*本編 2・厄介な拾い物−5の続きです。




inside:2−5.5



 グレンとばったり遭遇したのは、それから数分も経たない頃だった。
 お前、無事に帰ってきてたのか、と何やら驚いた様子の大柄の男に、トウヤは怪訝そうに眉を寄せる。裏路地の細い道の上、トウヤの後ろに隠れるようにしてぺこりと頭を下げるミソラに適当に会釈を返すと、グレンはトウヤへと声を潜めた。
「外に行ってたろ。帰りに表を通らなかったのか?」
「タケヒロが嫌がるから脇道から町に戻ったが……なんなんだ、一体」
 その答えにあぁ、と腹の底から腑に落ちたような溜め息をつかれて、トウヤはますます疑問の色を浮かべ、ミソラはその様子を首を傾げて見上げている。グレンはそれから、胡散臭いほど深刻めいた眼差しをもって、ぽんと目の前の友人の肩に手を置いた。
「いいか、まぁ、なんだ、あの、あんまり怒ってやるなよ」
「何を」
「……お前のガバイトと、その……」
 ぎこちなく下ろされた視線の先には、金髪碧眼の子供が立っている。
 いまいち状況を掴めず言葉を詰まらせるトウヤの後ろで、ミソラは心当たりを見つけたのか、急に青ざめて、おろおろと手を揉みいたたまれない雰囲気を醸し始めた。
「……うん、あれだ。実際に行くのが早い。トウヤお前、今金持ってるか」
「……? いや」
「なら、少し貸し……あぁ、でも、そうだな。その方がいいかもしれないな」
「だから、何が」
「いいからちょっと行ってこい。中央通りの北の方……特に青果店の辺りだな」
 あの、私も、とミソラが声を挟むのを、わーっというグレンの喚きが押しとどめた。大きな手に蓋をされてもごもごと口ごもる子供を、トウヤはしばらく見下ろして――不意に勘付いてしまったらしく、なるほど、と小さく呟き、呆れたような視線をミソラに落とし。涙目で見つめ返して来るその子にくるりと背を向け、コトコトと情けないリズムで揺れ始めた二つ目のモンスターボールを掴みあげ、ぎりぎりと恨めしげに握り締めると、そのまますたすたと町の中央へ歩き始めた。
「暇ならその阿呆をうちまで送っといてくれ」
「おう、任された!」
 至極嬉しそうに声を返すグレンの腕の中で、ミソラはばたばたと無駄に抵抗しながら師匠の背中を見送った。
 姿が見えなくなってからようやく解放されたミソラは茫然とその方を眺め、今にも泣き出しそうな瞳で隣の大男に問いかける。
「……私、追い出されたりするんでしょうか」
「ん? ハッハッハ、平気だ平気だ。今でこそすました顔してるが、ココウでは昔から怒鳴られ慣れてるからな、トウヤは」
 フカマルの卵を孵してからしばらくなんか酷かったぞ、と言って、グレンは笑いながら歩いていく。ミソラは浮かない顔でそれを追いかけた。
「せめて、私、一緒に行って謝った方が……」
「むしろお前がいると話がややこしくなりそうだ」
 さらっと切り返す男に、そうでしょうか、としょげた返事が行く。
 大通りに出ると、後ろ髪を引かれるようにミソラは北の方ばかり気にしていたが、グレンはそれを南の方へと先導する。そろそろ青果店の辺りで説教が始まる頃合いかな、と考えても、グレンは口にはせずただ楽しそうに顎を撫でた。
「あの」
 子供の澄んだ高い声は、混みあった商店街の喧騒の中でもよく通る。
「グレンさんって、お師匠様のこと、古くからご存知なんですか」
 見下ろすと、ついさっきまで泣きっ面だった外人は、清々するほどけろりとしている。あまりにも早々立ち止まってしまったその子供に、確かに手を焼くのかもな、とグレンは僅かに苦笑を浮かべた。
「まぁな。あれがお前くらいの時からの付き合いだ」
「私くらいの時、というと」
「トウヤがココウに来た時だよ、あいつは十くらいだったか。まぁ、もう少しちびだったがな、こんくらいだな」
 そう言ってミソラの目の上辺りを指し示しながら、お前いくつだ、と問うグレンに、ミソラはしばしきょとんとしてから答える。
「……分かりません」
「え?」
「自分が何歳なのか、覚えてないんです」
「あ……あぁ、そうか。記憶喪失だとか言ってたな、すっかり忘れていた」
 傷つけてしまったか、とそっと右手を見下ろすが、子供の方は飄々として、全く気に留めていない様子である。
「グレンさんって、海の向こうの出身なんですよね?」
「ははぁ、そこまで話されてるか」
「はい。ポケモンリーグっていう大会に出たこともある、優秀なトレーナーだと」
「と言ってもセキエイって所で開催される地方大会だがな。出場資格を取るのにちょっと時間はかかるが、出たことがあるくらいで優秀なもんか」
「海の向こうには、ココウでは見られないポケモンがたくさんいるのですか」
「海の向こうって言うと面白そうだが、何も大したことはない、どこもつまらん町だよ」
 軽い調子だが吐き捨てるようなグレンの物言いに、ミソラは少し怖気づいてしまったようだった。
 幾重もの足音が入り乱れる中で、男の足音は堂々と大きく、子供の足音は小さくせわしなく。ちょろちょろと顔を動かすミソラの様子は今にも手元から逃れていきそうな小動物のようで、グレンは何度も振り向いてついてきていることを確認せざるを得なかった。しかし、この子供、先程の話のことは、本当に、ちっとも気にしていないらしい。
「なぁ、ミソラ」
 はい、と見上げてくる無垢そうなその顔に問いかけるのが残酷で、柄にもなく、胸をちくりと刺されたようだ、とグレンは思う。
「お前、忘れた昔のこと、気にならないのか? 自分の歳さえ自分で分からないなんて、気味悪いもんなんじゃないのか」
 はた、と立ち止まると、ミソラはいくつか瞬きを繰り返した。
 さすがにまずかったか、とグレンも歩みを止めて、今のは無しだ、と笑いかけるが、ミソラはぴたりと静止して動かない。じっと考え込むように難しい顔つきをした子供の前で、グレンは立ちつくして頭を掻くしかなかった。人付き合いは上手い方だ、という、おそらく驕(おご)りではない自負があるが、大人になって、騙し騙し生きることを覚えてからは、どうにも子供が苦手になった。
 いかに話を逸らそうか、ということにグレンが躍起になっていたにも関わらず、ミソラは唐突に、ぶつぶつと呟き始めた。
「……確かに、変なのかも……でも、なんでだろう、最近はあまり気にならないんです。忘れたこと考えてるより、今目の前で起こってることや、ポケモンたちのこと考えてる方が、楽しいし、面白いし」
 そうして顔を上げ、にっこりと笑顔を見せるミソラに、グレンは完全に面食らってしまった。
「考えても分からない自分のことより、お師匠様やグレンさんが子供の頃どんな風だったのかの方が、私はよっぽど気になります」
 攻守逆転、といった様相でてくてくと先に行ってしまうミソラを、グレンは慌てて追いかけた。
 視界を遮る人々の頭の向こうに、ハギの酒場の赤い屋根が見え始めた。脇目もふらず人混みを分け入っていくミソラの様子は、あっちこっちと興味をそそられていた先程までとはまるで別人だ。気遣うような、慰めるような、諭すような言葉が次々頭に浮かんで、そのどれもが子供の虚勢に水を差すようで、片っ端から萎んで消えていく。こんなに話下手だったろうか、とグレンは思わず息を漏らした。どうにもペースが崩れる。赤の他人の不幸に気を病むなどというのは、彼に取りどうしようもなく馬鹿らしいことだった。
「今は知らんが、俺の親はカントーで学者をしていたんだ。俺は昔からポケモンバトルが好きで、一刻も早くトレーナーになりたいと思っていたが、両親ともポケモンのことを研究材料としてしか見てないような人間で、どうにも馬が合わなかった。家を出て、色々あって一人でこっちの地方に渡って来たのが、丁度十歳の時だった」
 出し抜けに始まった身の上話に、ミソラはふっと振り返った。
「何もかも忘れて、ゼロから始めようと思っていたんだ。ポケモンもヘルガー以外は皆向こうに逃がしてきたし、名前だって元のは捨てた。けど、どうにも振りきることができなかった。十五年も経った今でも、たまに実家のことを考えてしまう。自由になっているつもりでも、何かに囚われるのが嫌で自由な生活をしている、ということがそもそも『嫌』という気持ちに縛られているんじゃないか? そう思い当たった瞬間に、もうだめだ。おそらく俺は、いつまでたっても古い記憶から解放されない」
「……そうですか」
「それに引き換え、ミソラ、どんな経緯があったんかは知らんが、今のお前は真っ白の新品だ。縛られるもののない、まったくのゼロの状態から、なんでも好きなようにやっていける。俺なんかにはそいつが、少し羨ましいね」
 言い切り、にやりと笑みを寄こしたグレンに、ミソラは口をつぐんでいた。
 強引に背中を押され歩いていくと、酒場の扉の前には、来るのが分かっていたかのように大きなビーダルが待ち構えていた。ミソラがどうこうする間もなくグレンはヴェルの頭を撫でまわし、戸を開いて店の中へと追いやっていく。同じようにミソラのことも押し込めて、自身は扉の縁に片手を掛けたまま、もう片方の手をひょいと挙げた。
「消したい過去の一つや二つ、誰しも持っているもんだ。……じゃあな、次会った時は、お前の好きなポケモンを見せてやろう」
 そうして踵を返した男へと、あの、とミソラは声を上げる。
「……真っ白」
「あぁ、そうだ。一番、何でも綺麗に飲み込める」
「……あの……」
 口ごもるミソラは何やらもじもじと、胸の前で指先を絡め始めた。
「……お師匠様は、おいくつくらいの時から身長が伸び出しましたか。私も、ちゃんと大きくなるんでしょうか」
「――なんだ、そんなことか!」
 一瞬ぽかんとして、それから大口を開けて笑い始めたグレンの前で、ミソラはぎゅっと委縮した。
「お前みたいな色の人種の奴はな、俺達よりうんと長身と相場が決まってる。心配しなくてもほっときゃ伸びるさ、ミソラが本当に男ならな!」
「お、男です!」
 かっと顔を赤らめて、ぺこりと一礼、それからばたばたと奥の階段へと逃げていく子供の背中は、後ろなど振り向きたくもない、と叫んでさえもいるようで。
 眼下にぼうっと座り込んでいるビーダルと目を合わせ、僅かに表情を崩すと、グレンは黙ってハギの酒場を後にした。





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