*本編 11−2劇中。




inside:11−2.5


「行ってくる。メグミ、何かあったら、頼む」
「わかった」
「ついでに、リナをミソラのところに送ってくる。従者の粗相は、主人も知っておかねばならない」
 しょげているリナを足先で小突きつつ、ハリが部屋を出ていく。それを見送ると、ヴェルは目を閉じ、ツーは暇そうに身繕いを始めた。ボールの中からそれらを見上げていたメグミも、二言三言、トウヤとテレパシーで会話してからは、暫くだんまりを決め込んでいた。
 元来、会話が得意な方ではない。メグミが相手と『言語』で意思疎通するようになったのはほんの三年前のことで、自分以外の多くのポケモンは音を介して意思を伝達するのだということさえその前までは知らなかった。今はだいぶ言葉のコミュニケーションにも慣れてきたが、元の性格もあって、黙っている方が気が楽だ。ツーが、イズとタケヒロはどこほっつき歩いてんだろなあ、という独り言を漏らしても、誰も何も言わない。ヴェルはぷうぷう寝息を立てている。
 胡坐を掻いて座ったままで、トウヤは二匹を眺めていた。頭の中を覗こうとしなくたって、気持ちに触れようとしなくたって、雰囲気というものは、ボール越しにでも伝わってくる。トウヤがこんなにほっとして、落ち着いた顔をしているのを、メグミは久しぶりに見た気がした。メグミまで何だか安心した。トウヤが心を窶(やつ)しているなら、半分はあの金髪の子のせいで、半分はメグミのせいだから。
 黙っている方が気が楽だ。だが、彼らと日々を共にするようになって三年経って、だんだん学び始めたのは、おしゃべりするのもそれはそれで楽しくて、そうしたくて仕方ない気分のときもあるってことだ。それは例えば楽しいときとか、それは例えば、幸せなときとか。あるいは、小さく空いた心の隙間に、何か埋め合わせが欲しいときとか。
「ハリね、安心したんだって」
 帰り道にハリが話していたことを、メグミは教えてあげることにした。テレパシーは使わずに、口を開き、声に出す。ボールの中で喋った声は、外に直接は聞こえないが、ボールマーカーのスピーカー越しに、傍のポケモンには届いているはず。メグミの声は、トウヤには聞こえず、ヴェルとツーの耳元では小さく鳴っているはずだ。ヴェルは目を閉じているけれど。
「トウヤが、死んでやらないって言ったの、ミソラちゃんに。ハリ、呆れてたけど、ほっとしてた。トウヤが死ぬ気じゃなかったことが、分かったから」
 だからハリは、リナの子守りを受けたのだろう。そうじゃなかったら受けなかったろう。トウヤが本当に死んでやらないと思って言ったのか、思っていたとしたらいつからだったのか、メグミは知らない。トウヤが死のうとしているとハリが本気で心配していたのか、それがいつからだったのかも、知らない。お互いに寄り添っているはずの二人の認識のすれ違いが、別の人への話の中で、明かされて、解消されてしまった。これだから人とポケモンって、言葉が通じないから、ちょっぴり寂しい。でも、結果として、従者をやめたいとまで言って、ボールに戻らずトウヤを生かそうとしたハリの気持ちが、これで多少は安らいだなら、メグミは嬉しい。
 でも、でも、人とポケモン、だけではないのだろう。人と人。トウヤと、色んな人が、言葉を交わせるのに、交わさずにすれ違ってきたように。ポケモンとポケモンも。
「だから、ヴェルさんも、安心して」
 あまり話をしたことがない、知らぬ存ぜぬを貫こうとしていたツーが、ちらりと顔をこちらに向ける。
 ヴェルは眠っている。眠ったふりを続けている。もしかしたら、本当に眠っているんだろうか? どうだろう。分かろうと思えば、メグミはすぐに分かるのだけれど、誰かの心を覗くのは疲れる。疲れるし、めんどうだし、そして、少しは怖いのだ。
「おかげで、トウヤも、めぐみも、ハリたちも、身体の疲れを癒す時間とれたよ。ヴェルさんが、ずっと寝たフリしてくれてたから」
「えっ」
 フリなのか、と、ツーの頭がくるりと向く。ヴェルは目を瞑ったまま、寝言みたいな声で言った。
「フリじゃないよ」
 トウヤはぼんやりしている。微睡の中にいる顔をしている。ヴェルの声も、本当に寝言だと思っただろう。
「分かってるよ」
 言って、メグミはささやかに笑った。
 ヴェルが血を吐いたのは本当だ。苦しい思いをしていたのも本当だ。だが、それがいつまでだったのかは、メグミも知らない。気付いたら穏やかな顔をしていた。多分だけど、ハリと共謀したんじゃないだろうか。トウヤが焦ってばかなことをしないように、少しでも、何もない時間を挟んで欲しくて。
 じれったいほど遠巻きで、もどかしいほど、愛しい人たち。あなたたちの気遣いに、残念だけれど、トウヤはまるで気付いていない。伝わっていないよ、ヴェルさん、ハリ。二人の優しさは。それでいいんだろうか。きっと、いいんだろうけど。
「……あたしゃあね。あんたのことも、ハリたちのことも、この子のことも、自分の子供みたいに思ってる」
 やっぱり寝言みたいな声で、ぽつり、ぽつりと、ヴェルが零した。『この子』と呼ばれた大きな子供を、ボールの中から、メグミは見上げた。もにゃもにゃと喋るヴェルを見て、自分のこと言われてるなんてきっと思いもしないで、おかしそうな顔をしてる。ポケモンの言葉は、人間には分からないから。
「あんたの方が、ずっと年上なんだろうにねえ」
「えっ、そうなのか」
「……ふふふ」
「何歳なんだ? メグミって」
「ひみつ」
 むすっとしてツーが黙り、また熱心な身繕いを再開する。閉じたまま、とろりと眉尻を下げたヴェルが、小さく鼻を鳴らした。傍らに置かれている小さな人間の履物に、頬を擦りよせた。
「……子供が、いなくなるのは、寂しいよ。でもね」
「うん」
「いいかい。必ず、幸せにおなり」
 夢の中みたいな声が、たしかな芯を持っていた。
 返事に詰まる。何を言えばいいのか、分からなくなる。口数は少ないけど達者なハリなら、元気でお喋りなハヤテなら、すぐに、上手に、返すだろうか。メグミはじっと目を閉じた。頷く。でも頷いたって、誰にも見えない。伝えなくっちゃ、伝わらない。伝わらなくっちゃ、意味がないから。
「めぐみ、今だって、みんなといられて、とっても幸せだよ」
 でも、ヴェルさん、ありがとう。
 いっぱいに咲いて溢れる心を、丁寧に寄り集めて、綺麗な言葉の花束にする。
 この場所で『待っていた』日々が、こんなに好きになっていたのが、いつからだったか。多分ずっと前だったから、もう、メグミは、知らない。






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