つららはつららなのである。獣でも、ましてや人でもない。ただの、つららの、つららなのだ。
 感情を覚えたところで、結局はつららは、つららなのだ。


 どのくらいそうしていたのであろう。
 何か気配を感じて、一旦闇に落としていた意識を、つららはもう一度呼び起こした。辺りが夕闇に堕ちるまでつららが残っていたことは、もう奇跡としか言いようがなかったし、そうでなければ、それはつららの類い稀なる気骨に拠るところなのである。ただ、その気骨ももう皮一枚くらいにしか繋がっていなくて、そこにやってきたのがなんなのか、確認するのが精一杯。何かがつららへ手を伸ばすと、ひょい、と持ち上げた。ほとんど溶けかけのつららはぬるりと滑り落ちそうになったけれども、いや、ぬるりと滑り落ちると、もふっ、とどこかに収まった。それは、青の猿の、頭の『ふさ』の中であった。
 ひんやりとしたもふっの正体は、青の猿のふさであった。青の猿は、つららをふさに収めると、てちてちとどこかへ歩きはじめた。


 夜が来ると、青かった空は真っ黒に染まって、そこに赤にも青にも緑にも見える白い星々が瞬いていた。星々がその位置に自ら瞬いているのか、星々をバケツに詰めた誰かが、砂を撒くようにバシャア! と散らしたのかは、つららにはもう知れない。ただ、この美しい景色が、見れて良かったと本当に思った。つららがただのつららなら、また、幸運に恵まれたつららでなければ、この景色が見れる前には水に戻っていたに違いない。
 そう、まさしく、今日の朝まで、つららはただの水だったのである。青の猿が、どこから来たのか、と問うたので、つららは弱った声で答えた。つららは、大きくて、空の高く高くを飛ぶ何かに、はじめはぶらさがっていたのよ、と。そこは、寒くて、寒くて、飛んで、飛んで、飛ぶたびに、小さな水の子供たちが、ぶつかって、そして一緒になるの。小さなものたちがたくさんたくさん寄り集まって、だんだん、だんだんと大きくなって。そして、その小さなものたちが、つららになりたい、と思うとき、つららはそこから離れるの。ひゅうんと落ちて、落ちるとき、涙が出るみたいに、小さいものたちが、体から削れていくの。それでも、ひゅうんと落ちていった。だって、つららになりたかったもの。つららになるのが、みんなの願いだったから。
 つららの言葉は、猿にも届かなかった。青の猿は、黙って、てちてち、歩き続ける。ゆーたろーはどうしたの、と問うても、やっぱり届かなかった。ちょっと浮かない顔で、猿は歩き続けた。そしてたどり着いたのは、一番最初につららが落ちた、あのアスファルトのあたりであった。
 草陰に潜んでいる鉤の尾のネコのグリーンの目は、大きなお星さまのようだった。緑の猿と、赤の猿が、へとへとの顔で座っていた。
「……ゆーたろー、いた?」
 二匹はふらっと首を振った。そうか、ゆーたろーは見つからなかったのか……。
 青もぺたっと座り込んで、ちょっとだけ首を傾げた。頭のふさから、つららはこぼれ落ちないまでも、涼しくてもちょびっと溶けたつららの水が、ぽたぽたぽたと溢れて垂れた。
 静かだった。ミンミンゼミの賑やかしも、どこかへなりをひそめていた。けれど、センチメンタルはこなかった。もう、何も考えられやしないくらいに、つららはぐったり疲れていたのだ。
 ……ぱんっ、と緑の猿が、ひとりでに膝を叩いた。
「さぁ、ぐずぐずしちゃあおれんぞい。わしらに、やれることをやるんじゃ」
 やれること? ――何を? 届かない問いかけをするほどの余力も、つららの中にはもうない。赤がのっそり立ち上がって、それからひゅっと青猿が立ち上がると、つららもつるっと揺れた。三匹は揃って、夜の並木道を歩き始めた。





 アスファルトはやがて、土の道になって、草の道になって、上り坂になって。
 山の中だった。夜でも暑くて、でも昼間に比べれば、そして町なかに比べれば、やっぱり随分涼しかった。真っ暗だども、星は見えて、空に星が見えるところが、木の葉の覆っていないところで、すなわち道のあるところだった。月は、どこかへ行ってしまった。さっきまでは、あっちの方に見えていたのに。さっきというのも、ずっと昔のような気もした。猿たちは長いこと歩いていた。
 赤が眠たげに眼を細めて、その手を緑が握って引いて、てんてんと足音を立てながら、三匹は坂を上っていく。その頭につららは揺られながら、夢でも見ているみたいだった。たくさんのちいさいものが集まってできたつららだけども、それはひとつの同じ願いから生まれたつららでもあるから、見る夢はこちゃこちゃの雑多なではなく、ひとつの、明るい夢である。つららになりたい。形になりたい。モノでありたい。命になりたい。夢見るところは、ひとつであった。
 まるで、青の猿の一部となって、旅しているような気がした。それでも一部にはなりきれなかった。猿とつららとの違うのは、気持ちを体現できるかどうかというのが、まず大きかった。猿は疲れた、と思えば、疲れたと言って立ち止まれるし、がんばれ、と思えば、立ち止まった猿の手を引いて歩いてもゆける。けれど、つららにはそれができない。だからそういうものがつららには羨ましくて、とても愛おしくもあった。
 気持ちを手に入れた。けれど、伝えるところを手に入れなければ、それも宝の持ち腐れだ。
「……もう、いいかな」
 急に、青が言った。緑は首を振った。
「まだじゃ。まだまだ、北の方へ」
「涼しくなってるのぉ……?」
「なっとるわい。我慢して歩かんか、ホラ、えっほ、えっほ」
 涼しいところを目指している? ――あっ、と、彼らの目的が知れた時、急激に、世界が明るみを増していった。
 ああ、そうでなくとも、もう、空が白んでいた。どれほど歩き続けたのだろう。つららには恐ろしくなった。夜が明ければ、日が昇れば、急激に気温は高まる。そうすれば、もう指圧で潰れてペキンと折れそうな薄っぺらのつららであれば、すぐに溶けて、思いごと消えてしまうであろう。
 もうすぐ、消えてしまう。そうなる前に、どうにかして伝えたいと思ったし、知りたいとも強く思った。果たして、その願いは叶うこととなる。唐突に、緑は喋り始めた。
「……『こおりさん』よ。わしらは、お前を、助けたいんじゃ」
 こくん、と赤も頷いた。日が昇る。青の前を歩く二匹の落とす光陰が、はっきりと輪郭を描き始めた。
「ゆーたろーは、わしらのとても大切な人じゃ。わしらを大事に育ててくれた。良い奴なんじゃ。いつも、困った人を助けておった。そして、困った人を助けろと、わしらにもいつも言っておった」
「『こおり』ぃ、おれたち、良い子なん。良い子やから、ゆーたろーの言うこと守って、『こおり』を困らないとこへつれてゆく。おれたち、連れてってあげるから、『こおり』の困らない、寒いところ」
 赤も言った。つららの下で、青の猿も、囁いた。
「そうすれば、きっと、ゆーたろー、元気でる……スイたちのとこへ、きっと戻ってくる。『こおりちゃん』。あと少しだから、がんばって……」
 なるべく北へ。まだまだ寒い、北の方へ……。
「……ゆーたろぉー!」
 緑は叫んだ。
「わしら、人助けしとるぞ! 偉いじゃろ! どこにおるんじゃ! 出てきて、褒めんか――!」

 ああ――つららは思う。たとえ、猿になれたとしたって、やっぱり思いは届かないのか。
 ゆーたろーを熱から冷まして助けるなんて、なんてまやかしだったのだろう。なにもしてやれないどころか、またしても助けようとされているなんて。なんて無力なつららなの。でも、つららが助かることで、きっと猿たちは救われる。困ったつららを助けることが、きっと彼らの、救いになる。つららにはそんな気がした。でも、つららに、なにができるの。ただのつららに。溶けゆくだけのつららに。水になり、こぼれて消えるのを待つだけのつららに。猿らには人の子へ伝えられなかった、聞きたかったたくさんのこと、病状、薬、居るところ。けれど、伝えられなくたって、分からなくたって、ゆーたろーの教えにならうことで、必死に存在を確かめている。消えそうなつららをふさに収めて、北へ、北へと歩いている。つららはどうだ。つららに、一体、なにができる。
 朝日が差し込んできた。ひっぐ、ひっぐと嗚咽が聞こえて、青のふさはくらくら揺れた。ちりちりと焼かれる思いがした。あぁ、がんばりたいんだ。たぷたぷと波打つ水たまりの中に、小さな小さなつららのかけらは浮いていた。終わってしまいそうな気がした。同時に、きらきらしたものが、つららの透明の中に、ゆっくりと忍び込んできた。願えば願うほど、染みていく。そうか。終わりと一緒に、はじまりもくる。つららは目を閉じた。意識を落とした。ゆっくりと重みを感じてくる。眩しい。温かい。音がする。これは、生き物の、音か。
 ――どしゃっ、と青猿が前のめりに転んだ時には、何が起こったかと思ったが。
「おい! リョク、エン、スイー!」
 声に、緑猿と、赤猿と、倒れた青猿とつららとは、振り返った。
 人間であった。悲鳴を上げるように三猿は叫んで、その人の方に一目散に駆け出した。さっきまで無理はしていても、この世の終わりみたいに沈んでいたのが、笑ってしまうほどの豹変であった。飛び付き、抱き着き、しがみついて、わんわん泣いている猿たちを抱えながら、人は困ったような笑顔を浮かべた。そして、ふと視線を落として、そこにつららを見つけて、また笑顔。つららへ向かって歩いてくる。
 すっ、と手を伸ばされたとき、つららはきゅっと縮まった。あんな温かそうな手で触れられると、溶けて消えてしまう気が、まだしたのだ。だけど、人間は、カッカッと笑った。そして、ためらうことなく、つららを撫でた。
「そんなに怯えることはない。君はもう、溶けて消えたりはしないんだ。だって、君はポケモンなんだから」
 なぁ、バニプッチ?
 そう言って、人はニィッと微笑んだ。
 きょとんとした。瞬きをした。首を傾げた。ぴょん、と跳ねた――そういうことをついに覚えて、つららは、うれしくて、ぽたぽた涙がこぼれて、ニッコリ彼らに笑ってみせた。













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