*本編 1・眠る岩山−11の続きです。 inside:1−11.5 「おい、トウヤはいるか!」 大声と共にトレーナー控室の扉を開けたグレンの目に、部屋の隅に固まる三人の姿が映った。 驚いて振り向いた二人のトレーナーに見下ろされる形でベンチに仰向けに寝ていた男が、その声に答えるようにむくりと起き上がった。重そうに瞼を上げるトウヤの顔には色濃い疲労感が滲んでいるが、フィールド上で見た死人のような青白さはない。ともかくグレンはほっと胸を撫で下ろして、後ろ手に扉を閉めた。 「大丈夫か」 「今モモン茶を飲ませたところだよ。スタジアムに薬を持ち込めないってのも困ったもんだよなぁ……でも、効くのか? このお茶は」 「いやぁ侮れんよ。俺も昔、外の森でモルフォンのりんぷんにやられたことがあるんだが、そいつを飲んで大人しくしてたらすぐに良くなった」 男たちはどこか得意そうに話して、似たような動きでトウヤの表情を覗き込んだ。 「どうだ?」 「……少し楽になった気がする」 細いが確かな返答に、二人は満足気に顔を見合わせる。 「そりゃあよかった、ミナトが出場権放棄して買いに走った甲斐があったってもんだ」 「おぉっ、それは本当か?」 すたすたと近づいてくるグレンに、一人がこくりと頷いた。 「あぁ……人が毒喰らって倒れるなんての初めて見てさ、焦っちゃって、スタジアムを出たらその時点で出場権はく奪のルールなんて忘れてたよ……ハハハ」 ミナトと呼ばれた青年が恥ずかしそうに頭を掻くのを、トウヤはばつの悪そうな表情で見上げた。 「……悪かったな」 「ホントだよ、感謝してくれよ? おかげで今日は二戦止まりで赤字確定なんだからな」 「ハッハッハ! 次って、相手は俺かトウヤかだったろ? どっちにしろ負けて終わりだったわ、気にするな」 「うっ、うっせーな! 俺だって、いくら相手がお前らでも、消耗してれば勝ててたかもしれないだろ……いいなトウヤ、貸しだぞ! またお前んちの酒場で奢ってくれ」 じゃあな、と二人が部屋を出ていくのを見届けて、トウヤは壁にもたれかかった。多少混濁の残る瞳は何もない天井を追った。グレンはその横に腰かけた。 遠く爆発音が響いて、僅かに足元が揺れる。開けっぱなしのボトルの中身が波紋を打つ。 小さなモニターの中では、既に次の試合が始まっている。ココウのスタジアムにおいて、トレーナーがポケモンの技を喰らうのは、大して珍しいことではない。一時は騒然とした観客席も、大会本部でさえも、すぐに普段の狂気を取り戻してしまっていた。 「……すまんかった、こんなことになるとは」 トウヤが視線を向けると、グレンは掌の中の紅白のボールを転がしながら、普段の彼にはない暗い表情で俯いている。 「やられると思った途端、何も考えずに起動の速い技を選んでしまった。それだけならまだしも、ヘルガーが我を忘れて言うことを聞かなくなるなんて、全く想定外だった。俺の方も気が動転して、ヘルガーをボールに戻すという選択肢を見失っていた……肝心な時にこうも動けないとは、俺もトレーナー失格だな」 「……何を」 「ガバイトが動かなければ、本当に大怪我を負わせるところだったんだ。トレーナー戦をするのが恐ろしくなっちまう」 「やめてくれ、僕が悪いんだ」 トウヤが少しだけ声を荒げて、グレンは口を閉ざした。 言ってしまってから、トウヤはふいと顔を背けた。モニターの中では、人間よりも一回り小さなポケモンたちが、必死の戦闘を繰り広げている。普段、片手で捻り潰していると言っても過言ではない低級トレーナーたちの争いだ。それは今、どこか遠い世界の事のように思われたし、実際にそうなのかもしれない。 「勝ちを急いでしまったんだ。僕が冷静さを欠いているのがハヤテにも伝わって、周りが見えなくなっていた。……僕が悪い」 引っ掛かっているボールの一つが、何か言いたげにカタカタと揺れた。 それを見てグレンは笑った。ボールの中からの訴えに気付かなかったトウヤはグレンに怪訝そうな顔を向けるが、グレンはそれを無視して、自分の掌のボールをベルトに戻した。 「確かに、いつものお前の姑息な戦い方じゃなかったな、ありゃ。金髪のお譲ちゃんにかっこいいところでも見せたかったか」 「まさか。あれは関係ないよ」 「本当か? じゃあどうして勝ちを急ぐ必要がある?」 脅してきたのはそっちだろう、とでも言いたげにトウヤはグレンを睨んだが、軽く息を吐くと元へ視線を戻してしまった。 「……もうこれで五連敗だろう。昔はそんなに違わなかったのに」 「はぁ、そうだったか?」 おどけて返しはしたものの、その言葉に込められた思いを汲み取って、グレンは思わず顔を綻ばせた。 現在、ココウスタジアムの常連の『双璧』とか称されているグレンとトウヤとは、トウヤがこの町にやってきた頃からの長い付き合いだ。三つ年上のグレンが、当時サボネア以外の生き物とろくに関わろうともしなかったトウヤを引っ張り回しているうちに、いつしか切っても切れない間柄となっていた。今は互いに頻繁に町を留守にするから、顔を合わせることも少なくなったが、運良く出くわせば必ずと言っていいほどフィールドでボールを交えている。 当たり前のように試合を重ねていた相手が、バトルスタイルを崩してしまうほどの劣等感を抱えていたとは……。弟のように可愛がってきたトウヤの『戦友』としての一面がグレンには嬉しかったし、またある意味で頼もしくもあった。 「今だってそんなに違わないさ。ココウのトレーナーはまだまだレベルが低い。そろそろ、うんと遠出してみるといいぞ。お前だって、もっと外の世界を知るようになれば、これからいくらでも強くなれる。俺のようにな」 そう言ってニヤリと笑うグレンを見て、固くなっていたトウヤの表情も少しだけ弛んだようだった。 モニターの中では、見知った顔の若いトレーナーたちが、幼さの残るポケモンたちをぶつけ合い、客席を沸かせている。くだらないな、とグレンは呟いて、頭の後ろで腕を組み、ゆったりと壁に寄りかかった。グレンというのはいつもそうだ。ポケモンバトルを愛してやまないその男は、トウヤなんかより一層、スリルと興奮を欲している。レベルの低いココウのトレーナーたちの、刺激的でないポケモンバトルのことを、彼はいつだって蔑んだ目で論評した。 「よそ者だからな、俺たちは。都合がいいから利用しているだけだ。こんなくだらない町に、いつまでもとどまっていることはない……そうだろ?」 スピーカーからの立て続けの爆音に紛れて、扉の向こうから遠い足音が聞こえる。 トウヤは返事をせずに立ち上がり、ボトルの中身を一気に飲み干した。 「もう大丈夫なのか?」 「元から大したことはないんだ、心配はいらない」 嘘を言うな、とグレンが笑った瞬間に、鉄製の重い扉が勢いよく開かれた。 大慌てで飛び込んできたミソラは、試合終了直後立ち上がることもままならなかった男が目の前で平然としているのを見て、何度か口をぱくぱくさせた後、長い長い溜め息をついた。それから、はっとしたように前を向きなおして、まっすぐにトウヤのことを見上げた。 「ご無事でしたか」 「平気だよ」 その声を聞いて、不安に揺れていた瞳の青が、はっきりした明るさを取り戻した。ミソラは恥ずかしそうに俯いて、腕の中の荷物をぎゅっと抱えなおしてから、ぽつりと呟いた。 「よかった……」 無機質な部屋の中に、鞄に取り付けられた白い鈴の音が溶け込んでいく。 むずむずと胸を這う照れくささに耐えきれずにトウヤが振り返ると、やはりグレンはニヤニヤ笑いながら二人の様子を眺めていた。 「お師匠様、ねぇ」 「……聞くだけ無駄だとは思うが」 「無駄だとも。俺の自由を奪うものを手元に置いておくつもりはない」 グレンはベンチに座って壁にもたれたまま右手の人差し指を立て、ぴしっ、とトウヤの顔を指差した。 「お前が拾ったんだぞ。拾った奴がちゃんと最後まで面倒をみろ」 ポケモンと同じだろ、と笑いだしたグレンを恨めしそうに見下ろしてから、トウヤはくるりと扉の方に向き直った。黙って歩き出した彼をおろおろと見て、ミソラはグレンに軽く頭を下げ、足早に部屋を去っていく男の背中を追いかけていった。 スピーカーから、試合の終了と、次の試合のエントリーを募るアナウンスが聞こえてくる。慌ただしく閉められた扉の方を一人眺めながら、グレンはゆっくりと立ち上がった。 二重に巻き付けられたトレーナーベルトのボールたちが、己の選抜をせがむようにガタガタと揺れる。グレンはそれを一つ一つ、戦意を確かめるように触っていく。 「……面白いことになりそうだな」 男の言葉は低く響いて、控室の冷たい壁の中に消えていった。 |