青い鳥を見た。




体育館の裏でタバコを吸っている生徒を見つけたのが、ちょうどそれから二日後の、昼休みだった。




  second scene 悪夢






「やっべえ逃げろ!」



くわえていたものを放りだして逃げ出した彼らは、五時間目が始まる前に校長室に呼び出しを喰らっていた。

目撃者の僕が、片方の揺れる金髪に、見覚えがあったからだった。

ここの教師で、あの少年を知らない者はない。

この学校に来て一年目の僕も、その例外ではなかった。

あまりにも目立つ風体で、加えてド級のやんちゃときている。 よく職員室で説教を受けている六年生の男子生徒、名前を確か土屋と言った。


先に担任に呼び出された土屋の証言から、遅れて共犯のもう一人が校長室へ連れ込まれた。
綺麗に整えられた黒髪を持った、縁なしの眼鏡の男子。
僕は驚いた。それは僕の、よく知っている生徒だった。

名前は大元良昌。

僕は彼のクラスの理科を受け持っている。

いつも真面目に授業を受け、実験に進んで参加する。テストでは例外なく百点満点。
僕がまだ短い教師人生で見てきた中でも、彼は絵に描いたような優等生だった。


その彼が、職員室から遠巻きにその様子を見ていた僕を見つけて、彼はその瞳を鋭く尖らせた。

僕はそれを見て、なんとも思わなかった。

それよりも、何故彼がタバコなど吸っていたのか、僕は不思議でたまらなかった。

少年は、中年の女性教師に背中を押されて、俯いて校長室へと消えていった。



放課後になって、土屋と大元の保護者がやってきた。
スーツ姿の土屋の母親は、彼の金髪頭を押して強引に謝らせ、すぐに学校を去っていった。
“謝り慣れ”していることで有名な保護者だった。
土屋があれなので、それも仕方ない。



一方、慌てた様子で、しかし着飾って現れた大元の母親は、校長と教頭、彼の担任に、と何度も何度も頭を下げていた。
大元は、母親に従って黙って頭を下げていた。
機械的な謝り方に、一部の教師たちが憐れみを含んだ視線で彼を見ていた。



最後に大元とその母親は、僕の所へ謝りにやってきた。

深々と頭を垂れる母親と、それにワンテンポ遅れて続く息子。

「この度はご迷惑をおかけして、本当に本当にすいませんでした」

ほらあなたも謝りなさい。そう言われて、一度顔をあげた大元は、再度ぺこりと頭を下げる。

「ごめんなさい、先生」

「どうかこのことは、ご内密に……」

少年の、綺麗に磨かれた眼鏡の向こうから、悪魔のように冷たい光を放つ瞳が、こちらを窺っていた。





七時を回り、橙色の光が校庭を満たしている。


夕方とはいえまだ暑い。

僕は車のドアを開け放って、クーラーを最強にして、花壇のへりをうろうろと歩いていた。


植えられたパンジーの葉の上を、何か黒くて丸い虫が這っている。

その虫に、一匹の蟻が、後ろから近づいてくる。


二匹がぶつかりそうになったところで、僕はその葉をぴんと弾いた。


その瞬間、二匹の虫は別々の方向へ吹き飛んだ。

より遠くへ落ちた蟻は、触角をあくせくと動かして、先の倍ほどのスピードでせわしく歩き始める。

すぐに揺れが収まった葉の下へころりと落ちた丸い虫は、ひっくり返って起きあがれず、六本の足を不規則に動かしてもがいた。


彼はこれからどうなるだろうか。
風でも吹けば起き上がれるのだろうか、それとも。



「あーあ、お前、やっちまったな」



突然声をかけられて、僕は今の自分の格好を想像してとたんに恥ずかしくなった。


立ち上がってみると、そこには数学担当の塩崎さんがいた。
新米の僕の面倒をよく見てくれる、明るくて頼りがいのある先輩教師だ。


塩崎さんは僕が座っていたあたりの花壇を不思議そうに見はしたけれど、深く言及はしなかった。



「どうなっても知らねえよ」

「どういうことですか」


さっきの大元良昌だよ。

彼は吐き捨てるように言って、花壇の横の自らの車へと向かう。


「あいつ、今頃こっぴどくやられてるよ」

「そりゃあ……」

「今までの努力が台無しだ、ってな」


努力? 僕は聞き返して、彼はドアを開けた。
むわりとした空気に眉を寄せて、そのままこちらへと戻ってくる。


「あいつ、中学受験するんだよ。だから、内申って、相当重要なワケ」

「じゃあ」

「タバコがばれたなんて言語道断だぜ。頑張ってたのになあ」


ストレス溜まってたんだろうなあ、彼はつぶやいた。
遠くで子供の歓声が聞こえる。
斜陽で金色に輝いているグラウンドに、校舎が影を黒く落としている。


「で、なんで僕が?」

「ハハハ。……今に分かるさ」


じゃあな、と手を上げて、塩崎さんは車へと戻っていった。





翌日。



教員用の不味い弁当を食べ終わって、五時間目の準備の為に理科室へと上がる。

べとべととした飯がへばりついているらしく、嫌な感覚が喉にあった。

唾を飲み込んでも取れないそれに、自分が苛立っているのを感じながら引き戸を開ける。

実験器具の準備をしていて、ふと昼休みの職員室の様子が思い起こされた。



今度は他の生徒とつるんで掃除用具入れを蹴っていた土屋が、また指導を受けていた。
へらりと笑って謝る彼の顔に、反省の色など微塵もなかった。

嫌な気分でトイレに向かったのを、よく覚えている。



薬品をビーカーに分け終えて、別の用具を取るために後ろの棚へ向かう。


『どうなっても知らねえよ』


昨日の塩崎さんの様子が思い浮かぶ。


何がどうなる。タバコがばれたところで、土屋は何も変わらない。





ふと顔を上げた。






目の前のガラスには、眉間にしわを寄せた自分の顔が映っていた。




刹那、ガラスが、正確にはガラスに映った景色がぐにゃりと歪み、




僕の顔の後ろに、ニタリと笑う黄色い顔が映った。







「――ぅああッ!」

全身の毛が逆立つような恐怖を感じた。


僕はすぐさま振り返って、真っ暗の空間を走りだした。

振り向かずとも、それが追いかけてくるのが分かった。


――ヒヒヒヒヒ!ヒャーッハハハハ!


耳をつんざくような甲高い笑い声に、思わず足を止め、耳を押さえてしゃがみこんだ。


「ッあああ、く、来るなあぁぁー!」





『――どうなっても知らねえよ』






耳元に息を吹きかけられるような気味の悪い感覚に、身の毛がよだつ思いがした。

はっと顔を上げた。

目の前に、とがった耳、襟巻のような白い毛、大きな鼻を持つ黄色い顔が、息のかかる距離で笑っていた。


「――ッ」


声は出なかった。体は動かなかった。



黄色い顔は不気味に笑って、手に持ったふりこを、顔と顔の間に持ってきた。



『――知らねえよ』



銀のふりこが、ゆっくりと右に振れた。




僕の体は、何かにたたきつけられるような衝撃で吹っ飛んだ。




一瞬宙に浮いた後、どさっとどこかに落ちた。


不思議と痛みは感じなかった。


見ると、数メートル先で、人の形をした黄色い化け物が、ふりこをもって笑っていた。

その顔は、笑ったままで凍りついていた。体全体が凍っていた。




それの後ろで、何か刺すような光が、ゆっくりとゆらめきながら化け物を包み込んでいった。








気がつくと、僕はガラス棚の前でへたっていた。


腰が抜けて動けなかった。

見ると、僕があれを見るまで持っていたシリンダーは、床の上に転がっていた。

取り上げて光を反射する筒を回してみた。どこも割れていなかった。


見上げると、僕が化け物を見たガラスは、理科室の無機質な景色を映していた。


元通りだった。僕は夢を見たらしかった。





「……あれ、そこの席は?」


誰も答えず、それぞれに顔を見合わせた。

どこからか、クスクスと笑う声が聞こえた。


「大元くんでぇす」


誰か女子生徒が答えて、僕は聞いた。


「……欠席か?」



息をひそめた笑い声だけが、理科室に響いた。

僕は、生真面目な少年が座るはずだった席を見た。




『……今に分かるさ』




塩崎さんの声と、化け物の気味の悪い笑みが、脳裏にまとわりついて離れなかった。




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練習用お題「「かわらわり」程度で済んだ人と、「ぜったいれいど」直撃の人の対比」
12・03

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